コラム  国際交流  2020.09.03

投票弾圧の歴史の政治力学|米国コロナ最前線と合衆国の本質(9)

国際政治・外交 経済政策 米国

「アメリカらしさ」

イーロン・マスクが運営しているSpaceX社が再利用可能ロケット(ファルコン9)で打ち上げた有人宇宙飛行船クルードラゴンは、5月末に宇宙飛行士を国際宇宙ステーション(ISS)に送り届けた後、宇宙に約63日間滞在後、8月2日に無事帰還した。これにより、人類はまた一歩大きく前進した。

帰還したクルードラゴンの宇宙飛行士に管制官が発した第一声は「SpaceXにご搭乗頂き、誠にありがとうございました」というものであった。最先端のプロフェッショナルがこれほどユーモアに溢れた発言をしたことは、実に「アメリカらしい」。

その二日前、オバマ前大統領は公民権運動に多大な貢献をした故ジョン・ルイス議員の葬儀で久しぶりに大きな演説を行った。そこで彼はこう述べた。「ジョン・ルイスは、民主主義への脅威と戦い、米国の理念のために戦った。彼の人生は合衆国設立の理想を実証するものであった。地位も富も名誉もない普通の人が我が国の問題点を指摘して団結し、これまでのあり方に対して声を上げることで、自分たちの力によって、愛するこの国を我々が掲げる最も高い理想に近づけることができるという考え方である。これは最もアメリカ的な考え方である。なんと急進的で革命的な考え方だろうか。我々の誰もが、そしてトロイ(ルイス氏の出身地)の若者が権力に立ち向かい、『これは正しくない。正当ではない。正義ではない。我々はもっと(社会を)良くできる』と言えるのだ・・・アメリカはこのような人たちによって作られた。ルイス氏のような人たちによって作られたのだ。彼らは我が国を、我々の最も高い理想に近づけてきた・・・」1

このような志の高い演説を行い、「普通の人」でも持っている力により国を最も高い理想に近づけられる可能性を秘めているというメッセージも、「アメリカらしい」。

オバマ前大領領はエリート出身ではなく、両親は彼が幼い頃に離婚し、黒人との混血という社会的に不利な状況で母親一人の手によって育てられた。父親はケニア人で、奨学金を受けてアメリカの大学に留学中に母親と出会ったそうである。これもまた「アメリカらしい」バックグランドである。

そして、オバマ前大統領の演説の少し前に、トランプ大統領はTwitterで11月の大統領選の日程を延期すべきだとツィートした。理由は、郵便投票には不正があり、選挙結果を信頼できないからだと述べた。大統領には延期する権限は無く、議会の有力者はすぐさま延期を否定した。

また、ここ最近、トランプ大統領はアメリカ合衆国郵便公社(US Postal System;USPS)を執拗に攻撃し、公社のトップ人事と幹部層を自分の支持者に入れ替え、支援停止を牽制し、なんと郵便物区分機の撤去まで開始して、明らかに郵便の配送を幅に大遅らせようと画策している2。 狙いは郵便投票の配達を遅らせて、無効票にする作戦である。

民主主義大国であるはずのアメリカで、投票の弾圧や民主主義を脅かすような制度変更が計画されている。このような行為は、アメリカらしくないのではないか?いや、実はアメリカの歴史と近年の動向を見ると、これも「アメリカらしい」言動や行動様式なのである。アメリカに共存する複数のロジックの現れである。

投票の弾圧

これまでのコラムでみてきたように、アメリカの歴史には複数の勢力争いの構図がある。人口が少ない州対人口が多い州、連邦政府対州、南部の経済圏対北部の経済圏、そして、複数の州における境界線とは異なる文化圏での勢力争い。その勢力争いの中で、幾度となく妥協の犠牲となってきた黒人の経済機会の格差についても、前回紹介した。そして、もちろん共和党対民主党の終わりなき権力争いも繰り広げられて来た。

投票で決まる民主主義政治は、有権者に対して政策の成功を票という形で示し、当選者に権力を与えることが理想的であり、政策の失敗は落選という形で罰せられる。ある意味、究極の成果主義を目指しているのだ。

しかし、以前にも述べたように、有権者の短期的な利益と長期的な利益は異なり、有権者がどのようなルートで情報収集し状況把握するのかも票に影響してくる。そして、民主主義の様々な制度設計により、どの有権者の票を重視するかで、票がどのような結果につながるのか決まる。例えば、アメリカでは地方の州が「多数による弾圧」を受けないように、上院の議席数は人口比にはなってない。

今回紹介するのは、民主主義の制度設計と、その制度を運用することで生じる結果を左右させる様々な取り組みである。端的に言うと、テーマは「投票の弾圧」である。

多くの被選挙人にとって、相手よりも少ない票しか取れそうにない場合、どのようにすれば相手よりも多くの票を得ることができるかが勝負どころである。権力を掌握できるか否かがそれにかかってくるからである、それが死活問題だと言わんばかりに、あらゆる手段で相手よりも多くの票を取ろうとするインセンティブが働く。

その一つが「有権者数を減らす」ことである。イギリスでもフランスでも、そしてアメリカでも民主主義の根底にあるのは「有権者は誰なのか」ということであり、その答えによって権力構図が大きく変わる。

民主主義成立当初はエリートの貴族しか投票権がなく、一般大衆にとっては、自分たちが持てないような大きな土地を所有していることや所得や教育の水準などが投票権を得るためのハードルとなっていた。

アメリカには合衆国創立前から複数の文化が存在していたが、ミドルクラスを重視して投票権を広く設定した「ミッドランド」(現在のオハイオ州やミシガン州辺り)や、市民全員が参加して政府を通じて理想の社会を作り上げようとした「ヤンキーダム」(現在のマサチューセッツ州近辺)は、投票権の拡大を急いだ。これらの地域とは対照的に、イギリスの貴族社会を再現しようとした「タイドウォーター」(現在のヴァージニア州近辺の東海岸)やカリブ海の奴隷社会を再現した南部は、少数のエリートが人口の多くを占めており、土地を所有しない小作農や黒人奴隷といった大衆に投票権を与えることは自らの権力を失うことにつながるので、積極的な投票権の拡大を拒んだ(コラムの後半で、これらの地域性をさらに詳しく紹介する)。

