メディア掲載  グローバルエコノミー  2016.03.28

日本にシリコンバレーが生まれていない6の理由-第1回 シリコンバレーの制度的基盤を検証する-

日経ビジネスオンライン2015年10月26日掲載

 米国のイノベーション発信地、シリコンバレーが再び注目を浴びている。日本経済がまだ確実とは言えないまでも、20年近くにおよぶ停滞から抜け出そうとしているいま、持続的な成長のために必要なのは、絶え間のないイノベーションだということがようやく理解されてきたためだろう。

 先般再改訂された「成長戦略」も、アベノミクスは、「デフレ脱却を目指して専ら需要不足の解消に重きを置いてきたステージから、人口減少化における供給制約の軛を乗り越えるための腰を据えた対策を講ずる新たな「第二ステージ」に入った」とし、「未来投資による生産性革命」とそれを地方にも広めていく「ローカルアベノミクス」を推し進めるとしている。「生産性革命」が実際に起こっている場所として、シリコンバレーに注目が集まるのは当然である。

 日本の追い付き型経済成長が終わりに近づき、イノベーションの重要性が認識され始めた1980年代以来、シリコンバレーは繰り返し話題に上り、日本版シリコンバレーの開発といったことも論じられてきた。だが、シリコンバレーのようなイノベーション型の経済システムが日本の一部に定着することはなかった。

 一つの理由は、シリコンバレーで観察される種々の特徴がそもそもどのような制度的基盤に拠っているものなのかということが十分に理解されず、そうした制度的基盤を日本で構築することが可能なのかどうか、可能だとすればどのような政策が有効なのか、といった議論が真剣に行われてこなかったためであろう。


比較制度分析から見たシリコンバレー

 そこで、ここでは、シリコンバレーの制度的基盤とは何なのかということを明らかにして、それらを日本で実現することが可能なのかを考える。本稿は、我々がNIRAの委託で、櫛田健児(スタンフォード大学)、Richard Dasher(スタンフォード大学)、原田信行(筑波大学)の各氏と行った共同研究をもとにしている。詳しい研究成果および参考文献については、Institutional Foundation for Innovation-Based Economic Growth(ダウンロード可能)を参照されたい。

 我々が制度的基盤と言う時の制度とは、故青木昌彦氏が定義したように、「ゲームが繰り返しプレイされる仕方の際立った特徴に関して、共有された予想の自己維持的システム」(Aoki 2001, p.10)である。このように、制度にはゲームのルールだけではなく、プレイヤーの均衡戦略に従った行動およびそうした行動への期待も含まれる。Aoki (2007, p.2)が指摘したように、「このように定式化された制度は本来内生的であるが、個々の行動主体にとっては外生的制約として捉えられる」のである。

 シリコンバレーの特徴については、夥しい量の研究がある。多くの研究で指摘されてきたものを抽出すると、表1の第一列に示した11の特徴としてまとめることができる。これらの特徴を支えるものとして次の6つの制度的要因を考えることができる。すなわち、(A)高リスクのベンチャーに資金を提供する金融システム、(B)質が高く、多様で、流動性の高い人材を供給する人的資本の市場、(C)革新的なアイデア、製品、ビジネスを絶え間なく創出する産官学の共同、(D)既存大企業と小規模スタートアップが共に成長する産業組織、(E)起業家精神を促進する社会規範および(F)スタートアップの設立と成長を支える専門家群である。


表1. シリコンバレー・エコシステムの特徴と制度的基盤

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(A)高リスクのベンチャーに資金を提供する金融システム
(B)質が高く、多様で、流動性の高い人材を供給する労働市場
(C)革新的なアイデア、製品、ビジネスを絶え間なく創出する産官学の共同
(D)既存大企業と小規模スタートアップが共に成長する産業組織
(E)起業家精神を促進する社会規範
(F)スタートアップの設立と成長を支える専門家群


  表1の第二列は、11の特徴のそれぞれを支える制度的要因が、AからFのうちどれなのかを示している。以下では、それぞれの制度的要因をより詳しく検討する。


(A)金融システム

 イノベーションの結果は確実には予測できない。従って、イノベーションを生み出そうとする活動に対する資金提供は、従来の製造業や小売企業の場合と比べてはるかにリスクが大きい。また、資金の出し手(投資家)と資金の受け手(起業家)の情報の非対称性の問題もより深刻になる。


「失敗の許容」を支える金融システム

 シリコンバレーの金融システムでは、ベンチャーキャピタルの役割は、単にリスクの高いスタートアップに出資をするだけではない。スタートアップの経営にも関わることが普通であり、投資したスタートアップの進捗状況を詳細に監視し、最終的にはM&A(合併・買収)やIPOに持ち込むことによって投資資金(と巨額な利益)を回収しようとする。成功したスタートアップの起業家と初期の従業員もまた大きな利益を享受する。成功した起業家の財産は、しばしばベンチャーキャピタルを通じて還流し、新たなスタートアップへの資金提供に使われる。

 シリコンバレーの特徴としてしばしば指摘される「失敗の許容」も、ベンチャーキャピタルが起業家を監視する金融システムに支えられているところがある。失敗は当然ある確率で起こるわけだが、監視しているベンチャーキャピタルが起業家は最善の努力を尽くしたと見做せば、失敗してももう一度チャンスを与えようということになる。


(B)人的資本の市場

 質の高い人的資本はイノベーション型の経済にとって欠かせない。そのような人的資本の十分な供給を確保し、さらにそれらが常に有効に活用されるような労働市場の仕組みが、シリコンバレーを支える制度の二つ目のものである。

