その他  グローバルエコノミー  2024.06.12

【山下 in 東大】第8回「食料安全保障と農業政策」講義資料_2024

農業・ゲノム

第8回は日本の農業政策の歴史と思想について説明します。

現在の食料・農業政策には、戦前からの古い歴史があります。特に、高米価政策、農協制度、農地制度という今なお続く農政のアンシャン・レジームは、過去の歴史を受け継ぎ、これに規定されています。ここでは、戦前から戦後にかけてこれらの政策がどのようにして形成されたのかを説明します。

戦前、日本農業には、地主による小作人搾取と農業経営規模が極めて零細であるという二つの大きな問題がありました。農政が課題としたのが、小作人の解放と零細農業構造の改善でした。明治期、アメリカのような大規模な農業を目指すべきだとする大農主義も主張されましたが、小農主義が圧倒的に優勢でした。その小農主義は小農を保護すべきだというものではなく、地主支配を擁護する主張でした。一般的には地主は大農主義だという理解がありますが、それは間違いです。地主制は小農主義でした。小作人問題と零細な農業構造という問題はリンクしていました。その理由を説明します。なお、一般の人や農業界の人の認識と異なり、戦前の地主にはいわゆる大地主は少なく中小規模の地主が多数存在していました。

学会や政界で主流だった小農主義に敢然として異を唱え、大農でも小農でもない中農を要請すべきだと主張したのが、若き日の農政学者、後に民俗学者になる柳田國男でした。かれは零細な兼業農家が多くなるのは、まさしく国の病だと言います。農業界では、地主制を擁護する小農主義が大勢を占めていたため、農業の構造改革を唱える柳田の主張は主流の思想にはなりませんでした。

しかし、それは小作人解放を唱える農政官僚に受け継がれ、彼らの発案と主導によって農地改革は企画・遂行されました。一般の理解と異なり、農地改革はGHQの発案ではありません。戦後の経済改革の中で日本政府の発案になるものは農地改革のみです。農地改革で旧小作人が小地主となり農村が保守化したことを見たマッカーサーが、農地改革で実現した零細な農業構造という状況を固定化し、農村を共産主義からの防波堤にするため、農林省に無理やり作らせたのが、今の農地法です。農地改革の後に零細農業構造の改善のための(規模拡大という)農業改革を行おうとしていた農林省は反対しましたが、押し切られました。ほとんどが1ヘクタール規模の均等な小地主となった農村は、一人一票主義の農協によって組織され、自民党長期政権を支えました。農地法は戦後保守長期政権の影の功労者です。

しかし、農地を農地として利用するからこそ農地改革は実施されたのです。旧小作人が農業を止めたときはその農地は国が買収することになっていましたが、農林省の後輩たちによっていつの間にかその規定は廃止されました。こうして農地改革でタダ同然で入手した農地を宅地に転用して莫大な利益を得る農家が出てきたのです。

小作料は金納ではなくコメの物納でした。農業から離れ、寄生化するようになった大地主たちは、物納されるコメの値段を上げることによって利益を得ようとしました。米価をあげるためには供給を減らせばよいと考えた彼らは、コメ輸入を制限するためコメ関税導入の大運動をします。現在JA農協が減反政策による供給削減によって高米価を維持しようとするのと同じです。柳田國男やその後輩の河上肇は、高米価は消費者の家計を圧迫するとして関税導入に反対しますが、地主階級は政治力を発揮して関税を実現します。

柳田國男が農家の貧困克服のため、小農による自力や進歩協同相助の組織として期待したのが産業組合(農業協同組合)でした。昭和の農業不況を脱するために、農林省は各町村に農業・農村に関わる全ての事業を実施できる産業組合を設立しました。しかし、産業組合やその後身のJA農協は柳田の思想とは逆のものとなりました。産業組合は戦時中統制団体となりました。戦後農林省は政府にコメを集荷させるためにこれを活用しようとして、この統制団体を農協に衣替えさせました。これが今のJA農協です。JA農協は金融事業と他の事業を兼業できる日本で唯一の法人です。金融事業を兼業することにGHQは反対しましたが、農林省が認めさせました。JA農協はその特権的な地位を活用して発展しました。農林省が努力して作ったJA農協という組織が、農林省が推進する農業構造改革を妨害するという結果になりました。歴史の皮肉です。

柳田の構造改革思想(零細農業構造の改善)がやっと政府の政策案として実現したのが、1961年の農業基本法でした。農家の規模を拡大してコストを削減し所得を増加しようとしたのです。しかし、農業基本法は現実の農業政策としては実現されませんでした。というより、米価等を上げて農家所得を増やすという逆の安易な方向に農政は動いてしまいました。米価が高いのでコストの高い零細な兼業農家もコメ農業に滞留しました。農業収入を上回る兼業収入はJA農協に預金され、JA農協発展の基礎となりました。また、コメをはじめ農産物価格が高くなったので、常に自由貿易協定に反対する今日の農政ができあがりました。小農主義は今でも生きています。

明治期には国家による保護や介入を否定した津田仙(津田塾大学の創始者津田梅子の父)などの痛快な主張もありました。グンゼが生まれるきっかけを作った前田正名の地域活性化運動、柳田と同様な主張を展開した第55代内閣総理大臣石橋湛山、忘れられた柳田の農政思想を発掘した東畑精一、柳田の後輩にあたる石黒忠篤の農本主義、東畑精一と小倉武一の構造改革、農林省の局長からいきなり大臣になって農地改革を遂行した和田博雄などの農政思想も解説します。かつての農政には意気とロマンがありました。かれらの夢をかなえてくれる人は出てこないのでしょうか?


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