歴史上多くの国で、女性の投票権が認められるまでには残念ながらかなりの時間がかかった。西欧諸国では20世紀になるまで認められず、アメリカでは1920年まで認められなかった。余談だが、州になる前のワイオミング領土では、1869年から女性の投票権が認められていた。国として最も早かったノルウェーですら1913年であり、イギリスとオーストリアは1918年、ドイツとオランダは1919年であった。

以前のコラムで、南北戦争後に解放された黒人奴隷に対する投票の弾圧を紹介した。その手段として、警察ではない市民武装集団、土地の所有、納税額、教育水準などがあり、公正でない検査官による弾圧などがあったことも紹介済みである。

今回は、これ以外にも日本からみるとショッキングな手段をいくつか紹介したい。

選挙区割りを操作することで、過半数に至らなくても議席を全て獲得する方法。投票登録のルールを選挙直前に変更するなど、あらゆる手段で無効にする方法。投票所の多くを閉鎖する方法。国勢調査でカウントする人を減らす試み。郵便投票は不当だとして、郵便公社の資金と設備を減らし経営を混乱に陥れて、著しく配送を遅らせることで、郵便投票を無効にする試み。前科者の投票権を剥奪すること、等々である。

これだけ並べると、どこの国だろうと思われるかもしれないが、民主主義の導入が功を奏して世界経済のトップに躍り出て、冷戦勝利後も依然として世界中に多くの軍事基地を保有し、ここ数年おかしくなってはいるもののまだまだ底力が強いアメリカでは、このような手段の多くは全く新しい話ではない。これらの手段には歴史的な背景があり現在まで続いており、トランプ政権と共和党が権力を維持するために積極的に活用している。今後11月の大統領選に向けて、このような手段を大胆に用いた激しい戦いが繰り広げられるだろう。

このような手段は日本の感覚とはあまりにもかけ離れているので、一つずつ紹介したい。これらを顧みると、日本の選挙制度がいかによく設計されており、不当な戦いをあまり派手にせずに済んでいるかが分かるかもしれない。もちろん日本の政治にも多くの課題があるが、この後紹介するような戦いが基本的にないのは幸いと言えるかもしれない。しかし、このような戦いを繰り返し、権利が剥奪されるのを黙認せず、守ったり、奪い返したり、あるいは獲得するために戦い続けるからこそ、逆にアメリカの民主主義は強いという見方もできる。

選挙区割りの操作:「ジェリーマンダリング(ゲリマンダリング)」

選挙区割りを操作するジェリーマンダリング(日本語では「ゲリマンダリング」と表記されるが、ここではアメリカ英語の発音表記とする)はコンセプトとして若干わかり難いが、図で表すと非常に鮮やかな手法であることがわかる。

アメリカの地方選挙区では、winner-takes-all制度により、議席の過半数を獲得すると、その地域の全ての議席を獲得できる。例えば、ある地域が10の選挙区に分かれており、それぞれ1議席ずつ選出する場合、6議席を獲得すると10議席全てが手に入ることになる。この力学により、地域内の4つの選挙区で圧勝し、地域全体では得票数を多く獲得できたとしても、相手がギリギリでも6つの選挙区で勝利すれば、その地域の全ての議席が相手に奪取されてしまう仕組みとなっている。

ある地域に50人が住んでおり、6割が青、4割が赤を支持するとしよう。どのように選挙区割りすれば赤が勝利できるだろうか。下記の図をみると、非常に分かりやすい。

Kushida9_1.png

https://www.washingtonpost.com/news/wonk/wp/2015/03/01/this-is-the-best-explanation-of-gerrymandering-you-will-ever-see/

左端の図のように、赤と青の支持者が地域ごとにきれいに住居が分かれていた場合、左から2番目の図が、最も正確にこの地域の選挙区割りを表している。3つの選挙区で青の支持層が100%勝ち、残り2つの選挙区では赤の支持層が100%勝つが、結果として青が過半数なので、この地域では青が勝利することになり、5つの議席全てを獲得する。左から3番目の絵のように選挙区を横線で区割りした場合、こちらは全ての選挙区で青が勝つことになる。結果として、こちらも5議席全て青となる。ただし、このような状況だと全ての選挙区で赤はマイノリティーなので、どの区でも彼らの主張を取り上げてもらえない可能性が高い。それでは、一番右の絵を見てみよう。このような選挙区割りにすると、2つの選挙区では青が圧勝するが、3つの選挙区では赤が過半数を取れる。結果、赤の勝利となり、人口比率は4割なのに5つの議席全てを赤が取得できてしまうのである。

これがジェリーマンダリングの究極の姿である。

ここ20年余り共和党は積極的に選挙区割りの変更を進めている。なぜなら、選挙区割りは州によって定められており、州知事や議会が共和党によって占められている州が多いので変更し易いこと、また共和党の支持基盤には人口密度が低い州も多いため区割り変更の効果がわかりやすいからである。

一度選挙区割りを変更すると、政権交代は格段に難しくなる。

また、民主党の支持者は共和党に比べて一定地域に集中して住んでいる傾向が強いため、人口比率が大きい地域を有利にするような逆方向へのジェリーマンダリングの効果は限定的との見方がある3。 前回紹介した居住地域の集中度合いを示している地図やデータを見ると分かり易いが、黒人やラテン系の人は所属している所得層のせいもあり、数か所の限定的な地域に「押し込まれた」形で集中して住んでいることが多いので、格好のジェリーマンダリングの対象となる。

ワシントンポストが2014年時点のアメリカで最もジェリーマンダリングが極端な選挙区を紹介したところ、下記のような結果となった。

Kushida9_2.png

https://www.washingtonpost.com/news/wonk/wp/2014/05/15/americas-most-gerrymandered-congressional-districts/

これは違法ではないのか?もちろん、長い間数多くの裁判で争われてきた。しかし、2019年6月に連邦最高裁判所が衝撃の判決を下した。この判決によると、なんと連邦最高裁判所は州の選挙区割り操作には関与できないのである。もちろん一人一票の原則はあるけれど、政党の優位性を政治的に変えることに関しては、連邦最高裁判所の権限ではないというのである。この判決は連邦最高裁判所の裁判官が5対4で決議したギリギリの判決であるが、その議決は保守派対リバラル派ではっきり分かれていた。

