キヤノングローバル戦略研究所外交・安全保障グループの研究員が、リレー形式で世界の動きを紹介します。
2025年7月25日(金)
[ デュポン・サークル便り ]
ワシントン近郊は、東京に負けるとも劣らない暑さが続いています。幸い、この1~2日は少し暑さが和らぎましたが、湿度の高さは相変わらず。トレーニングも、外をジョギングするより屋内のジムにどうしても足が向きます。実はこの3週間、息子の毎年恒例「日本で日本語漬けになる」ための里帰りに付き合って日本とアメリカを往復していた(仕事していると、そんなに休めないんですよね)ため、フツーの時差ボケでボロボロでして、その意味でも「ファイト!一発!」とでも言いたい感じでしょうか。しかもこれだけ蒸し暑いと、ジムにいって「汗をかく→もっと暑くなる」というオプションを選択するために自分を鼓舞するのも一苦労。自分自身の根性が試されます。日本の皆様はいかがお過ごしでしょうか。
トランプ政権発足後、大事なニュースが週末に発生したり、私がワシントンを不在にしている間に始まって終わっていることばかりですが、この3週間も例外ではありません。私がえっちらおっちら、3週間で日本とワシントンを二回も往復している間に、連邦議会では予算関連の「OBBB法案」が可決成立、しかも、私がワシントンに戻る「機上の人」だった間に、日米で関税合意まで成立してしまい、完全に浦島太郎状態です。
それにしても、日米関税交渉が一応の妥結をみたことは、アメリカ国内でも「よかった・・・」という空気の評価がほとんどです。交渉だけとってみると、トランプ政権に対日姿勢は非常にきつかったのですが、実はアメリカ国内の他の部分の反応を見ていて、私は隔世の感を強く持ちました。
こんな書き方をするとそれこそ「年がばれ」てしまいますが、前回、日米が今回のような厳しい通商を行ったのは、最も最近でも、30年以上前の1990年代初頭。当時のクリントン政権が、日本政府に対して「非関税障壁」の撤廃や、自動車、コメ、オレンジなどの市場の開放、政府調達などどの各ポイントをめぐって厳しい交渉をしていた時です。当時は、連邦議会議事堂の前で、日本車のフロントガラスが見せしめに叩き割られたり、東芝のテレビがぶっ壊される様子がテレビに映っていました。
ところが今回、交渉当事者「以外」のアメリカ国内の空気は全然違いました。日本車をぶっ壊すどころか、「関税上がるかもしれないから、買うなら今でしょ!」とでも言わんばかりに、新規購入や買い替えの計画を前倒しした人たちが日本車のディーラーに殺到。「関税前特需」とでも呼ぶべき事態が発生しました。また、周りの人に聞いても「お寿司やお刺身が高くなったら困るなぁ」「日本のお菓子好きなのに、これで値段上がっちゃうじゃん」など、むしろ「日本の製品への高関税かけられるは困ります」という雰囲気が支配的だったのです。
これは、30年前に通商摩擦がピークを迎える前から、アメリカで日本製品を販売してきた日本企業の皆さんの涙ぐましい努力が実を結んだ結果でしょう。今では、「本物」とはとてもいいがたく、怪しさMAXの食べ物もありますが、パッと見渡してみても、「スシ」「サシミ」「テンプラ」「てりやき」「ヤキソバ」などは、もはやアメリカ人の食生活の一部。先日など、「関税交渉がうまくいかなくなったら、「マッチャ」の値段が劇上がりする!」というニュースを、なんとCNNのような大型メディアではなく地元リスナーを対象にしたローカルラジオ局でやっていました。日本車は、もはや「質・サービスともに一ランク上のアメリカ車」と同じ扱い。そういえば、第1次トランプ政権時に政権で働いていて、トランプ大統領の訪日代表団にも入っていた私の知り合いも「イザカヤ最高!なんでアメリカにはああいう飲み屋がないんだ!」と熱く語っていましたっけ。
とにもかくにも、今回、関税交渉が一応の「妥結」を見たことで一番ホッとしているのは、ようやく主要通商相手国、特にアメリカが恒常的に貿易赤字を抱えてきた日本と「ディール」が成立したことを喜ぶトランプ大統領ではなく、むしろ交渉の行方を不安げに見守っていたアメリカ国民ではないでしょうか。
ですが、ワシントンのニュースサイクルは早いです。すでにニュースのヘッドラインは「シグナルゲート」第二弾に移行。「3週間の空白」はもはや埋めようもなく、また、毎日ニュースを気にしながら生活に戻るしかありませんね・・・・(了)
辰巳 由紀 キヤノングローバル戦略研究所主任研究員