メディア掲載  エネルギー・環境  2022.12.23

東京・吉祥寺の中学校で気象観測90年、名産ウドへの気温上昇の影響は?

都市熱の影響で最低気温は大幅上昇、かつての高級野菜にみる有為転変

JBPressに掲載(2022年11月24日付)

エネルギー・環境

毛髪で湿度を測る

東京・武蔵野市の成蹊中学・高等学校にはなんと「成蹊気象観測所」がある。吉祥寺駅が最寄りだ。訪ねると、田中博春所長が詳しく案内してくれた。中学1年の担任も兼務しているという。

この気象観測所は教育が目的だという。生徒も観測し、データを整理する、という実習をしている。こういう活きた教育を受けられる生徒は幸せだ。

昔ながらの計測器がたくさんあって見ていて楽しい。いまはデジタル式のものが多いが、どのような動作原理かよく分からない。昔のものは、機械仕掛けになっていて、原理からよく分かる。

筆者も教科書でしか見たことがないような機器がいくつもあった。

まったく知らなかったのは、人の髪の毛が湿気で伸び縮みすることを利用した湿度計だった(下の写真)。そういえば、雨の日は髪がチリチリになると言う人がいたなあ・・・。それにしても、よく考えたなこれ。

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毛髪型湿度計。写真では細くて見えないが、髪の毛が伸び縮みすると、中央のアームが動いて、左にあるドラムにインクで連続記録される

100年、空襲があっても観測を継続

この観測所がすごいのは、昭和元年(=1926年)以来、1日たりとも途切れることなく観測していること。ふつう、これだけ長期にわたる観測だと、ときどきデータが途切れる。けれどもそれがない。

戦争で東京が空襲に遭っていても観測を続けたというから凄まじい。ちなみにこれは学生に任せることはできないとのことで、担当の職員が交代で毎朝観測している。

これだけ長期に測っていると興味深いデータになる。下の図は気温の変化だ。平均気温は約100年あたりで3.0℃上昇している。

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出所:成蹊気象観測所のホームページ

注目すべきは、最低気温はこれよりも速く、同4.7℃も上昇していることだ。これに対して最高気温は同1.3℃しか上昇していない。

このように気温上昇の速度が違うことは、都市熱の特徴だ。地球温暖化であれば、どの気温も同様に上昇する。都市熱の場合は最低気温の上昇が速くなる。地球温暖化にもっともよく対応するのはこの3つのうちでは最高気温である。

するとこの図だけから推定するならば、過去の地球温暖化は約100年あたり1.3℃、都市熱による平均気温上昇が同1.7℃で、合計で100年あたり3.0℃の気温上昇だった、ということになる。

気温上昇、気象庁の観測と近い値に

この約3℃の気温上昇というのは気象庁の大手町における観測と近い値になっている

ただし、この間、計測機器もいくらか代わったし、何よりも、観測する場所(「露場」という)も2度にわたり移転している。

下の写真は、順に、初代の露場、2代目の露場、3代目の現在の露場だ(写真は成蹊気象観測所のホームページより)。

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もちろん、場所は移転しないほうが長期の気温傾向の観測には適している。けれども、学校の運営の事情があるのでまあ仕方がない。

ただし、このような観測環境の変化は、日本はもとより、世界中の気象観測所でもよくみられることである。要は、長期のデータを見るときには、結論を出す前に、このような事情を理解しておかねばならぬ、ということだ。

それにしても、最低気温はずいぶんと上がった。観測開始時の19261月のデータ(もちろん手書き)を見せてもらったが、最低気温は連日氷点下で、なんとマイナス11℃という日もあった。いまでは考えられない。

京都の貴族が珍重したウド

さて、これだけ気温が変わったとなると、農業にはどのような影響があったか?

ちょうどこの成蹊中学・高等学校のすぐそばで、江戸時代の終わりごろからウドを栽培してきたという篤農家の井口さんがいるとのことで、訪ねてみた。「江戸東京野菜」を推進する大竹道茂先生のご紹介だ。

ウドはかつては高級野菜だった。春の訪れを告げるものとして、野菜の少ない時期に、香りの高いウドは珍重された。昔は京都の貴族が、後には初物好きの江戸の人々が、高値で購入したという。

白ウドの作り方は風変わりだ。

まず3月に根株から芽を育てて苗を作る。4月に苗を畑に植えて育てる。葉がたくさん出て根が太る。秋になり寒くなると地上部が枯れ、休眠状態になる。その根株を収穫して室(むろ)と呼ぶ地下室に入れる。すると根株から白くやわらかい茎が伸びるので、それを収穫して11月から4月にかけて食用にする。大きいモヤシといったところか。

かつてはこの吉祥寺をはじめとして、西側の立川あたりにかけてウドの栽培が盛んだった。昭和501975)年ごろには、ジベレリンという薬品で処理することによって根株を発芽させる技術を最初に確立し、他の産地が生産できない暮れと正月に白ウドを出荷して、おおいに利益を上げたという。

生産は栃木や群馬に移転

その後、宅地化が猛烈に進み、都内の農地はどんどん減った。ウドは畑の面積をとり、また土地がやせるので連作に向かない。そこで、苗ができると栃木県や群馬県にトラックで輸送して委託栽培をし、秋に根株を東京に送り返して、室で白ウドを作るようになった。

しかし、やがて栃木県や群馬県が生産の中心地になり、また食生活の変化もあってウドの需要自体も減り、いまではウドを作る農家は都内では2030軒ほどになったという。それもみな委託栽培で、春から秋まで根株を太らせるウド畑はほぼ完全になくなった。

ウドは暑すぎても寒すぎても成長が止まるという。このため、もしもいまでも吉祥寺にウド畑があれば、長期的な気温変化の影響を受けていたのかもしれない。だが、宅地化や新しい生産地の出現などの影響で、吉祥寺のウド畑は姿を消してしまい、いまとなっては気温の影響を知ることはできない。

今でも春の苗づくりと冬の室での白ウドづくりは続いているが、とくに気温変化の影響は感じないそうだ。最低気温はずいぶん上昇しても、室の中は地中深いので、その温度はあまり変わらなかったのかもしれない。

帰り際、井口さんが収穫したばかりのキャベツをお土産に頂いた。千切りにしてサラダにしたら、味が濃く、甘くて、香りよく、歯ごたえもシャキッとしていた。筆者は春キャベツが大好きだが、秋にこんなおいしいキャベツがあるとは知らなかった。読者諸兄も、ぜひ、とれたての東京のキャベツを見直してみてください。