連邦最高裁判所の政治的な役割:持続的な政党の影響力、政治とカネに関する判決

歴史的には「連邦政府ではなく州の問題」というロジックで州任せにされてきた数多くの法律の領域が、人種差別や人権侵害の上に成り立った南部州の社会構造の擁護につながっていたことは、前々回のコラムで紹介した通りである。

上記のジェリーマンダリングを実質的に容認する連邦最高裁判所の判決は、これらの歴史的な人種差別を擁護する法律を州の領域から連邦政府の領域に変えた連邦最高裁判所の判決のように、いずれ別の機会に覆される可能性がないわけではない。例えば、ジェリーマンダリングを容認することで実は特定の政党の加担することになるので、区割りに介入した方がニュートラルだという、2019年判決のロジックと似てはいても逆方向の結果につながる判決が下るかもしれない。

そこで、連邦最高裁判所の政治的に重要な役割を紹介したい。連邦最高裁判所の裁判官は終身雇用で、その判決は社会に多大な影響を与えることがあるので、どのような人物を任命するかによって、判決のみならず社会が大きく変わってくる。民主党政権時には中央および左寄りの人、共和党政権時には右寄りの人を任命すると、選挙結果により与党が変わっても、連邦最高裁判所の裁判官の過半数が任命当時の与党の価値観を持っていた場合、政権交代後もその価値観が保たれ、間接的に権力を発揮し続けることができる。

連邦最高裁判所の裁判官を任命するのは大統領で、上院議会の承認も必要である。

オバマ前大統領時代に、この制度は思わぬ政治権力闘争に巻き込まれた。民主党のオバマ前大統領が空席となった連邦最高裁判所の裁判官を任命しようとした際、共和党が過半数を占めていた議会が強硬にそれに反対し、結局任命できなかった。このようなことは前代未聞であり、制度上可能ではあるが実行しないという暗黙のルールを破るものとして、政治学者の間ではこれを危惧する声が上がった。その後、トランプ大統領によって右寄りの人物が裁判官に任命されたのである。

連邦最高裁判所は様々な領域で政治に巻き込まれている。例えば、企業法人は人であると認め、企業による政治献金は「発言の自由」に該当するので、その上限はこれに反するとして上限を外した。2010年に下された「企業やNPOも人と同じく政治献金できる権利がある」という別の判決と併せて、企業が膨大な政治献金をすることを実質的に可能にした4。 これによって、アメリカにおける「政治と金」の「金」の部分が激増し、企業が自社にとって都合の良い政策を買収することが容易になったのではないかと懸念された5。 実際に政治献金がどれだけ行われ、選挙戦での勝利にどの程度貢献し、政策にどのように影響したのかを正確に研究することは難しく、多くのシンクタンクが左寄りもしくは右寄りの思想に沿って「影響した」とか「影響しなかった」というレポートを次々に出しており、学術的に中立なレベルで立証できる真相ははっきりしていない。しかし、下院議員が選挙に使った平均的な金額は、1978年の24万ドル(インフレを考慮して2016年のドル価値ベースに換算した金額)から2016年には112万ドルに増えているので、連邦最高裁判所の判決に対しては法律学者などが強い懸念を抱いている。明らかに右寄りの企業を重視する判決であり、左寄りの人の「人権尊重」とは大きく離れた思想である。

「投票登録」で現在も続く投票弾圧

以前のコラムでも紹介したが、有権者の観点からみると、投票プロセスは日本とアメリカとではかなり異なる。日本では住民票の登録に基づき、投票権がある人には登録住所に案内ハガキが送られて来る。選挙日に指定された投票所に行くと、身分証の提示も必要なく名前を確認されて投票できる。

アメリカのほぼ全ての州では事前登録が必要で、これが厄介なのである。そもそも日本の住民票に相当するものがなく、国民背番号("Social Security number;社会保障番号)はあるが、住所と連動していない。運転免許証は州単位で発行されており、住所欄はあるものの、そこに記載されている住所に住んでいなくても罰則はない。納税のための書類には「郵便物受取り住所」と「固定住所」両方の記入が可能であり、それぞれの住所の州が異なっていても全く問題ない。したがって、誰がどこに住んでおりどこの選挙区に所属しているのか、投票登録で確認する必要があるのである。

投票登録は任意なので、登録していない人には罰則は無いが、投票権も無い。18歳になると選挙権が得られるが、投票登録せずに当日投票所に行っても名簿に名前がないので投票できない(ノースダコタ州だけは例外である)。

ここで重要なのは、現在の共和党にとっては、投票率が少ない方が有利となり、投票率が高いほど不利になるという力学である。

実は、トランプ大統領もこの点についてテレビインタビューで述べている。3月のFox Newsでのインタビューで、経済復興の緊急予算に郵便投票を増やす措置に関する予算が盛り込まれていることについて、大統領は「あの措置により投票率は高まり、そんなことに合意したら共和党候補はこの国では二度と当選できないだろう」と発言している6

いかに少ない得票数で多くの議席を取るかが勝負の分かれ目となる共和党は、投票率が高いと困るのである。一方、低所得層や有色人種、若者の支持者が多い民主党にとっては、これらの比較的投票率が低い人たちが投票してくれると有利になるのだ。

投票日を平日に設定している力学

アメリカでは大統領選の投票は平日に行われる。休日でも週末でもなく平日である。日本では多くの人が出勤しなくても良い日曜日が投票日なので、論理的に投票率が上がる。アメリカはその逆で、民主党支持者が多い低賃金労働者や大学生といった若者が投票に行き難い平日が投票日となっており、民主党にとって不利である。従って、共和党は投票日を変える措置には断固として応じず、必死に防ぐのである。権力を維持するためには死活問題なので、尋常ではないエネルギーを費やしているのである。

選挙直前での投票登録に関わるルール変更

最近の選挙では、知事が共和党所属の州で投票登録制度を巡る変則的な動きが目立って重なり、もはや選挙戦略になっている。

2018年のジョージア州の知事選は、共和党ブライアン・ケンプ氏(白人男性)と民主党のステイシー・エイブラムズ氏(黒人女性)の戦いとなった。エイブラムズ氏はイエール大学のロースクール出身で、弁護士、ジョージア州議員、小説家、そして人権運動のNPO設立者というキャリアがあり、一方ケンプ氏は2010年からジョージア州務長官だった。

