メディア掲載 グローバルエコノミー 2016.04.11
次々とイノベーションを生み出し、それを商業化していくシリコンバレーのダイナミズムが注目されるようになってから久しい。日本でも、日本版シリコンバレーの必要性が唱えられ、政府もシリコンバレーのような産業クラスターを日本各地に作るべく、数々の産業政策を行ってきた。しかし、シリコンバレーと比べられるような産業集積地はいまだ日本には存在しないし、各分野のイノベーションも特に商業化の段階では多くの障壁が存在するようだ。
日本の経済システムをシリコンバレーのようなイノベーション型の経済システムに変革していく努力は、今後も続ける必要があるだろう。そしてイノベーション型経済システムへの変革を実現するためには、シリコンバレーに存在するのと同等の機能を持つ制度的基盤を日本に用意する必要がある。しかし、それが成果を結ぶまでには、まだ時間がかかる可能性が高い。
シリコンバレーのエコシステムを活用する
したがって、それと同時に、すでに存在しているシリコンバレーのエコシステムを日本企業や日本の起業家が活用することも重要である。
ここでは、シリコンバレーを活用する上で、いままで日本企業や日本の企業家が直面してきた問題、失敗してきた点などを整理し、今後の取り組み方を論じる。特に、日本企業や起業家によるシリコンバレーの活用を容易にするような政策は何かを考える。本稿は、我々がNIRAの委託で、櫛田健児(スタンフォード大学)、Richard Dasher(スタンフォード大学)、原田信行(筑波大学)の各氏と行った共同研究を基にしている。詳しい研究成果と参考文献については、Institutional Foundation for Innovation-Based Economic Growthを参照されたい。
日本の企業、特に大企業は、様々な形でシリコンバレー進出を試みてきた。例えば、いくつかの大企業は、シリコンバレーのベンチャーキャピタルにリミテッド・パートナーとして参加したり、自前のCorporate Venture Capital を立ち上げて、新しい技術に投資したりした。
また、シリコンバレーに研究拠点を作り、高度な人材を集めようとした例もある。大学の役割に注目して、多くの日本企業が、米スタンフォード大学や米カリフォルニア大学バークレー校に研究員などを派遣してきた。日本のスタートアップ企業でも、シリコンバレーに進出し、豊富なリスクキャピタルの恩恵を受けようとするものもあった。
しかしこれらの試みは、しばしば困難に突き当たり、結局はシリコンバレー進出を諦めてしまう例も多かった。例えば、大企業の多くはベンチャー投資からの直接収益よりもシリコンバレー企業との戦略的パートナーシップの可能性を重視する傾向が強かったために、他のベンチャーキャピタルが投資しないような低収益の案件に投資してしまったり、いったん投資すると不採算事業の可能性が高くなっても、それだけではなかなか撤退の決断ができないという問題を引き起こしたりした。
また、日本でIPO(新規株式公開)を済ませてからシリコンバレーに進出を図るスタートアップもあるが、こうした企業はIPOによる投資利益の実現機会をすでに使い果たしているため、シリコンバレーのベンチャーキャピタルから見ると魅力に欠けるものになる。そのため、シリコンバレーでの資金調達に苦労するばかりでなく、資金を受け入れれば同時にアクセスが可能になるような人的ネットワークからの恩恵も、受けられないことになる。
シリコンバレーにおける産業、大学、政府間の交流ネットワークへの参加には、多くの日本企業が力を注いできた。特にスタンフォード大学やカリフォルニア大学バークレー校には、日本大企業の多くが研究プロジェクトへの参加などを通じて、積極的に関わってきた。しかし最大の問題は、大学に派遣された人達が接した新技術を日本の会社がどのように活用できるかということにある。
持ち帰った知見が宝の持ち腐れに
大学に派遣されるのは企業の研究開発部門に属している人たちが多いが、日本に帰国しても、経営戦略や人事政策を担当する部署の支援がないために、大学で得た知見が研究開発部門に止まってしまい、ビジネスにつながらないという例がよく見られる。
