外交・安全保障グループ 公式ブログ

キヤノングローバル戦略研究所外交・安全保障グループの研究員が、リレー形式で世界の動きを紹介します。

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2020年6月15日(月)

デュポン・サークル便り(6月12日)

[ デュポン・サークル便り ]


 日本全国で緊急事態宣言が解除、さらに今週は東京でも「東京アラート」が解除され、日本では少しずつ日常らしさが戻ってきているのでしょうか。

 先週のデュポン・サークル便りでは、コロナウイルス拡散防止のために発動していた外出自粛命令の緩和に向けて動き始めたかと思ったら、今度はミネソタ州ミネアポリスで黒人のジョージ・フロイド氏が地元警察に逮捕された後に死亡した事件についてお伝えしました。同氏が逮捕された当時の映像が米国内で拡散して以降、黒人に対する警察の理不尽な暴力に抗議する集会があっという間に全米に広がっており、アメリカは相変わらず「一難去ってまた一難」のようです。中でも、6月1日(月)のトランプ大統領の言動は特記すべきでしょう。ホワイトハウスのローズガーデンで1807年に制定された反乱法(the Insurrection Act of 1807)発動の可能性をちらつかせるなどの高圧的な発言を連発した後、大統領はホワイトハウスから通りを隔てた聖ジョン・エピスコパル教会に歩いていき、同教会の前で聖書を掲げ「米国は偉大な国だ」といって写真撮影をしたのです。この撮影を実現するため、トランプ政権が警察に同地域で平和的に抗議活動をしていた一般市民を催涙弾やゴム弾銃など力ずくで排除させたことは先週お伝えしましたが、今週はこの事件の余波がワシントンを一層揺るがしています。

 ことの始まりは、この事件の後、普段は沈黙を保ち政治的な発言をしないことが暗黙の了解となっている中将・大将クラスの退役軍人から批判が出始めたことです。1日の事件があった翌日の2日、保守系言論誌の「The Atlantic」電子版はマイク・マレン元統合参謀本部議長(退役海軍大将)による「もう黙っていられない(I cannot remain silent)」と題する論説を掲載しました。同誌は3日にもジム・マティス前国防長官による大統領批判の書簡を全文掲載。また、マーク・エスパー国防長官は3日(水)午後に開いた記者会見の中で、「一連の抗議活動を鎮静化するために現役の米軍を使用することを私は支持しない。現役米軍の投入はあくまで最後の砦として、法執行機関を支援するためにだけ行われるべきだ」「1807年反乱法(the Insurrection Act of 1807)は真に緊急を要する場合にしか発動されるべきではなく、現在の状況は、同法の発動を正当化できる状態ではない」などとトランプ大統領とは明確に距離を置く発言を行う事態になりました。更に、12日(金)にはミリー統合参謀本部議長も陸軍士官学校卒業式に寄せたビデオ演説の中で、トランプ大統領の聖ジョン・エピスコパル教会訪問に同行したことについて「自分はあの場にいるべきではなかった」と謝罪したのです。

 確かに、1日(月)トランプ大統領が徒歩でホワイトハウスから教会に向かう映像の中に、大統領の斜め後ろを歩くエスパー国防長官とともに、迷彩服を着て大統領と一緒に歩いているマーク・ミリー統合参謀本部議長(陸軍大将)も映っていました。当然ながら、この映像が流れた直後からエスパー国防長官とミリー統合参謀本部議長は、「トランプ大統領の写真撮影のために、軍の政治的中立性を疑わせるような行動をとった」とメディアはもちろん、国防関係者からも怒涛のような批判にさらされていたのです。

 日本では自衛隊について議論する際、時折「文民統制(シビリアン・コントロール)」という概念が使われます。端的にいえば、「自衛隊は文民(シビリアン)の指示に従わなければならない」ということですが、最近ではこの「文民」が「防衛省内局に努める官僚(俗に背広組と呼ばれます)」を指すのか、国民の信任を得て国会に送り出された国会議員なのか、それともその両方なのかについて議論されてきました。一方、アメリカではこれとは似て非なる概念である「政軍関係(civil-military relations)」がよく議論の対象になります。これらはいずれも、軍隊という組織と、非軍事組織である政府や立法府、更に、より広く見れば一般社会、との関係について議論する際に使われる概念です。

 この二つの概念は若干ニュアンスが異なるのですが、どちらの概念にも共通する重要な原則があります。それは軍隊という組織の政治的中立性と、軍隊が自国民に銃を向けることがあっては決してならないという大原則です。アメリカや日本のような民主主義社会と独裁国家や非民主的国家との違いは、軍隊という、ある意味で究極の暴力組織を時の施政者が自分の政治的目的を達成するために利用するか、しないかです。この原則は、日本ではもちろん、アメリカでも「神聖にして犯すべからず」のレベルの重要性をもちます。だからこそ、アメリカでは国防省やその傘下にある組織、または対外諜報機関である中央情報庁(CIA)などに、アメリカ国民の通信を許可なく傍受することを禁じているのです。同様に、国内で緊急事態が起きた場合、警察のサポートをするのは、米連邦軍ではなく、州知事の権限で動員できる州兵(National Guard)です。中将以上の階級まで昇任した後に退官した米軍の幹部が政治的ととられかねない発言を一切控えるのは、米軍の政治的中立性を守るためです。これは現役で頑張っている後輩の政治的中立性に疑問符がつけられるような言動は絶対に慎まなければならない、という「退役米軍幹部の矜持」とも言えるでしょう。2016年大統領選挙の際に、共和、民主それぞれの党大会で演説して対立候補の批判をしたマイケル・フリン元国家安全保障担当大統領補佐官(退役陸軍中将)とジョン・アレン・ブルッキングス所長(退役海兵隊中将)が、それぞれ事後に退役米軍幹部コミュニティの間で強い批判に晒されたのも当然なのです。

 このように退官後も後輩の政治的中立性を守るため常に政治的発言を控え、沈黙を守り続けてきた中将・大将クラスが、今回その沈黙を破り、現職大統領を明示的に批判するのは異例中の異例です。ミネアポリスで最初に暴動が起きて以来、この1~2週間のトランプ大統領の言動、特に、抗議活動を続ける一般市民を鎮圧するために米軍を投入することも厭わない旨示唆し続けた最近の発言は、彼ら退役軍人の堪忍袋の緒が切れるほど、行き過ぎていたということです。しかも、こうした危機に際し大統領を支援するのが重要な役割の一つであるはずのメラニア夫人もこの2週間、無味乾燥な声明をソーシャル・メディアでたまに出す以外は普段どおりの生活を続け、被害者の遺族と面会すらしていません。このことも批判を呼んでいるのです。

 トランプ大統領は政権発足当初から軍人が大好きで、一時はジョン・ケリー大統領首席補佐官(退役海兵隊大将)、マイケル・フリン国家安全保障担当大統領補佐官(退役陸軍中将)、ジム・マティス国防長官(退役海兵隊大将)など政権主要ポストに3人もの退役米軍高官を迎え入れて「軍人が多すぎる」と批判されていました。ところが、その大好きな軍人グループに反旗を翻されてしまった大統領にとって、今回の暴動は当然、秋の大統領・連邦議会選挙にも悪影響を与えつつあるようです。この点については、次回お伝えしようと思います。


辰巳 由紀  キヤノングローバル戦略研究所主任研究員