州務長官は選挙を管理する立場にあり、そもそもそのような立場の人が知事選に出馬していいのかという議論もあったが、明らかなルール違反ではなかったためケンプ氏はそのまま出馬した。そして、2018年の選挙に向けて選挙登録関連の様々なルール変更が実施されたのである。

まず、一定期間投票していない人に対して再登録が義務付けられた。しばらく投票していないと投票権が無くなってしまうのである。これは、低所得者で情報が入りにくい人、低賃金で長時間労働している人、選挙にあまり興味がない人にとって投票のハードルを上げることになった。共和党の支持基盤となっている強固な支持者は毎回必ず投票するので影響を受けないが、政治に無関心な層や浮動票は民主党に投票する傾向があるので、これらを極力減らす作戦である。

2017年には”Exact match policy”という制度が施行された。これは、運転免許証と年金行政の名前が100%一致していないと、投票登録が無効とされる制度である。日本人の感覚では大したことなさそうに思われるかもしれないが、実はこれも厄介である。日本の感覚でいう「名前」とは異なり、実はかなり多様で幅広い影響を与えることになる。

黒人や移民、有色人種の名前には、ハイフンやアクセント、ティルデ(波線符号)、スペース(空白)といった記号が多く含まれており、これらは一般的には省かれることが多い。したがって運転免許証等の名前と選挙登録の名前の完全一致を義務付けることは、どう見てもトラップなのである。例えば、Cortézという苗字は、PC入力の制約などもあり、一般的にはCortezで通っているかもしれないが、eの上のアクセントが必要なので、運転免許証がCortézとなっていて選挙登録をCortezで申し込んでいたらアウトとなる。Nuñezという苗字も、人によってはNúñezだったりする。

しかもファーストネーム、ミドルネーム、ラストネームという名前構成が一般的だが、文化によってはミドルネームは親が考えた名前だったり、母親の旧姓だったりする。しかも、ラテン系の多くの人は元スペイン領土だった地域出身の移民やその子孫だったりするので、ファーストネーム、ミドルネーム、ラストネームだけではなく、キリスト教カトリック系の影響を受けてファーストネームも二つに分かれていたり、母親の旧姓がミドルネームになっていたりする。したがって、Miguel Carlo Ramos Santosという名前はMiguel Carlo がファーストネーム、Ramosがミドルネームで母親の旧姓、そして苗字=ラストネームがSantosなのである。このような場合、ファーストネームにスペース(空白)が入っているのだ。このような名前はラテン系以外にもカトリック系の人が多いフィリピン人にも多々見られるが、白人にはほとんどいない。このような名前の人は日常生活の99%はMiguelで通っているかもしれないが、運転免許証にはファーストネームが両方記入してあり(Miguel Carlo)、選挙登録ではうっかりMiguelとだけ登録してしまうかもしれない。最悪の場合、州の行政官が選挙登録をパソコンに打ち込む時に、行政のシステムが空白を想定してない可能性もある。あるいはファーストネームで認められている文字の上限数が10文字だったりする可能性すらある。

スペイン系の中でもラテン系の名前に多いDe La Rosaという苗字は特に難しい。スペイン語での正式名称は小文字のde la Rosaであっても、英語では最初の文字が大文字ではなくてはならないこと多いので、De la RosaとなるかDe La Rosaとなるのか、かなりいい加減に決められることがある。スペイン人のF1ドライバーの名前が Pedro de la Rosaであるように、De La Rosaという名前はアメリカでも頻繁に見かける。Dela Rosaというスペルもあり得る。一方の登録の苗字がDe la Rosaであれば他方の登録の苗字も De la Rosaであるべきで、全てが完全一致しなければならない場合には、それをチェックする人の方が混乱してしまう可能性もある。

このような名前を巡る問題のほとんどは、白人以外の人にしか当てはまらず、対象となる人には民主党支持者が多い。

また、アメリカでは、結婚後に旧姓と結婚相手の苗字を繋げて新しく苗字を作ることも珍しくない。例えば、アメリカの歴史にきちんと奴隷の歴史を組み込んで語るという、ニューヨークタイムズが展開している「1619プロジェクト」を発案し、ピューリッツァー賞を受賞したNikole Hannah-Jonesは父親の苗字がHannahである。このように旧姓を繋げて新しい苗字を作り出すケースは黒人に多い。このような名前だと、ハイフンが抜けていたり、結婚して間もないタイミングで旧姓と新しい苗字が年金行政に登録されていなかったりしたら、投票登録は無効になってしまう。また、フルネームでない表記も合致していないと無効になる。ThomasをTomと登録してしまう場合などである。これは、どちらかというと教育水準が低い人を排除する目的である。投票登録を減らすためのこのような政策は、主に民主党支持者を排除することになり、共和党に有利になる。2017年には10万7千人もの投票登録が抹消された。

そして、2018年選挙の前月である10月には5万3千人の投票登録が保留にされた。その大多数は黒人であった。後に見つかった音声記録では、ケンプ氏は投票率が高くなることを懸念する発言をしていたことが明らかになった。

選挙直後の2018年11月11日に、民主運動のNPOが選挙直前に数千の事前郵便投票が無効とされたことは法律違反だと訴えた。三日後の11月13日に連邦政府の判事は、無効とされた事前郵便投票を有効として数えるよう指示した。それは選挙の一週間後であった。

結局、この選挙で勝利したのは白人男性のケンプ氏であった。あらゆる手段を用いて投票率を低く抑えていなければ勝利できなかった可能性が高い。

Kushida9_3.png

https://en.wikipedia.org/wiki/Stacey_Abrams#/media/File:Stacey_Abrams_in_May_2018.png

Kushida9_4.png

https://en.wikipedia.org/wiki/Brian_Kemp#/media/File:David_Perdue_and_Brian_Kemp_(cropped).jpg
ジョージアの州知事選で争ったエイブラムズ氏と勝者のケンプ知事

