ワーキングペーパー エネルギー・環境 2020.06.26
本稿はワーキング・ペーパーです
はじめに:気候は「非常事態」にあるのか?
いま人類は「気候危機」にあり、これを克服するためとして「気候非常事態宣言」を発し、「2050年ゼロエミッション」を目指す、とする自治体が増えている。その内容を見ると、「科学的知見」として、
① 既に台風・豪雨・猛暑等が激甚化した
② 将来は、更に激甚化が進む
といったことが挙げられている。
だがこれは本当か? 本稿では、
①過去の観測データは台風・豪雨・猛暑の激甚化を支持しない(第1章)
② シミュレーションによる将来の予測は不確かである(第2章)
という事を示そう。つまりそれ程の「気候危機」は存在しない。
「コロナ非常事態宣言」の下の自粛では、経済活動が大きく制限され、結果としてCO2も大幅に減ったが、代償として、多くの国民が生活に苦しんだ。
このコロナ禍は、極端な温暖化対策なるものが、深刻な経済影響を伴うことを国民が実感する機会となった。もしも「気候非常事態宣言」の下で「2050年ゼロエミッション」を目指すとなると、コロナ自粛をはるかに上回る経済活動の制限が、十年、二十年と継続的に必要になる。
本当に気候が「非常事態」にあるならば、かかる政策も正当化されるかもしれない。だが科学的知見は、巨額の経済的負担を正当化しない。「気候非常事態宣言」は不適切である。
さてコロナ禍は、温暖化対策を論じる前提も大きく変えた。第3章では、コロナ禍で傷んだ経済からの回復と、温暖化対策のバランスのとり方を論じる。
「コロナ禍からの経済回復は"グリーン回復"とすべきであり、CO2を削減する投資のみを行い、CO2を排出する産業は救済すべきではない」と言う意見が散見されるようになった。だがこれでは経済は悪化する一方で、経済回復に逆行するので不適切である。特に、再エネに偏重することは、最悪の結果を招くことを論じよう。
筆者は地球温暖化のリスクを否定するものでは全くない。「地球温暖化が緩やかに進行しており、CO2がその原因の一部であり、費用対効果に気を付けながら一定の温暖化対策をすべきである」と考えている。
しかしながら、観測データに基づかずに「気候危機」を唱道し、不確かなシミュレーションに基づいて甚大な経済的痛みを国民に強要することには反対する。
コロナ禍は我々に教訓ももたらした。「xx万人が死亡する」といったモデル予測は不確かなものであり、大きく外れた。そして現実には、感染者数や感染経路をモニタリングして、感染対策とバランスをとりつつ経済を再開する、というアプローチが取られている。
温暖化対策において筆者が危惧するのは、不確かなモデル予測に基づいて、経済を破壊してしまうことである。温暖化対策に於いても、コロナ禍同様、モデル予測が不確かである以上、観測データを正確に理解しつつ、経済活動とのバランスをとって策を講じてゆくべきである。
最後の第4章では、観測データに基づいた議論、モデルの不確かさを踏まえた議論といった、本来は科学が大事にすべきことが、何故、こと地球温暖化に関しては軽んじられるのか、日本の科学研究が置かれている構造的な問題を考察する。
本稿を書くにあたっては、出来るだけ「データに語らせる」ように心がけた。データに基づかない議論は、堂々巡りになることが多いからである。またリンクを充実させて、読者が原典に当たって直接に確認出来るようにした。
だがこのため、読みにくく感じる読者もおられるかもしれない。幅広い読者を対象とした平易な書籍は別途まとめるつもりである。
<目次>
はじめに 気候は「非常事態」にあるのか? (1-2ページ)
第1章 観測データは「気候非常事態宣言」を支持しない (7-33ページ)
第2章 将来予測は不確かだ (34-89ページ)
第3章 コロナ禍後の合理的な温暖化対策のあり方 (89-135ページ)
第4章 なぜまともな科学的論争が出来ないのか? (135-148ページ)
第5章 結論 (149ページ)
文献 (150-152ページ)