ヒートアイランド現象などで東京の平均気温は過去100年に3℃も上がったが、近郊での野菜作りはいまも盛んである。昔からの伝統野菜「江戸東京野菜」も受け継がれている。農家はどのように気温上昇に対応したか調べてきたが、いつも驚くのは、農業は、とにかくイノベーションに満ちていることだ。
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野菜種子メーカー、日本農林社の本社は東京・北区の滝野川にある。江戸時代、滝野川は街道の要衝だった。
大名が参勤交代をするようになると、諸藩は地元の野菜を江戸屋敷に植えた。また江戸で手に入れたタネを藩に持ち帰り植えてみた。東京には全国のタネが集まり、交換された。
こうして全国規模で農業試験が大々的に行われるようになった。商人や庶民も篤農家も、全国を旅してタネを売買した。そこで中山道の入り口にある滝野川には種問屋が20軒も連なったという。
日本農林社もそんな種問屋にルーツがある。今回は茨城県にある阿見研究開発センター(阿見町)の農場見学に伺った。江戸東京野菜の第一人者であり、都内の篤農家と親交の深い大竹道茂先生にご紹介を頂いた。
日本農林社では、キャベツ、白菜、チンゲンサイ、ブロッコリーなどのアブラナ科の作物の品種改良を主に行っている。
キャベツといってもここでいま育てているものだけでも20種類以上ある。このすべてが、いま全国のどこかで作付けされているそうだ。素人目にはどれも一緒に見えるが、説明を聞いていると、確かに少し色が濃かったり薄かったり、葉が厚かったり薄かったりする。
品種改良は、ある種と別の種を掛け合わせて、出来のよいものを選抜する、という昔ながらの方法。遺伝子解析の技術は使うが、遺伝子組み換えや遺伝子編集などはやっていない。タネとして販売するのは一代雑種(F1)である。
品種改良は、味、見た目、取り扱いの容易さ、傷みにくさなど、さまざまな特性を同時に達成しなければならない。
その中で、このセンターで大事なテーマはネコブ病対策だ。この感染症にかかると、アブラナ科の作物は根がコブだらけになって、通常あるはずのヒゲ状の根が生えなくなる。悪くすると畑一枚が全滅するという。それで耐病性の強い品種を開発してきたそうだ。
キャベツを畑から取り、その場で包丁で切ってくれた。「生食ではこれが一番おいしい」という「トンガリボウシ」という品種のキャベツを食べると、甘くて苦味がなく、柔らかい。それでいてみずみずしくてシャキッとして噛心地もよい。キャベツだけでいくらでも食べられる感じだ。
しかしその割には、この品種の売り上げはあまり伸びていないそうだ。理由はというと、チェーンレストランの味付けも、家庭用のソースやマヨネーズも、これまでのキャベツに合わせて作っているからだとか。キャベツにしては変な形でアタマがとんがっていることも、お客になじみがないので敬遠されたりしているらしい。
イノベーションの難しいところだが、おいしければ売れるという単純なものではないようだ。
キャベツは1年中食べることができるが、これは全国各地で時期をずらしてリレーで生産しているからで、これもイノベーションの賜物だ。違う品種を使ったり、同じタネでも、タネを撒くタイミングを変えたりすることで、愛知、千葉、青森といった具合にかなり離れた場所でも使える。
種まき、苗の植え付け、収穫のタイミングを表した図を「作型(さくがた)」という(図)。作型は、もちろん種苗会社が作るのだが、タネを買った農家から「ここはこうしたほうがよい」といった意見で変えることもあるそうだ。
キャベツの作型の例(日本農林社のホームページから、http://www.norin.co.jp/pdf/cabbage-lite.pdf)
中には、「秋撒きだけと書いてあるが、春に撒いてもうまくできたよ」なんていう声まであるとか。もちろん野菜の出来ばえについては農家から絶えず情報が入る。お客さんと一緒になって製品を改良するのは農業も工業も変わらない。
作型は、寒・高冷地、平坦地、暖地と分けて書いてあるが、厳密な区別はないそうだ。それでも、農家との意思疎通にはこれで十分とのこと。農家はいろいろな種を育ててきたので、作型を見て、だいたい自分がどの辺りなのかは判断がつく。よく分からないときは、近所でどのように栽培しているか調べたり、種苗会社に相談したりする。