次は、ノースダコタ州の話である。こちらも2018年の州知事選が行われる直前の10月にルール変更が行われた。新しい投票身分証明書に関するルール変更であった。投票に際して、名前、誕生日、住所を記入したIDを提示することを州民に義務付けたのだ。一見全く問題がないように思えるが、実はノースダコタ州の州民の5%は先住民であり、その多くは慰留地に住んでいる。その慰留地には○×ストリート△番といった住所表記が無い。郵便物の配達と受取りには、一昔前の「郵便ルート」表記かポストボックスを利用するしかないのである。ちなみに、私の祖母はミネソタ州の田舎に住んでいたが、私が子供の頃には住所は単に「祖母の名前、Route 4、Isanti County, Minnesota」というとてもシンプルなものであった。20年ほど前に全ての道にストリート名が付き、住所は番号付きのものに変えられた。

住所が表記されたIDがないと投票ができないという選挙直前でのルール変更によって、先住民の選挙権が実質的に奪われてしまった。

この選挙では、現職の民主党下院議員の白人女性が共和党の白人男性から挑戦を受けており、州知事は共和党であった。この現職の民主党議員の支持者には先住民が多かった。実はこの法律改正は2013年頃から共和党が身分証明書に関する義務を強化しことに始まり、段階的に身分証明書として認可する書類を絞って行ったのである。2018年の選挙直前に行われたルール変更は明らかにタイミングがおかしかったので、先住民の何名かが訴訟を起こしたが、翌2019年7月に連邦最高裁判所はこの変更を合法と認めた7

選挙では民主党の現職議員が敗れた。2018年選挙での彼女の負けは先住民の投票だけで左右されるほどの僅差ではなかったが、2012年に勝利した時には3000票差というかなりの僅差での勝利だった。その後に共和党が推進した選挙ルール変更のタイミングをみると、その狙いは分かりやすい8。 逆に、連邦最高裁判所が違法ではないとの判決を下したことで、「民主主義の運用ルールの変更」によりどちらか一方に有利な状況を作り出せることが明らかになった。違法な投票弾圧だけではなく、制度を上手に活用した例もあるということだ。

Kushida9_5.png

ノースダコタ週の先住民慰留地
https://time.com/5442434/north-dakota-voting-law-native-american-activism/

しかし、これも投票弾圧には変わりなく、民主主義の理想からは一歩後退した形になる。

ちなみに、先住民団体が別に起こした訴訟の判決によると、2018年制定ルールでは身分証明書として認可されるのは運転免許証か運輸省が発行する身分証明書に限定された。多く先住民にとって、そのような身分証明書を受け取れる場所は限られており、非常に遠いところにある。ノースダコタ州は人口75万人しかいない州で、何十キロどころか何百キロも離れた行政府のオフィスに行かないと選挙に有効な身分証明書を発行してもらえないので、選挙直前にルールが変更されると実質的に投票弾圧になってしまうのである。

投票所を減らす

投票率を下げるもう一つ簡単な戦略は、投票所を減らすことである。自分の支持基盤地域の投票所は残し、相手の支持基盤地域のものを積極的に減らせば、より効果的である。前回のコラムで紹介したように、しかも相手の支持基盤が地理的に密集していれば尚のこと効力を発揮する。この戦略に基づき、共和党は特に南部で積極的に投票所を閉めているのである。投票のロジスティクスは州に任せられているので、共和党に属する知事の州は実行しやすい。

2019年の調査では、なんと南部では1200箇所以上の投票所が閉められ、全国では1600箇所を超えた。その背景には2013年の連邦最高裁判所の判決がある。この判決で1965年の投票権法に定められた規定が一部取り除かれたのである。取り除かれた規定とは、州ごとの選挙ルールを変える場合、実質的な差別につながらないことを事前に連邦政府に証明しなくてはならないという規定である。連邦最高裁判所は2013年の判決でルール変更は州に委ねることとし、実質的には差別に繋がる投票所閉鎖の戦略を可能にしたのだ。

2019年までに閉められた投票所は、主に黒人が多く住む地域だということが判明している。ジョージア州の7つのカウンティー(群)では、投票所が一箇所に減ってしまった9

民権団体によると、テキサス州では2012年以降750もの投票所が閉鎖されており、その多くは黒人やラテン系の人が住む地域のものだということが判明した10。 テキサス州は元来共和党支持が強い州であったが、最近の人口構成をみると白人以外の人口が急増しており、ジェリーマンダリングや投票率を低く抑える策を講じないと、民主党勢力がかなり強くなってしまう地域なのである。

2020年6月、パンデミックの最中、投票所を巡るトラブルが相次いだ。ジョージア州の主に黒人が多く住む地域では、暑さと雨の中5時間も待たされる投票所が数多く発生し、メディアで大きく報じられた11。 コロナウイルスの影響で投票所のボランティア数が例年より少なく、新たに導入された投票を数える機械がトラブルを起こしたことも事態に拍車をかけた12。 ニュースでは、すでに投票所が閉鎖される時刻になってもまだ外に長蛇の列が続いている映像が映し出された。投票所が閉まったので投票できなくなり、投票登録に問題が無いにも拘わらず、有権者が規定時間内にきちんと投票所に出向いて投票権を行使できないというシナリオである。民主主義国家では起こってはならない状況である。ネットに流れた動画には、このような状況で投票所の外で待っていた人たちが扉を叩き続けた結果投票所が再び開き、喜ぶ有権者たちが足早に投票エリアに向かい、途中カメラの前で立ち止まった黒人女性が18歳になった娘を連れており「娘の初めての投票であり、私達は自由のために頑張っているのだ」と感無量で涙を流しているものもあった。この動画を見ると、再開した投票所に流れ込んだ人のほとんどは黒人であった。

灼熱の雨の中を4、5時間待たなくてはならないので、体力や健康状態に問題がある人、平日に長時間仕事を休むことができない人、飽きてしまう若者、そして体力的に厳しい高齢者にとってはハードルが高い。これらの有権者たちには民主党の支持者が多い。

Kushida9_6.png

ジョージア州の選挙で長蛇の列で待つ人たち
https://nypost.com/2020/06/10/georgias-election-plagued-by-litany-of-problems/

