外交・安全保障グループ 公式ブログ

キヤノングローバル戦略研究所外交・安全保障グループの研究員が、リレー形式で世界の動きを紹介します。

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2020年10月2日(金)

デュポン・サークル便り(10月2日)

[ デュポン・サークル便り ]


ワシントンは一気に秋めいてきました。また、ワシントンDCと隣接するメリーランド及びバージニア両州ではコロナウイルスの新規患者数の減少傾向が続いていることもあり、10月1日からはワシントン・モニュメントが訪問者受け入れを再開、スミソニアン博物館の一部も一般公開を再開するなど、非常にゆっくりではありますが、日常を少しずつ取り戻しつつあります。日本の皆様、いかがお過ごしでしょうか。

今週のアメリカは、大統領選挙関連のニュースが盛り沢山な一週間となりました。ハイライトは何といっても、トランプ大統領とバイデン前副大統領が初めて直接対決した、9月29日の第一回大統領候補討論会です。

また、討論会直前の9月27日には、ニューヨーク・タイムズ紙が独自ルートで入手したトランプ大統領の過去20年間の納税申告書に関する記事を特ダネ扱いで大々的に掲載しました。この記事では、トランプ氏が何年にもわたってゴルフ場やホテル経営などの各事業で損失を出し続けていたことが詳細に報じられています。つまり、「ワンマン経営で大成功したビジネスマン」というイメージを引っ提げて4年前の大統領選挙を戦ったトランプ大統領の個人事業の実態が、「大成功したビジネスマン」というイメージからは程遠いものであったことが明らかになったのです。

さらに注目を集めたのは、トランプ大統領の資金繰り。ニューヨーク・タイムズ紙の報道では、トランプ大統領が3年後には3億ドル以上の借金を返済しなければならないことが報じられました。借金の多さもさることながら、「これだけの資金をトランプ大統領はいったい、どこの誰から借りたのか?」という点が様々な憶測を呼びました。トランプ大統領の「ロシア・コネクション」は特別捜査官による捜査の対象となり、また弾劾裁判とも密接な関係があったわけですが、資金を借り入れていたのが外国の金融機関や外国企業であれば、大統領が個人的に外国政府に弱みを握られていることになり、アメリカにとっては大問題となるからです。

このような経緯もあって、9月29日の第1回討論会がどうなるのかが大いに注目されていたわけですが、蓋を開けてみると、トランプ大統領とバイデン前副大統領の間では、「政策論争」ははるかかなたに吹っ飛び、「泥仕合」と呼ぶにふさわしい個人攻撃合戦が繰り広げられました。トランプ大統領は、2016年大統領選の時と同じように、対立候補のバイデン候補が司会者からの質問に答えている最中にバイデン候補の発言を何度も遮り、司会を務めたFOXニュースのアンカーマンのクリス・ウォレス氏にたびたび注意され、そのたびに逆切れしました。しかも、バイデン前副大統領が答えている間に「社会主義者め!」などと頻繁にヤジを飛ばす始末でした。

これに対して、討論会前は、トランプ大統領は相手にせず、司会者からの質問に対して真摯に回答する戦法に徹するのではないかと言われていたバイデン前副大統領も、トランプ大統領が自分の息子のハンター・バイデン氏にも人格攻撃の対象を広げ、同氏が成人後長年、薬物やアルコール依存症に苦しんでいたことを持ち出し「ヤク中だ」「コカイン服用で米軍から不名誉除隊になったじゃないか」などと批判したことが逆鱗に触れたのか、トランプ大統領を「人種差別者」「嘘つき」などと呼んで激しく応酬。結果、終わってみれば、政策論争はほとんどされず、白人高齢者二人がひたすらお互いを罵りあう討論会となってしまったのです。

討論会で展開された議論(というか、候補者同士の単なる口喧嘩に近いやり取り)の余りのひどさからでしょうか、討論会開始後1時間も立たないうちに、フェイスブックなどのSNSは盛り上がりました。討論会を見ている視聴者からは「司会者の権限でマイクを消音できるようにするべきだ」「尊厳のかけらもない(disgrace)」といった書き込みばかり、そうした書き込みは討論会の90分間だけでなく、討論会終了後も翌30日になるまで続いたほどです。

討論会翌日のメディアは、例えば、30日付のワシントン・ポスト紙では政治記者のダン・バルズ氏が「がっかりする最初の対決、そしてアメリカに対する侮辱」という見出しの分析記事を掲載、朝のCNNニュースでも、ニュースアンカーが放送禁止用語ギリギリの表現を使って「昨晩の討論会は討論ですらない」「糞みたいな討論会」とコメントするなど、討論会での議論の質の低さを批判する報道で埋め尽くされました。日本でいえばNHKラジオに相当するNational Public Radioが「米国の歴史の中でも最悪の大統領候補討論会だったかもしれない」という評価なのですから、その酷さは推して知るべしでしょう。

しかも、トランプ大統領が、司会のクリス・ウォレス氏の「白人至上主義者の団体をなぜ、あなたははっきりと否定しないのですか」という問いかけに対して、「私はただ、平穏を望んでいる。このようなグループに対しては、引き下がって、待ってろ(stand back and stand ready)と言いたい」と答えたことが、白人至上主義者団体を否定するどころか、彼らをかえって勢いづかせたと批判されています。また、トランプ大統領が「私の支持者には、選挙当日には投票所に足を運んで、投票所の様子を注意深く観察していてほしい」と言ったことも問題視されています。なぜなら、アメリカの選挙法では、投票所の中で投票を終えた人が集団でたむろすることは禁じられているからです。また、トランプ支持者が投票所の外でウロウロすることで、有色人種の有権者が投票所に足を運びづらくなるのでは、という懸念も浮上しています。

今回の討論会の惨状を見て、今後大統領候補討論会委員会は、発言を遮った候補に対して罰金を科す、あるいはマイクを消音するなどのペナルティを科すなど、討論会規則の一部変更を検討するかもしれないということですが、初回からこれでは、第2回、第3回はいったいどうなってしまうのでしょう。2016年大統領選挙のように、まともな政策論争は副大統領候補討論会でしか聞けないという事態が再び発生するかもしれません。


辰巳 由紀  キヤノングローバル戦略研究所主任研究員