今米国で“政治経済的茶番劇(politico-economic farces)”が繰り返されているように映っている。
揺れ動く米国政治を観察する間に次のような印象を抱いた—リーダーには“大局観”が大切で「木を見て森を見ず(not see the wood for the trees)」という過ちを犯さない事が重要だ。翻って側近であるブレインは「森を念頭にしていても、個々の木を詳細に観察する事」が不可欠だ、と。
国別関税一覧表が公表された日の前日(4月1日)、マンキューHarvard大学教授は「トランプ氏は国際経済学の基礎を理解してないようだ。彼の論点の多くは、2半世紀前にアダム・スミスが既に『国富論』の中で論駁している(Trump doesn’t seem to understand basic international economics. A lot of the arguments he makes, Adam Smith was refuting two and a half centuries ago in ‘Wealth of Nations’)」と、米Washington Post紙を通じて語った。同時に同紙は「経済原論入門を受講すべきトランプ氏(Trump Needs an Economics 101 Class)」という“読者からの手紙”を掲載した。
また国別リスト発表直後の3日、ロゴフHarvard大学教授は「今、大統領は世界の貿易体制に核爆弾を投下した(He just dropped a nuclear bomb on the global trading system)」と英国BBC放送を通じて語った。これに対し4月7日、ナヴァロ米大統領上級顧問は英Financial Times紙に、小論「トランプ氏の関税政策は壊れた現在の経済体制を修復する(Donald Trump’s Tariffs Will Fix a Broken System)」を寄稿した。その直後に、彼の見解に対するイエレン前財務長官の反論が4月10日付Wall Street Journal紙を通じて伝えられた(PDF版の2参照)。
トランプ氏による関税政策が世界中の金融市場に衝撃を与え、関係各国だけでなく米国内の関連業界からの反発を招いた結果、税率が二転三転している。これはトランプ氏の“MAGA”達成という“目的”に関税政策という政策“手段”が合致していない事に起因している。
大統領は“My Peter”と呼ぶナヴァロ氏と共に、19世紀末の米国産業の抬頭がマッキンリー大統領時代の関税政策によって実現されたと理解しているらしい。それ故に現在の米国製造業の復活に関税が極めて有効な政策であると信じている。だが、この認識に大きな誤りがあるのだ。確かに1890年代の米国製造業の輸出急増は1890年関税法の成立と同時期に生じている。だが、当時の経済政策における関税の役割や当時の関税が産業競争力に与えた影響に関する彼等の認識には誤りがある。1890年関税法は所得税が導入された1913年歳入法以前のものだ。即ち関税は、社会保障制度が確立する以前の“規模の小さい”連邦政府の主要財源であった。翻って現在の関税は、複雑なsupply chainsが縦横に張り巡らされたグローバル経済における単なる一手段であり、しかも社会保障や医療保険、更には国防を担当する“大きな”連邦政府に委ねられた一つの手段だ。従って単純な形で関税を急に変更するだけでは問題は解決しないのである(PDF版図1参照)。
また米国の産業構造変化も考慮すべきだ。1890年代は製造業が勃興期を迎えて、米国の輸出は従来の綿花や穀物という農産物に加え、鉄鋼・石油が増加し始めた時代だった。新たに発見されたメサビ鉄山から供給される安価な鉄鉱石により、1890年代中葉から米国鉄鋼業が英国に対して猛追を開始した時期であり、鉄鋼製品の米国輸出に占める割合は1890年の3.0%から1900年の9.0%へと上昇したのだ。(これに関し、例えばアーウィンDartmouth大学教授の“How Did the United States Become a Net Exporter of Manufactured Goods?” Apr. 2000)を参照)。
更には相互関税率の算出式に関しても疑問が残る。紙面の都合上、詳述を避けるが、算出時の誤りに関し、米think tank (AEI)の研究者が小論(“President Trump’s Tariff Formula Makes No Economic Sense. It’s Also Based on an Error”)を公表している。また独think tank (IW)の研究者も、論文(„Trumps Liberation Day: Eine kurze ökonomische und handelspolitische Bewertung“)の中で、為替レートや米国の輸出に関して、極めて単純な“他の事情が同じならば(ceteris paribus)”の前提に基づき税率が算出されている点を指摘している(PDF版の2参照)。