キャベツが通年、全国リレーで作られているのは、計画ではなく、自由経済のおかげである。少しでも高い値段で売れる時期があると、その時期を狙って出荷する農家が必ず現れる。群馬県嬬恋村の高原キャベツは、他の産地が出荷できず、高値で売れる真夏を狙ったものだ。
逆に、値段が下がるときもある。キャベツは同じタイミングで大量に出荷されると、ひどい値崩れが起きる。そうなると、収穫しても赤字になるので、畑に放置することまである。だから農家は、他の産地の様子を見ながら、出荷のタイミングを狙って、逆算して種まきをする。
ただし自然が相手なので、番狂わせも起きる。台風である産地が直撃されたりすると、その産地はもちろん大変だが、価格が高騰するので他の産地は儲かるという、悲喜こもごもの状態になる。キャベツをトラックに積んで売りに行ったら、トラックを買えるぐらい儲かったなどという話もあるそうだ。
価格競争に勝つために、もちろん品種改良は進むし、経営の規模も大きくなった。20ヘクタールもあるキャベツ農家もあるという。もちろん規模の経済で安く大量に生産できるが、農業機械などにかなり投資が必要なので、災害に逢って全滅したりすると資金繰りが苦しくなることもあるという。
ヒートアイランド現象の影響について尋ねてみたが、特に意識したことはない、とのことだった。仮に高温に弱い品種であったとしても、2℃や3℃程度の話であれば農家は技術でなんとかしてしまう、ということだ。その結果、暑い時期から寒い時期に移るなど、作型は変わったかもしれない。また品種改良が進んだことによっても対応がなされたのだろう。
そして印象的だったのは「よいタネというのは適応力が強いもので、栽培者が変わったり環境条件が少々変わったりしてもきちんと育つように作ってある。そうでなければ、多くの農家が何十年にもわたって栽培するヒット商品にはならない」というご説明だった。確かに、ごく一部の人しか栽培できないのではよいタネとは言えない。すばらしいテクノロジーだ。
気温への対応について言えば、海岸近くと内陸では明らかに育て方は違うとのことだった。同じ愛知県の中でも、海岸近くでは気温が低いので、キャベツの株の間を広げる。あまり密植すると育ちが悪くなるからだ。
もう一つ気温で話が及んだのが、エネルギー危機だった。いま石油の価格が高くなっており、また、肥料の価格も上がっている。肥料は天然ガスを原料にするので、天然ガス価格が上がると肥料価格も上がる。
価格高騰を受け、ハウス栽培をしている農家からは「燃料を節約するためにハウスの気温を1、2℃下げたい」との相談があり、種苗会社はそれに合わせたタネを提供するそうだ。
また別の農家からは「肥料を節約したい」と相談があった。これまでは、肥料を大量に投入して作物を大量に作っていたが、採算が合わないので、肥料をあまり使わない作物にしたいとのこと。
これまた、そのようなタネを提案しないといけない。それにしても、エネルギーや肥料の価格に対応してタネから変えるとは想像が及んでいなかった。
さて品種改良はここ阿見などの国内でしているが、作物に花を咲かせてタネを取る作業はイタリアやチリの農家に委託しているという。
広い土地が必要、花粉の交雑がないよう周辺にアブラナ科の草が生えていない、といった理由もあるが、「タネはやはりイタリアやチリなどで取った方がよい」という。湿度が低いからという言い方もできるが、要は、キャベツはもともと地中海性気候の作物だから、ということだ。
そういえば、当初、キャベツは日本に導入されてもなかなか上手く作れなかった。先人が品種改良をして、ようやく日本でも売れるような作物になった。
そもそも全然気候の違うところから持ち込んで改良を続けてきたのだ。だからこそ、ヒートアイランド現象ぐらいではびくともしなかったようだ。
日本の作物はほとんどが元をただせば外来種であり、欧州や南米など、全然気候の違うところからはるばるやってきたものに改良を続けてきた。だとすると、これまた2、3℃程度の変化ではびくともしないとしても不思議はない。
キャベツは、全く気候の違う地球の裏側から導入され、たゆまぬ品種改良によって、日本のどこかで必ず栽培され、1年中スーパーに並ぶようになった。そして病気に強くなり、日本中の地域の気候にも対応できるようになった。
お好み焼きのキャベツも、とんかつやの付け合わせのキャベツも、柔らかくてそれでいて歯ざわりがよく、生食で十分にいける日本のキャベツだからおいしいのだ。キャベツを生食するのは日本だけである。キャベツのイノベーターは日本庶民の食文化の作り手でもあった。