2020年11月の大統領選では、トランプ大統領はジョージア州を押さえないと苦しい展開になる。そうなると、11月の投票弾圧の動きはこの程度では済まないだろう。

郵便投票を抑えるために郵便公社を潰す作戦

投票所が減り長蛇の列に並ぶことを余儀なくされた場合、多くの人は事前に郵送で投票を行う方法を取るであろう。Mail-in-votingという制度があり、事前に登録すれば住居に投票用紙が届き、投票日までに郵送すれば有効票となる簡単な仕組みである。

しかし、共和党および大統領にとっては、郵便で簡単に投票できると投票率が上がり、投票率が上がると落選する可能性が極端に高まるので、郵便投票をできるだけ弾圧するような選挙戦略も取られている。

この戦略の裏には、トランプ大統領が以前から繰り返し主張している「郵便投票は不正投票の温床である」という発言がある。ちなみに、Fox News以外の全てのメディアでは、最近は大統領のこのような発言を報道した後に「それを証明するような事実はどこにも認めらない」と付け加えている。

皮肉なことに、トランプ大統領は自ら郵便投票で投票している。しかも、自身の選挙登録に違法行為があったというクレームが付けられている。2019年9月の選挙登録では、住所をホワイトハウスとしながら、選挙区をフロリダ州にある自分のリゾート施設として登録したのである。フロリダ州の規定では、実際に居住している地区でしか投票登録できず、実際に住んでいないのに登録することは違法であると明記されており、罰金も伴う。また、別の観点から州に寄せられたクレームによると、このリゾート施設は宿泊施設であり居住施設ではないので、この住所は選挙登録には使えないとのことである13。 しかし、フロリダ州知事は強固なトランプ支持者なので、州として黙認している。

ここまでなら笑い話で済むが、今年になってから大統領がとった戦略は実に恐ろしい。

それは、「郵便公社を破産させる」試みと、自ら任命した人物を郵便公社のトップに送り込み経営を混乱させて配送を著しく遅らせるというものである14。なんとすでに経営層はかなり入れ替えられており、驚いたことに大型の郵便区分機が数多く撤去されたという証言が相次いでいる。そのため、USPSは46州に対して、郵便投票の配達が期限に間に合わない可能性が高く、投票が無効となる恐れがあると通告している15。 さすがにこのことは、Fox Newsでも報道されている16

郵便を投票日に発送しても、作業が遅れて当日の消印がつかない場合には無効票となってしまう。州によって制度が違うので、一定期間内に郵便投票が集計所に届かないと無効票になるという州もある。郵便公社の設備を撤去して郵便投票を実行できない状況に追い込み、さらに投票所を減らし長蛇の列に耐えられない数多くの人の投票権を無効にすることで投票率を下げて、勝利を狙うというシナリオである。

これまで述べてきた様々な戦略を考慮すると、選挙直前に突然、指定日までに集計所に届かない表は無効票になるという規制を新たに設ける州が現れてもおかしくない。

このような戦略は、たとえフィクション作品であっても、非現実的過ぎて出版社が受け入れないのではないかと思うが、実際に現在進行中の戦略なのである。アメリカのメディアでも、この戦略は大きく取り上げられ始めている。

しかも、トランプ大統領と共和党の主張が建前だということがわかる発言が8月第二週に行われた。大統領は「郵便投票は不正が多いので禁止すべきだ」という主張に加えて、「フロリダ州だけは良い州知事(共和党所属で強固なトランプ支持者)がいるので郵便投票は残すべきだ」と発言した。フロリダ州の選挙に詳しい人によれば、フロリダ州は気候が温暖で税金も安いので、全国から数多くの高齢者が移り住んで来ており、このような人たちには共和党支持者が多いので、彼らに郵便で投票してもらわないと困るというロジックが働いているそうである。

Kushida9_7.png

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Small_USPS_Truck.jpg

ちなみに、2018年のフロリダ州知事選では僅差で共和党候補が勝利としたが(相手は民主党の黒人男性候補であった)、選挙後にマイアミ市の郵便公社の鍵のかかった部屋に大量の票が放置されていたのが見つかった。選挙管理事務局は、これらの票は開票当日の午後7時までに集計所に届かなかったので無効票としたと発表した。

フロリダ州は、2000年の大統領選でも民主党候補のアル・ゴア氏と共和党候補のジョージ・ブッシュ氏(息子)との間で紙一重の差で勝敗が決まった州である。最初の投票結果では0.5%以下の差だったので、州の規定により数え直しとなり機械で数え直したところ、300票程度の小差でブッシュ氏の得票がゴア氏の得票を上回った。そこで、ゴア氏はフロリダ州の法令に基づき4つの郡で手作業による数え直しを訴えた。その結果、数え直しの期限などについて民主党と共和党との激しい争いが繰り広げられた。結局、連邦最高裁判所が初めて大統領選に介入して、この選挙では実質的にブッシュ氏を勝者と認定したが、多くの法学者に聞いてもほぼ全員が、連邦最高裁判所に権限がある領域ではないと述べている。当時フロリダ州では投票用紙にパンチで穴を空けて投票する仕組みであったが、パンチで穴を開けた部分の紙がまだ投票用紙に付着していたら無効票とすべきか数え直しの対象とすべきかといった細かい点が、紙一重の選挙結果では非常に重要になるので、このような点を巡って強烈な政治争いが繰り広げられ、大変な選挙であった17

今回の大統領選では、あらゆる手段を使った投票率を抑える戦略が数多く展開されることは容易に予想できる。

国勢調査では民主党支持者が多いグループをカウントしない

最後に、アメリカでは10年に一度行われる大規模な国勢調査について紹介したい。この国勢調査によって人口構成を把握し、州単位の人口によって下院の議席数が決まる。連邦政府から州に割り当てられる医療保険や教育、そしてハイウェイなどのインフラ投資額も国勢調査に基づいた人口や人口構成で決まるのである。例えば、国内と海外から大量の移住者がある街に来たら、国勢調査でその街の人口と人口構成の新たな実態がわからないと、学校の数、インフラ整備の予算、地域に割り当てられる社会保障の予算、医療機関の数と配置、公共交通網への補助金など、実に様々な連邦政府からの補助金額が足りなくなってしまう。毎年新たな人口が予想で計算されるが、5年に一度の小規模な国勢調査と、10年に一度の大規模の調査結果が最も大きく影響する。