かくしてトランプ関税は決して“考え抜かれた(well-thought-out)”ものではなく、経済活動が忌避する“不確実性”を世界中に拡散する政策なのだ。このため筆者は友人達に対し「人工知能(AI)に頼んだ方が、優れた産業再活化政策を案出してくれるかも?」と冗談気味に語った。
トランプ関税を経済政策ではなく外交手段として見た時、関税率の国別一覧表は一層不可思議に映る。
米国の最優先事項が米中大国間競争における勝利ならば、米国側につなぎ留めるべき先進国やアジア諸国に高い相互関税を課するのは何故か。中国による迂回輸出阻止のために、関税に関してアジア諸国と交渉する事が果たして合目的的なのだろうか(PDF版表1参照)。
そもそも地政学的に米国はアジアだけでなく、欧州や中東にも目を光らさなくてはならないはずだ。それなのにアジアの友邦を関税で苦しめて良いのか、と疑問に思った次第だ。4月6日に台湾メディア(CNA/中央通訊社)が報じた映像(“相互関税: 頼清徳総統、政策を5つ提示: 報復措置は採らず(美對等關稅 賴總統提5策略: 沒有計劃採取關稅報復)”)を観た時、苦渋に満ちた表情の総統の姿が印象的であった。
こうした中、ナヴァロ氏の著書(Crouching Tiger: What China's Militarism Means for the World, Nov. 2015)/『米中もし戦わば』/«美、中開戰的起點»/ «卧虎: 中国军国主义对世界意味着什么»)を遅ればせながら読んだ。彼は多くの識者の意見を巧みに取り込み、地政学的分析を行っている。本の冒頭から或る程度は納得して読んでいたが、最後の45章で“違和感”を感じた。ナヴァロ氏はこの章の冒頭で『聖書』を引用した—「マタイ傳」の「分れ爭ふ町また家はたたず(Every city or house divided against itself shall not stand)」だ。もしもこの言葉を彼が信じているならば、“対中”を念頭に米国内及び海外諸国を巧みに啓蒙・統一する手段を編み出す必要があるのではないか。しかし、大統領上級顧問としての彼の助言は米国の内外に拒絶・分裂を生み出した。しかもWall Street Journal紙に依れば、4月9日に関税率適用に関して90日間の延期が決定されたのは、積極的な関税推進派のナヴァロ氏が別の会議に出席して居ない時に、財務・商務両長官が大統領に直訴した結果らしい。即ち閣内においても“分れ爭ふ”形となっているのだ。こう考えると、今後とも米国の政権内や国内での“分れ爭ふ”状態は不可避だろう。
翻って中国は対抗手段の一つとしてレアアースの輸出を制限し始めた。レアアースはハイテク製品—スマートフォンから最先端戦闘機に至るまで—の製造に不可欠な資源だ。大統領の側近は貿易戦争開始前、資源の対中国(及びカナダ)依存度を調べていなかったのではないか。常識的に考えれば、戦争開始直前には敵国に対する自国の戦略物資の輸入依存度を確認する必要がある。今次貿易戦争の際、関連資料を読めば、中加両国に対し高関税を課す事が賢明だとは到底思えない(例えば、PDF版の図2、3で示した米国地質調査所(USGS)本年1月発表の“Mineral Commodity Summaries 2025”を参照)。ナヴァロ氏に加え国防産業基盤(defense industrial base (DIB))の復権を望むベッセント財務長官も、(“森を見つつ、木にも細心の注意を払って”)正確な知識に基づき、経済に混乱を招来しないような関税政策を考えるべきだったのだ。
米国自身が“分れ爭ふ(divided against itself)”状態ならば、喜ぶのは中国やロシア、そしてイランや北朝鮮だ。
4月末にリオデジャネイロで開催されたBRICS外相会合の直後に公表された議長声明には「無差別的な高率相互関税や非関税障壁を含むWTOルールと不整合で、正当化される事の無い程の不公正で一方的な保護主義的手段(unjustified unilateral protectionist measures inconsistent with WTO rules, including indiscriminate raising of reciprocal tariffs and non-tariff measures)」という形で、暗に米国を批判する文章が挿入されている。
会合には11のBRICS加盟国と9のパートナー国、合計20ヵ国が参加して、その中にはマレーシアやタイ等のアジア諸国が含まれる。これに関し、シンガポールの或る友人は「東南アジア諸国を迂回した中国の対米輸出を警戒する事は理解出来る。だが、アジアの平和と繁栄に対して積極的に関与するという米国の意思をアジアが信じれないと感じた時、アジアの中小国家は中国側に益々傾いてゆく」と語った。