給与格差をどうするか
また、高度の人材を求めてシリコンバレーに進出する日本企業は、金融面以上に大きな課題に直面しがちだ。まず、シリコンバレーと日本の給与体系に違いがありすぎる。シリコンバレーで採用した人材に現地の市場レートでの高給を払ってしまうと、日本で採用された日本人従業員が不公平と感じてしまう。また、逆にシリコンバレーで採用された人材にとっては、会社のトップが基本的に日本からの派遣者で占められているので、内部昇進の機会がないように見え、その結果、彼・彼女たちを長く引きとめるのが難しくなるという問題がある。
労働・人的資本面でのこれらの問題は、日本での人材管理の慣習が変わらない限り、解決が難しいように見える。
これらの課題に加えて、日本の本社の経営陣がシリコンバレーの実情に疎いことに起因する問題もしばしば指摘される。例えば、シリコンバレーに派遣されている社員が、既存のビジネスを大きく変える可能性を持ったスタートアップ企業についての情報を日本の本社に送ると、本社はその会社の現在の市場規模、予測される市場規模、現在のプレーヤー、市場シェアといった情報を決まって問い合わせてくる。
しかし、既存の市場を大きく変えるようなスタートアップ企業の場合、市場は未だなく、競争相手もなく、あるのは大きな不確実性だけという場合も多い。こうした状況で伝統的な市場分析をしても、時間を無駄にするだけであり、このような対応をとればシリコンバレーに進出している利点はまったく失われてしまう。
また、日本では有名な会社であっても、シリコンバレーのスタートアップから全く知られていない場合があり、その事実を本社が理解しないために問題が起こる場合もある。前途有望なスタートアップに、シリコンバレーの企業の買収経験が少ない日本企業と交渉する価値があると思わせるために、現地の日本企業駐在員は多大な売り込みの努力を払うことが必要になる。この点を本社が理解しなければ、その従業員はまったく必要のないことをやっているだけで成果を挙げていないと見られて、最悪の場合には閑職へ左遷されてしまう可能性もある。
動きが遅いことで知られる日本企業
もっとも大きな問題は、日本企業のシリコンバレーの事務所は、裁量の幅が狭く、実質的な判断はほとんど全て日本の本社と相談せざるを得ない、ということだろう。日本企業の多くは極めて動きが遅いことで知られており、日本の本社に判断を仰ぐ回数が増えるほど、シリコンバレーでのビジネスチャンスは減ることになる。
こうした課題の多くは企業レベルで解決できることかもしれないが、政府が手助けできる分野もあるかもしれない。日本政府は、日本国内でのイノベーションを活発にする試みや、シリコンバレーのような産業クラスターを日本に作ろうとする政策は、数多く実行してきたが、日本企業と起業家がシリコンバレーを活用しやすくするような政策についてはこれまで試してこなかった。そのような政策があり得ることを、まずは理解する必要がある。
これまでの産業政策の中にもそのヒントがある。日本政府は輸出促進、いいかえれば日本企業が海外市場を利用することを促進するために、情報提供などでさまざまに支援してきた。
ここでの文脈に即して具体的にいえば、政府は、いままでシリコンバレー進出を図った日本企業の経験に関する情報を集め、データベース化することができるだろう。ここで論じたように、シリコンバレー進出を試みてきた日本企業は多く、その経験からいろいろな知識が得られているはずだが、現状ではこうした知識のほとんどが分散している。情報が会社間で伝わらないだけではなく、会社内でも共有されていない場合が多々ある。
過去のシリコンバレー進出にかんする総合的で、広く利用できるデータベースを構築することが、日本企業によるシリコンバレー活用を支援する第一歩になるだろう。
日本にシリコンバレーが生まれていない6の理由-第1回 シリコンバレーの制度的基盤を検証する-
政府のイノベーション政策はなぜ失敗続きだったか-第2回 成果を検証する厳密な政策評価が必要だ-
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