郵送されてくる国勢調査への回答は法律で義務付けられている。しかし、回答用紙を返送しなくても罰則はない。そこで、これまでこのコラムで述べてきた複数の力学が働く。

国勢調査で人口数と人口構成を正確に把握できない方が共和党にとっては有利なのである。都市部は民主党支持者が多く、都市部の人口が増えるとその地域を含む州の下院での議席数が増えるからである。逆に、地方の州が支持基盤の共和党は、人口が減ったことが正確に把握されると議席数が減ってしまう。

つまり都市部での人口増加を把握できない方が共和党に有利なのである。同時に、都市部の人口のうち、移民や低所得者、そして黒人などが住む地域にリソースを配分したくない共和党の有権者も多い。したがって、これらの人々には国勢調査に協力しない方が良いというデマを流した方が共和党にとっては有利となるというロジックになるのだ。

また、アメリカには不法移民も数多くいる。彼らが住んでいる都市や地域では、人口に比例して、インフラや福祉・教育に関わるコストがかかるので、通常は不法移民の数も国勢調査で捉えて正確に人口を把握した上で、連邦政府から予算が割り当てられる。そうしないと不法移民が多い地域ではライフラインサービスや公共交通機関、また様々な福祉施設が人口に比べて足りなくなり、不法移民でないアメリカ国民に負担がかかる。緊急搬送のための救急車が足りなくなったり、公立学校の収容数を超えて教育の質が下がったりするのである。

不法移民が成立している背景には、農業などの最も厳しい肉体労働は不法移民が安い給料と厳しい環境で長時間労働することが暗黙の了解となっており、家を掃除するヘルパーやベビーシッターも安い賃金で働く不法移民が多いということがある。不法移民の絶対数は予想しにくいが、全人口の3%程度、つまり1000万人位いるとされている18。もちろん、不法移民は有権者ではないが、有色人種が多いため、国勢調査である程度数が把握されると、白人の人口比率が一層減っていることが分かってしまうのである。移民の話は別コラムで詳細に紹介するが、不法移民が合法移民になる手続きは存在するので、民主党政権下で不法移民が合法移民となり国民としてカウントされてしまうと、数の上で共和党に不利になってしまうという力学も働く。そこで共和党にとっては、そもそも不法移民をできるだけ国勢調査から排除した方が都合良いのだ。

共和党支持者は様々な手段で、不法移民だけでなく民主党支持者になりやすい有色人種の国勢調査の回答率を下げようとしてきた。例えば、ラテン系やマイノリティーのコミュニティーに「国勢調査に回答すると、税務署に調査される可能性が高くなる」といったデマ情報を流す。また、不法移民が国勢調査に協力すると居場所を突き止められて強制送還されるという脅しも流している。国勢調査局は、実際には不法移民を取締る行政とは異なるので、国内に在住している人とその特性を正確に調べているだけだと主張している。

例えば、国勢調査の結果、カリフォルニア州の人口が増えていることが分かれば、下院の議席数が現在の52議席より増えるかもしれない。同時に州内の地域への議席の割り当ても変わり、政治の勢力図が変わるかもしれない。

Kushida9_8.png

そこで、今回トランプ大統領がとっている戦略は、国勢調査を早めに終了させるというものである。なかなか回答が来ず人員を割り当てて調べるのに最後まで時間がかかるのは、黒人やラテン系の主に低所得者、そして移民が多い地域である。調査員が電話したり直接出向いたりして実態を把握する必要がある地域の調査がパンデミックにより難航しているので、国勢調査局は調査期間を4カ月延長する方針としていたが、急遽予定よりも1カ月早く終了することを発表した。国民の権利を主張するNPOなどは、これに反発し明らかに政治目的であると主張している。正確に国勢調査を実施するのあれば、予算カット以外の理由で早く終わらせるには根拠が薄い19

前科者から投票権を剥奪

前回のコラムで紹介したように、黒人は人口比率に対して囚人となる人が際立って多い。それを受けて、多くの州では選挙権を剥奪する絶好の機会だと捉え、歴史的に前科者は投票権を失うという法律があった。

条件は州によって様々である。2016年時点ではアメリカ人口の2.5%が囚人か前科者であるという理由で投票権を失っている。

継続して投票権を失う規定を定めている州がほとんどで、17州(とワシントンD C)では収監中だけだが、19州では収監中だけでなく執行猶予中と仮釈放中も投票権を失う。前回のコラムで紹介した通り、白人に比べて黒人の囚人の方が仮釈放となることがかなり多い。多くの黒人の囚人はこの期間は投票権を失っているわけである。8つの州では、ある条件を満たすと一生投票権を剥奪されてしまう。例えば、アリゾナ州では二度以上囚人となると投票権を一生失う。かなり軽い罪でも二度犯してしまうと二度と投票できなくなってしまうのである。

カリフォルニア州、ニューヨーク州およびコネチカット州では、収監と仮釈放が終われば直ぐに投票権は戻ってくる。

アイオワ州が最も厳しく、一度収監されると二度と選挙権は戻ってこない。アイオワ州では、今回のBlack Lives Matter運動の影響を受け、この制度を廃止する動きが出ている20

以前のコラムで紹介したアメリカ文化圏の「11の国」のうちニューイングランドを中心とした「ヤンキーダム」では、面白いことに合衆国創立前から積極的に市民の政治参加を促す文化が根付いており、メイン州とバーモント州では収監中でも投票権を失うことはない。

投票権剥奪の状況を地図で示すと、驚く部分と当然と思われる部分に分かれる。

Kushida9_9.png

2016年に投票権を失っていた率
https://ballotpedia.org/Voting_rights_for_convicted_felons

濃い赤が最も投票権を失っていた率が高く、2016年時点でフロリダ州やミシシッピ州では州民の約10%が投票権を失っていた。それ以外で赤が濃い州は、歴史的に奴隷制度を基盤としていた南部とほぼ合致する。しかも、合衆国創立前から少数の白人の農園主に対して何倍もの数の黒人がおり、南北戦争後いち早く黒人に対する投票の弾圧を行ってきた州である。