ロシアは、“特別軍事作戦(специа́льная вое́нная опера́ция (СВО))”が3年を過ぎた現在でも目的を達成する事が出来ず、苦戦が続いている(とは言え、歴史が示す通り、戦況を正しく判断する事は決して出来ない。ただ確実に言える事は、「不幸な戦争は未だ続く」と言う事だけなのだ)。こうした中、プーチン大統領は3月末にムルマンスクで開催された国際会議(«Арктика – территория диалога»/The Arctic: Territory of Dialogue)で「ロシアは最大の北極圏国家(Россия – крупнейшая арктическая держава)」と語り、露北西部と極東をシベリア鉄道やバイカル・アムール鉄道を通じて繋いだ“北極圏回廊(Трансарктический коридор/Transarctic corridor)”構想について語った。これに関して、筆者は“北極圏回廊”は中国の“氷上のシルクロード(冰上丝绸之路/Ice Silk Road)”と如何なる関係になるのだろうか、と友人達に質問した次第だ(PDF版図4参照)。
また4月中旬にモスクワで開催された国際展示会では中国のエレクトロニクス関連企業が多数参加した事を知り、「こうした形で西側の最先端の電子機器が、我々の知らない間にロシアに流れていくかも?」と友人達に語った。
米中大国間競争は、政治経済社会の全ての次元において展開されている。
西太平洋を巡る動きが激しい—台湾海峡、東シナ海、南シナ海、そして黄海における中国の動きに関係諸国が神経を尖らせているのだ。台湾では現状維持派と親大陸派との間で政治的対立が激化している。立法院での与野党の対立、そして軍幹部や先端技術分野の専門家と大陸との親密な関係に警戒感が高まっている(PDF版の2参照)。しかし、そうした中でも市井の人々は未だ緊張感を感じていないらしい。台湾のthink tank (國防安全研究院 (INDSR))が3月末に公表した世論調査(«國防安全民意調查»)に依ると、「回答者の僅か23%が人民解放軍(PLA)による5年以内の軍事侵攻を憂慮している」として、台湾政府による情報提供と一般市民に対する啓蒙策の必要性を提言している。
4月初旬にはPLA東部戦区が軍事演習(海峡雷霆-2025A)を実施した。平和を願う我々だが油断禁物だ。日中交流は当然継続すべきだが、同時に米韓台比豪等関係諸国との連携を強化すべきである。こうした中、第一期トランプ政権時に国家安全保障問題担当大統領副補佐官だったポッティンジャー氏による編著書(The Boiling Moat: Urgent Steps to Defend Taiwan, Jul. 2024)の邦訳版・漢訳版が今年の2月に出版された(『煮えたぎる海峡: 台湾防衛のための緊急提言』; «沸騰的護城河: 保衛台灣的緊迫行動»)。今、同書を基に内外の友人達と議論を続けている。
同書の冒頭に記された2つの引用句は本当に素晴らしい。
「邊地之城…必將嬰城固守、皆為金城湯池、不可攻也(Cities along the frontier . . . must resolutely their defenses; protected by metal ramparts and boiling moats, they become impregnable)」 (『漢書』卷四十五「蒯伍江息夫傳」)
“To be prepared for war is one of the most effectual means of preserving peace.” (George Washington, ‘First Annual Address to Congress,” January 8, 1790)
経済摩擦は高関税の応酬(tit-for-tat)が加わったために一段と激化している。このtit-for-tat strategyは明らかに双方にとり自傷行為である。中国側の巧みな対外経済戦略手法に関しては、Georgetown大学のメディロス氏等による論文(“China’s New Economic Weapon,” Spring, 2025)や小誌(169, 174号/2023年5, 10月)で触れたTufts大学のドレズナー教授やJohns Hopkins大学のファレル教授による本(The Uses and Abuses of Weaponized Interdependence, Mar. 2021)等を基に友人達と意見交換を行っている。メディロス氏も前述の論文の冒頭で記したが、経済的威圧(economic coercion)は中国の常套手段(stock-in-trade)だ。筆者は、1931年9月、満洲事変勃発の経済的背景として中国側の経済的威圧があり、1932年10月の「リットン報告書(Lytton Report)」の中にも記されていると語った(現在は米国による経済的威圧の方が凄まじいが…)。
