メディア掲載  エネルギー・環境  2020.11.06

「CO2ゼロ亡国」を回避すべく決起せよ

Daily WiLL Online HPに掲載(2020年10月28日)

エネルギー・環境

またもや欧州へ追随

菅首相が10月26日の所信表明演説で、「2050年までにCO2の排出をゼロにすることを目指す」旨を宣言した。このような「2050年CO2ゼロ宣言」は、近年になって欧州を中心に流行していた。米国も仮にバイデン政権が誕生すれば同様な宣言をする、と見られている。

欧米で流行ると中身を深く考えずに追随するというのは、日本の温暖化外交のお決まりのパターンである。1997年の京都会議の時も、2015年のパリ協定の時も、欧米に横並びに数字を約束するというところが基本線で、後は些末な調整に終始した。 


CO2ゼロは亡国の歌

もちろん、2050年にCO2をゼロにするなど、出来る訳がないし、強引に「目指す」と莫大な費用がかかる。これはちょっと考えれば分かることだ。

工場のボイラーでは石油や都市ガスを燃やしているが、これは水素に代えるのか? するとボイラーも燃料電池に取り代えないといけない。莫大な費用がかかる。

 プロパンガスや都市ガス事業者は全員廃業するのか?

 建設機械は全部電化するのか?

 農業機械も全部電化するのか?

以上を全て補助金で実現しようとすれば、財政は破綻するだろう。

そもそも、エネルギーは現状で供給が不足している訳では無い。だからそれを丸ごと造り変えようとするような投資は、全て二重投資である。経済全体にとってはコスト増加要因にしかならない。

経済が弱体化し財政が傾けば、日本は見くびられる。敵対的な国からの経済的圧力に弱くなり、言論が封じられ、あるいは領土を奪われるようになる。

また太陽光発電や風力発電の拡大は、最大の生産国である中国への依存を高める危惧がある。電力の送配電網に中国製品が多く接続されることは安全保障上の懸念を生む。


原子力とイノベーション
と落とし穴

首相も経産大臣も、これまでのところ、具体的な政策を大幅に変えるとは言っていない。政府のスケジュールでは、来年末にかけて、エネルギー基本計画と地球温暖化対策計画が見直されることになっており、検討が始まったところである。これには筆者も委員として関わっている

今後重要なことは、CO2ゼロという目標に拘泥することではなく、具体的な政策1つひとつについて、その経済性および安全保障への影響を精査することである。

政府は「経済と環境の両立」を図り、温暖化問題を「イノベーションによって解決する」としている。

ならば、菅政権がなすべきことの第1は、原子力発電の再興である。再稼働はもちろん、新増設、さらには新型原子炉の技術開発が必要だ。

イノベーションも重要だ。現在は中国が世界の太陽光発電市場を支配している。だが、より性能の高い次世代の太陽光発電では、日本が巻き返しを図る可能性があり、技術開発に取り組む価値がある。

CO2ゼロ宣言は、実現できるとは思わないが、こういった政策に帰結するならば意義はある。

 ただし、落とし穴もある。温暖化を名目にした補助金で儲けようとする面々に政府は囚われやすい。彼らの儲けは、電気料金の上昇や増税などで、必ずや国民の負担になって跳ね返ってくる。増え続ける再生可能エネルギー賦課金はすでに年間24千億円を超えており、国民経済を蝕(むしば)んでいる。

本来、政府は、そのような特殊利益の追求から国民経済を守らねばならない。だが、これができていない。というのは、どの省庁にも、すでに温暖化対策の権限、予算、事業、補助金があり、既得権益が多くなってしまったからだ。


「災害が頻発」というウソ

そもそも、なぜCO2をゼロにしなければならないのか?

メディアでは「温暖化のせいで猛暑や豪雨などの災害が頻発」と言っているが、これはフェイクニュースだ。観測データをみれば、台風は増えてもいないし、強くなってもいない。猛暑や豪雨への地球温暖化の影響は、あったとしてもごくわずかだから、温暖化のせいなどでは断じてない。猛暑は自然変動や都市熱によるものだ。豪雨も自然変動によるもので、最近の被害の原因は堤防やダムなどへの防災投資の不足だ。

将来については、おどろおどろしい予測があるけれども、これは不確かなシミュレーション計算によるものに過ぎない。シミュレーションは過去を再現することも上手くできないし、気温上昇の将来予測については結果を見ながらパラメータを調整している。CO2をゼロにするという、経済に甚大な悪影響が出るような、極端な政策を正当化できるような代物ではない



憂国の士よ、立ち上がれ

米国の共和党支持者はこのような温暖化危機説のカラクリをよく知っている。議会でもメディアでも事実に基づいた議論がされている

だから著名な調査機関ピューリサーチセンターによるアンケート結果でも、「地球温暖化が米国にとって重要な脅威である」と答えたのは、民主党支持者では84%だったが、共和党支持者ではわずか27%だった。共和党支持者は、極端な温暖化対策など支持しない。決してトランプ大統領だけが突出した変り者というわけではないのだ。

翻って日本では、こと温暖化対策となると、オール与党状態である。欧州もこれに近い。

のみならず、強固な温暖化利権がそこかしこにできてしまった。省庁は各々の温暖化対策予算と権限を持っている。その補助金に群がる企業がある。研究者は政府予算を使って温暖化で災害が起きるという「成果」を発表する。メディアはそれをホラー話にして儲ける。全体としての国力は相当に損なわれているが、誰もそれを言わない。

この行き着いた先が、「2050年CO2ゼロ」を国会で宣言しても、咎める議員すら1人もいないという、無責任状態である。

だがこの代償は大きい。「2050年CO2ゼロ」は、強引に進めるならば、国民経済を破壊し、日本の自由や安全を毀損(きそん)する。憂国の士は、この問題の重大さに覚醒し、声を上げ、政治を変えねばならない。