 質の高い科学者や技術者たちが主にトップクラスの大学(企業内訓練よりも専門性の高い訓練を提供する)で教育を受け、大企業と小規模スタートアップ双方が優れた労働者を巡って競争し、様々な企業間を人材が頻繁に移動し、成功したスタートアップに関わった者は経済的にも社会的にも充分報われる。

 この仕組みは徹底した成果主義であり、世界中から才能ある人材を惹きつける。人的資本の多様性がイノベーションを後押しすると同時に、革新的企業の多くが職場での多様性を重んじるため、更に多様性が高まるという好循環が生まれている。

 流動性の高い労働市場は、新しい技術によって既存の企業が衰退して雇用の縮小を余儀なくされる時に、社会全体の調整費用を低くするという利点もある。また、労働者側には、企業の壁を越えて転用できる技術と知識を蓄積するインセンティブが発生する。また、労働市場の高い流動性は、失敗の許容を可能にする一因でもある。労働市場の流動性が高いために、そして成功すればその報酬は巨額になるために、高スキルの人材が何度か失敗を経験しても、リスクの高いスタートアップ企業で繰り返し働くことになる。


(C)産学官の共同

 シリコンバレーを支える制度のもう一つが、企業、大学、政府の間の多面的な交流である。革新的なアイデアの多くは、トップレベルの大学、スタートアップ企業、政府機関および研究機関の間の協業により発展する。連携は多面的で、政府から大学への資金提供、大学から産業界へのアイデアや知的財産、という単純な流れでは捉えきれない。

 この共同・交流関係は、公式のライセンス供与や共同研究から、コンサルティング、個別の助言、ネットワーキング、人材交流、その他の仕組みまで多岐に渡る。産業界での技術発展や新しい課題が大学の様々な研究分野での最前線を刺激し、大学における理論的発展が今度は産業の技術進歩に貢献する。政府も、新しい技術を使った製品やサービスの購入者として、昔も今もこの産官学の共同に貢献している。


(D)産業組織

 もう一つの制度は、大企業が小規模なスタートアップと共存する産業組織である。大企業はスタートアップの最初の購入者となり、その成長を助けることがしばしばである。また、大企業の多くは、新市場参入のためにスタートアップを積極的に買収する。大企業は通常、研究開発初期段階ではスタートアップ、大学、他の大企業と協業する一方、商品化段階では極端な秘密主義を貫く。


失敗は有意義な経験と見なす社会規範

(E)起業家精神を育む社会規範

 失敗を受け入れ、失敗した起業家に再度チャンスを与える「文化」は、上述のように金融システムと労働市場の制度によって支えられているところが大きいが、それだけではない。これに加えて、繰り返しリスクを取り、失敗を有意義な経験と見ることを強調する社会規範が、シリコンバレーには存在する。


(F)スタートアップの設立と成長を支える専門家群

 最後に、スタートアップのために様々なサービスを提供する法律事務所、会計事務所、メンターおよびインキュベーターなどの専門家群の存在も、「制度」としてとらえるべきだろう。例えば、インキュベーター/アクセラレーターと呼ばれる専門サービスは、よりよいスタートアップの選抜に貢献する。最近日本でよく言われる「目利き」として働くのである。シリコンバレーの法律事務所は、資金繰りが苦しいスタートアップに、ごく少額の前払いか、あるいは前払いなしで法務サービスを提供する。こうしたビジネスインフラ企業群のおかげで、起業家や初期のスタートアップは、本業以外であまり時間と労力を費やす必要がない制度になっている。


日本との違いは何か

 シリコンバレーを支える6つの制度的基盤のそれぞれについて、日本の状況を鑑みると、シリコンバレーとは大きく異なっていることが分かる。

 例えば、スタートアップへの資金提供では、銀行および銀行系のベンチャーキャピタルが最近まで主流であった。日本にはグローバルな競争力を持つ技術者がいるが、こうした高スキルの人的資本の流動性はまだ低い。起業家の数は少数で、その要因の一つは、失敗したら二度とチャンスがないことである。日本にも大企業とスタートアップの両方が存在するが、大企業は自前で研究開発を行いたい場合が多く、スタートアップとの協業や、社外のより優れた技術を取得することにはあまり興味がないようである。

 日本の経済システムが、追い付き型型成長モデルからイノベーション型の成長に合ったものへと変化するための一つの道筋は、シリコンバレーのような制度的基盤が日本でも整えられることである。これは少なくとも理論的には十分可能なことであり、そのために政府が果たしうる役割も考えられる。


制度的基盤を整えるのと同時にシリコンバレー活用の視点も

 しかし、日本で速やかに整えるのは難しい制度もある。例えば、失敗を許容する社会規範の醸成は、非常に難しく、長い時間を要するし、政府が支援できる余地もあまりないかもしれない。そのような場合には、日本企業や起業家がシリコンバレーのエコシステムを直接利用する方が手っ取り早いかもしれない。日本企業や企業家によるシリコンバレー活用を容易にするような政策があれば、政府はそこで貢献することができるだろう。

 追い付き型の成長が終焉して久しいいま、日本経済が成長を続けていくためには、イノベーション型の経済に移行していくしかない。政府の成長戦略は、そのような経済システムのための制度的基盤を整えることに焦点をおくべきである。それと同時に、日本企業や起業家がシリコンバレーのエコシステムをより容易に活用できるようにすることも重要な政策課題である。


参考文献
Aoki, M. (2001). Toward a Comparative Institutional Analysis. Cambridge, MA: MIT Press.
Aoki, M. (2007). "Endogenizing Institutions and Institutional Changes,"Journal of Institutional Economics, 3 (1), 1-31. Reprinted in Masahiko Aoki (2013) Comparative Institutional Analysis. Northampton, MA: Edward Elgar, pp.268-297.