オーストラリアのシンクタンク、ローウィー研究所(Lowy Institute)は10日、「併合後──中国はいかに台湾を統治しようとしているのか(After Annexation: How China Plans to Run Taiwan)」と題する報告書を公表した。2019年から2025年までに発表された中国の学術論文や法律、政策文書を分析し、中国の学界および政府関係者が描く「統一後の台湾統治構想」を整理したもので、報告書は「中国側が台湾統治の困難さを従来以上に重視するようになっていることがうかがえる」と結論づけている。「一国二制度」はもはや台湾統治モデルとして十分機能しないとの認識が中国の研究者の間でも広がっていると指摘する。
報告書は、近年の国際社会における台湾海峡を巡る議論は、軍事衝突や海上封鎖、戦争の可能性に集中している一方で、「仮に中国が台湾を掌握した場合、どのように統治するのか」という視点が十分に議論されてこなかったとも指摘した。中国の対台湾戦略は、「平和統一」や高度な自治を前面に打ち出した従来の路線から、「完全な政治的統合」を目指す長期的な統治モデルへと変化していると分析する。その背景として、台湾の競争的な選挙制度や活発な市民社会、主権在民という価値観、米台の安全保障協力、そして世界の情報ネットワークとの深い結びつきがあり、中国は台湾を「統治リスクの高い地域」と再定義しているとしている。
報告書によれば、中国の学界で議論されている統一後の統治構想として、「まず国家安全を確立し、その後に制度を再構築し、最終的に長期的な統合を実現する」という段階的なアプローチが主流になっている。
第一に、忠誠表明と政治審査の徹底である。中国の研究者の多くは、統一後に最優先される課題は政治的安定の確保だと位置づけている。行政機関の公務員だけでなく、弁護士、記者、市民団体、企業関係者に至るまで、中国への忠誠を表明することが求められ、応じなければ職を失ったり、刑事責任を問われたりする可能性があると論じられている。現職の政治指導者についても、台湾の自治支持を放棄し、中国への忠誠を宣誓しない限り、刑事訴追の対象となる可能性があるとされる。また、選挙制度は「愛国者」のみが立候補できる制度へ改められ、多数の有権者が選挙権を失う可能性があるとしている。報告書は、中国への忠誠を拒む住民について、数百万人規模が公的領域から排除され、数万人が収監される可能性があると指摘している。
さらに、忠誠を明確に示さない者は「台湾独立派」と見なされる恐れがあり、安全保障上の脅威の定義が曖昧で広範囲に及ぶことで、法執行の基準が不透明となり、市民の政治活動を萎縮させる効果を持つと分析している。中央政府の国家安全保障機関が台湾に常駐する可能性も議論されている。
第二に、デジタル空間における監視体制の強化である。 中国の研究者が現代の統治においては、潜在的な脅威を早期に察知し、ネット上で支持が広がる前に封じ込め、継続的な監視を通じて人々の行動を変容させることを重視していると指摘する。
台湾の高度なデジタルインフラは、「分離主義」や外国勢力による介入を支える「サイバー主権」の基盤と認識されており、統一後は中国の規制体制へ速やかに組み込まれる可能性が高いという。インターネットプラットフォームや通信アプリ、SNSにはコンテンツ検閲、アルゴリズムによる情報管理、実名登録制度が導入され、中国本土と同様の規制が適用されると予測している。また、「反分裂」を目的とした恒常的な統治体制が構築され、監視そのものが日常的な行政手段になる可能性があると分析している。
第三に、教育制度と歴史認識の再構築である。中国側では台湾の若い世代を「中国との生活的なつながりや感情的な一体感が乏しい世代」と捉えており、統一後の政策は若者、教育、文化分野に重点が置かれるとみている。
教育改革では、まず歴史認識を書き換え、日本統治時代や民主化の歴史を重視する台湾の歴史観を後退させ、中華民族の共同の歴史と中国共産党による統治の正当性を中心に据えるという。さらに、主権在民や権力分立といった台湾民主主義の理念に代えて、国家統一、集団利益、国家権威を重視する価値観を教育の中心に据えるとされる。教育関係者に対する政治審査も強化され、「台湾独立派」と見なされた人物は教育現場から排除される可能性があるとしている。
第四に、メディア環境の再編である。中国側は台湾の自由なメディア空間を「抵抗運動の温床」であると同時に、「影響力工作の対象」とも位置付けている。中国の研究者は、中国の主権に異議を唱えたり、抵抗を正当化したりする言説を抑制する一方、中国への帰属意識や政治的正統性を強調する情報発信へ転換する必要があると論じている。
具体的には、国家が支援する文化産業や娯楽コンテンツを通じて、中国の統治を当然のものとして受け入れさせ、「統一は歴史的必然である」という認識を社会に浸透させることが想定されている。また、文化政策はメディアだけにとどまらず、言語使用、国旗、祝祭日、記念行事、各種儀礼にまで及び、台湾独自の記念日は中国の政治日程へ組み込まれる可能性があるとしている。
第五に、経済統合と半導体産業の戦略的活用である。台湾のハイテク産業、とりわけ台湾積体電路製造(TSMC)の重要性にも言及している。中国政府や学界はTSMCや台湾半導体産業の具体的な統治方法を公表していないものの、一部の中国の研究者は、企業活動は必ずしも国有化しなくても半導体輸出規制や重要鉱物資源の供給管理などを通じて統制できる、SMCなどは米国や同盟国との「戦略的デカップリング」の交渉材料として活用できるとの見方を示しているという。
台湾の産業基盤である高付加価値製造業やサービス産業は、中国全体の経済的レジリエンスを高める戦略資産だと見なされている。統一後は台湾の産業ネットワークを中国のサプライチェーンへ再編し、とりわけ戦略的重要産業での一体化を優先する方針が想定されている。これは市場統合だけでなく、経済的な権力構造そのものを再構築することが目的だと報告書は分析している。中国の政策立案者が台湾を「超大規模国家」の統治モデルの中に位置づけ、国土や人口、地域ごとの発展格差を前提に、中央集権体制の下で地域ごとに異なる統治手法を採る構想だという。
報告書は一方で、中国の台湾統治構想には依然として多くの矛盾が残されているとも指摘している。最大の論点は「自治」の位置づけである。中国の研究者は「自治」が台湾住民の抵抗を和らげ、既存エリートを取り込む手段になると考える一方で、その「自治」は中央政府が付与し、条件付きでいつでも撤回可能なものに限定すべきだとしている。このような「条件付きの自治」では、台湾住民の信頼を得ることは難しいと報告書は分析している。
強権的な統制は短期的には安定をもたらす可能性があるが、住民の支持や正統性を獲得できるとは限らない。監視や検閲、投獄の脅威の恒常化は、短期的な不安定要因を抑えられる一方で、社会全体の信頼を損なう恐れがある。また、継続的な政治審査と監視体制の維持には膨大な行政・財政・政治的コストが必要となり、中国自身が「統治疲労」に直面する可能性があるという。
中国は台湾統治の難しさを理解しつつあるものの、自治を認めれば統制が弱まり、統制を強めれば正統性を失う、経済統合は住民の同意の代わりにはならない、という根本的なジレンマを抱えており、自らの政治体制やイデオロギーの制約からその矛盾を解消できないのだと、報告書は結論づけている。