社会面での大国間競争で特筆すべきは科学分野だ。中華系の研究者は政府から現在厳しい眼で監視されている。非常に悲しい事態だ。勿論、軍民両用技術分野における研究者の活動・資金源は監視すべきだ。だが行き過ぎは禁物だ。こうした中、2022年9月の習近平主席の言葉を思い出している—科学には国境は無い。(しかし)科学者には祖国がある(科学无国界,科学家有祖国)、と(小誌167号(2023年3月)参照)。そして今、4月7日にStanford大学が公表した“AI Index Report 2025”を基に、米中間AI開発競争を議論している(PDF版の表2~4参照)。
周知の通り現在、米国では別の次元で学術界が大騒動になっている。全米アカデミーズの有志が3月31日に、そして米国大学協会(AAC&U)が4月22日に、学術団体及び研究者に対する最近の政府の高圧的対応を問題視する意見を公表した(PDF版2参照)。
特に反ユダヤ的対応をしたという理由でHarvard大学やColumbia大学等が助成金の削減の危機に直面したのだ。米国の歴史に詳しい人ならご存知の通り、長年米国は反ユダヤ的社会であった。従ってHarvardやColumbiaも第二次大戦までは“明らか”に反ユダヤ的だった。
1933年から1953年まで19年余りHarvard大学を管理運営したジェイムズ・コナント学長も反ユダヤ主義者であった事は有名だ。筆者は米国の或る教授から、ノーベル経済学賞受賞者のサミュエルソン教授がユダヤ人である理由から就職時に苦労した事を聞いた事がある。またNazi Germanyから逃れてきた優れた法学者であるハンス・ケルゼン教授は、1940年にHarvard大学の名誉ある講座(Oliver Wendell Holmes Lectures)を担当し、著書(Law and Peace in International Relations)を残した。この講座の担当者はHarvard大学教授の職が与えられる事が当然視されていた。にも拘わらず、コナント学長は認めなかった。またそれ以前の1934年5月、独海軍軽巡洋艦「カールスルーエ」のボストン寄港時、ナチ党員である独海軍将兵を歓迎する式典に、コナント学長を含む大学教授や学生、更にはマサチューセッツ州知事やボストン市長が参加したのだ。勿論、コナント学長“だけ”を非難するつもりはない。当時の社会の反ユダヤ思想が問題だったのだ。
当然の事だが、現在のHarvardやColumbiaは上述したような戦前の状態ではない。将来に向けて、米国の優れた大学が哲学思想、芸術、そして科学分野で引き続き世界をリードする研究をしてくれる事を願っている。
今年は第二次大戦終結80周年を迎える。これを記念して各地で様々な行事が開催されている。
80年前の出来事だが、戦争に絡んだ憤怒と苦悶は人の頭と心からは簡単には消え去らない。4月16日、ベルリンから約70km離れた街ゼーロウで記念式典が開催された。80年前の4月16日から4日間、首都ベルリンへと進撃する赤軍とそれを阻止する独軍との間で激戦が繰り返されたのがゼーロウ高地だ。現在、ドイツ政府は記念式典にロシア及びベラルーシの外交官を招待する事を控えている。だが、ネチャーエフ露大使が式典に参列したのだ。独Die Zeit誌に依れば、露大使は招待を受けずに参列したが、参列自体は拒否されなかった。その事をウクライナ政府が問題視したらしい。人間の心は複雑だ—80年前の事を思い出して憤る人もいれば、覚えていても沈黙する人がいる。忘れてしまった人もいれば、知らない人がいる。そして今、80周年式典がどこかで開催されている間、どこかで戦争が行われている。
4月7日は、戦艦「大和」はじめ10隻の水上艦隊が出撃し、徹底的な敗北に終わった日から80年を迎えた日だ。少年の時から何度も戦艦「大和」のプラモデルを作成しただけに忘れられない日でもある。約20年前、アナポリスの米国海軍兵学校の博物館を訪問した時、素晴らしい「大和」の模型があった事を記憶している。美しい「大和」の姿とは異なり、80年前の4月7日の海戦は悲惨なものであった。海戦で撃墜された米軍機は僅か5機(その他損失が8機)。帝国海軍の損害は「大和」はじめ6隻が沈没。悲惨極まりない完敗だ。
米軍は暗号解読と潜水艦による偵察で「大和」出撃の直後から動きを観察していた。また帝国海軍の対空火器は電子式でなく光学式で、しかも高射砲の砲弾は近接信管ではなく旧式の時限信管だ。これでは米軍機を撃墜する事は難しい。日米両軍ともプロの軍隊であるが、二軍対一軍の対決みたいなものである。精神主義が科学的な合理主義を圧倒していた当時の帝国海軍の最期は実に悲しい。
戦前Princeton大学に留学し、敗戦時には情報将校だった實松譲大佐は、この4月7日の海戦に関して、戦後、次のように記している—「目的地到達前に壊滅することは、ほとんど決定的」で、「傘もあたえずに豪雨の中をぬれずに通れと要求する」作戦であり、それは「狼の大群とライオンを押しのけて、猟犬に虎穴にはいれ」という「シロウト目にも不可能と思われる自殺行為」であったのだ。