薄い赤の州には、「ヤンキーダム」やカリフォルニアにあった「レフトコースト」などが含まれている。

アメリカの選挙での幅広い戦い。そして外国の介入

民主主義国家であるアメリカの選挙で投票権を巡ってここまで深く激しい戦いが繰り広げられていることは、日本の感覚では到底考えないだろう。しかし、残念ながらパンデミック対応でのこれまでの失敗と期待できないこれからの戦略を考えると、経済が1930年代の大恐慌以来のダメージを受けている中、他人事ではなくなってしまった。

ここまで、ロシアを始めとした外国による選挙への介入の話しにはまだ全く触れていない。8月7日、アメリカの情報当局の選挙保安部門のトップが、ロシアは今回のアメリカ大統領選でトランプ大統領の当選を援助し、対立候補のバイデン氏の当選を阻止しようと広範な介入を行っていると発表した。同時に、中国はバイデン氏を擁護してトランプ大統領の敗戦を狙っており、イランはアメリカの民主主義を損ない米国民を分断しようとしているとも発表した21

これから11月の大統領選まで、アメリカでは民主主義制度の維持、経済状況、パンデミック対応等、多くの想像を絶するような戦いが待ち受けているのである。


1 https://www.cnn.com/2020/07/30/politics/barack-obama-john-lewis-eulogy-full-transcript/index.html

2 https://www.npr.org/2020/08/11/901219097/how-are-postmaster-general-dejoys-changes-affecting-workers

3 https://www.vox.com/policy-and-politics/2018/4/2/17173158/democrats-gerrymander-segregation

4 https://www.nytimes.com/2014/04/03/us/politics/supreme-court-ruling-on-campaign-contributions.html

5 政治献金の制度のタイムラインは下記のリンクが分かりやすい。
https://www.opensecrets.org/resources/learn/timeline

6 https://www.washingtonpost.com/politics/2020/03/30/trump-voting-republicans/

7 https://www.courthousenews.com/eighth-circuit-upholds-north-dakota-voter-id-law/

8 https://www.nbcnews.com/news/us-news/north-dakota-native-tribes-settle-voter-id-lawsuit-combat-voter-n1137141

9 https://www.reuters.com/article/us-usa-election-locations-idUSKCN1VV09J

10 https://www.theguardian.com/us-news/2020/mar/02/texas-polling-sites-closures-voting

11 https://www.theguardian.com/us-news/2020/mar/02/texas-polling-sites-closures-voting

12 https://apnews.com/e7ea6e919fadb995c407eea3a4450176

13 https://www.washingtonpost.com/lifestyle/style/president-trump-tried-to-register-to-vote-in-florida-using-an-out-of-state-address/2020/06/03/687d0014-a4f2-11ea-b473-04905b1af82b_story.html

14 https://talkingpointsmemo.com/news/dems-accuse-trump-allied-post-master-of-partisan-games-amid-election-mail-delay
小泉元首相が「改革推進」と「抵抗勢力」とを分けるために、郵政民営化を上手に使い、国民に改革を訴えかけた当時の斬新な政治戦略を思い起こすかもしれないが、もちろんその戦略には郵便局を破産させる意図はなかった。

15 https://www.washingtonpost.com/local/md-politics/usps-states-delayed-mail-in-ballots/2020/08/14/64bf3c3c-dcc7-11ea-8051-d5f887d73381_story.html

16 https://www.foxnews.com/politics/usps-warns-46-states-cannot-guarantee-mail-in-ballots-will-arrive-in-time-for-election

17 https://constitutioncenter.org/blog/on-this-day-bush-v-gore-anniversary

18 https://www.brookings.edu/policy2020/votervital/how-many-undocumented-immigrants-are-in-the-united-states-and-who-are-they/

19 https://www.washingtonpost.com/local/census-bureau-says-counting-will-end-a-month-earlier-than-planned/2020/08/03/16990c5e-d5fb-11ea-930e-d88518c57dcc_story.html

20 https://www.nytimes.com/2020/06/16/us/politics/iowa-felons-voting-rights.html

21 https://www.cnn.com/2020/08/07/politics/us-intelligence-russia-election-interference-biden/index.html
https://www.nytimes.com/2020/08/08/magazine/us-russia-intelligence.html


<CIGS International Research Fellow 櫛田健児 シリーズ連載>

米国コロナ最前線と合衆国の本質
(1) 残念ながら日本にとって他人事ではない、パンデミックを通して明らかにするアメリカの構造と力学(2020年6月9日公開)
(2) 米国のデモや暴動の裏にある分断 複数の社会ロジック(2020年6月11日公開)
(3) 連邦政府vs州の権力争いの今と歴史背景:合衆国は「大いなる実験」の視座(2020年6月25日公開)
(4) アメリカにおける複数の「国」とも言える文化圏の共存と闘争:合衆国の歴史背景を踏まえて(2020年7月1日公開)
(5) メディアが拍車をかける「全く異なる事実認識」:アメリカのメディア統合による政治経済と大統領支持地域のディープストーリー(2020年7月8日公開)
(6) コロナを取り巻く情報の分断:日本には伝わっていない独立記念日前後のニュースの詳細および事実認識の分断の上に成り立つ政治戦略と企業戦略(2020年7月22日公開)
(7) 「国の存続」と「国内発展」のロジックにみる数々の妥協と黒人の犠牲(2020年7月29日公開)
(8) Black Lives Matterの裏にある黒人社会の驚くべき格差を示す様々な角度からのデータ、証言、そしてフロイド氏殺害の詳細を紹介(2020年8月7日公開)
(9) 投票弾圧の歴史の政治力学(2020年9月3日公開)
(10)AIの劇的な進展と政治利用の恐怖(2020年10月1日公開)
(11)大統領選直前に当たり、日本にはあまり伝わっていない投票権に関する動きとその裏にある合衆国の本質的な力学(2020年11月2日公開)
(12)日本に伝えたい選挙後の分析、近況と本質的な力学(2020年11月20日公開)
(13)深刻化するコロナ、拡散する陰謀説とその裏にあるソーシャルメディアの本質(上)(2021年1月6日公開)
(緊急コラム/14)米国連邦議会議事堂制圧事件の衝撃と合衆国の本質:これまでのコラムの要素に基づく解説(2021年1月12日公開)
(15)埋まらない米国の分断と分断を深める政治戦略:コロナ対策の大きな妨げ(2021年12月17日公開)
*続編は順次、近日公開の予定