メディア掲載  エネルギー・環境  2024.02.16

樹齢70年でも衰え知らず、東京・練馬の柿の木に見る気象の変化と人々の営み

「桃栗三年柿八年」から「桃栗三年、柿も三年」を目指す日本の発明

JBpress202428日)に掲載

エネルギー・環境 農業・ゲノム

東京・練馬区にある荘埜園を訪れた。柿の果樹園があり、そこで摘み取りができて、隣の直売所では販売もしている。この付近は都市化が急激に進み、気温などの環境は様変わりした。そこに立ち続けた柿の木はそれをいわば「定点観測」してきたわけだ。何が起きてきたか知りたくて、江戸東京野菜研究会の大竹道茂先生のご紹介で昨年の秋に訪れた。

木の形(樹形)を整えることが柿の栽培の基本

立派な柿の木があった。昭和30年ごろからここでは栽培を始めたが、その時に植えたものであり、樹齢はじつに70年になるという。

枝ぶりはどっしりして風格がある(写真1)。バランスよく太い枝があり、細かい余計な枝はない。脚立を使えば必要な作業ができるよう、高さは低めで23メートル程度に抑えている。このように木の形(樹形)を整えることが柿の栽培の基本だという。

kaki_img01.jpg

【写真1】樹齢70年の柿の木。背景に近隣の住宅が見える(筆者撮影、以下も)

柿の実はたわわになっていた。きちんと手入れをしてきたおかげで、樹齢70年になっても全く衰えしらずだということだ。十数年前からこの果樹園を4代目として継いだご主人の荘埜晃一さんが話してくれた。

都内では、少し郊外に行くとかなり高く成長した柿の木があり、そのてっぺんの辺りに実がなっているのが放置されているのをよく見かける。

かつては、ある程度の敷地のある家であれば、庭に柿の木をよく植えて屋敷柿と呼んでいた。その実はおやつとして人々に親しまれていた。

だが、いまでは穫って食べるのも手間がかかって面倒だとか、スーパーで便利に買えるようになったとか、住人がお年寄りばかりになってしまった、などの理由で、放置されることが多くなった。

放置するとまた柿の木はどんどん高くなり、簡単には実を穫ることもできなくなって、ますます悪循環に陥った。挙句、それを狙ってクマが出没するなどと、話題になる始末である。 

さてこの付近の環境であるが、写真1にも写っているように、周囲は住宅街になっている。昭和30年ごろ、この付近一帯は畑であったとのこと。数十メートル離れたところからは崖になっており、その下は水田が広がっていた。そのただ中、この家から300メートルほどのところには白子川が流れている。

地球温暖化は過去100年あたり0.7℃程度だったから、過去70年であれば0.5℃程度気温が上昇したことになる。

2023年は猛暑による「ヤケ」も出たが豊作

これに加えて、東京では、都市化の影響が大きく、もっと急激に気温が上昇してきた。気象庁のある大手町や、近くの吉祥寺市にある成蹊学園の観測所では、過去100年あたり3℃程度だったから、過去70年であれば2℃程度の上昇があったことになる。

この果樹園のある地点では、おそらくこれよりも気温上昇は大きかったと思われる。なぜなら、近くにあった水田がなくなり、また周囲が宅地化してアスファルトやコンクリートで囲まれたためだ。気温が上昇するだけでなく、乾燥も進んだであろう。

これは霜害が問題ならば朗報だったかもしれない。だがここでは昔から霜害はなかったそうだ。

他方で、暑さによる害であるが、高温のときに「ヤケ」が出ることがあるという。2023年は猛暑だったのでこれが実際に起きた。写真2にあるヤケドのようなもので、こうなると商品にはならない。対策としては、剪定(せんてい)したり、蕾(つぼみ)や実を間引く摘蕾(てきらい)・摘果(てきか)したりするときに、下向きの枝を残し日光が直接当たらないようにする、といった作業をする、とのことだった。

kaki_img02.jpg

【写真2】ヤケの入ってしまった柿

また秋に寒くならないと青い柿がなかなか赤くならない着色不良が起きることもある。主に関西で栽培されている「富有(ふゆう)」という品種は、とくに今年は色づきが悪かったとのこと。ふつうスーパーなどに出回る柿は青いうちに収穫して、流通しているうちに赤くなる。これに対して、ここの果樹園では木になったまま赤くして、摘みたてを味わってもらうことが醍醐味だ。

なお2023年はヤケや着色不良は出たものの、ヘタムシなどの虫害はなく、全体としては豊作だったとのこと。

ここで主に栽培しており、摘み取りもできる品種は次郎(じろう)と富有(ふゆう)。これは昔からあり、日本でよく販売されている。

平成に入り多くの品種が出回るように

これに対して、平成に入るころから、農業試験場が開発した多くの品種が出回るようになった。この農園にも、東京都の農業試験場が開発した「東京御所」「東京紅」があり、また国の農研機構が開発した「太秋」がある。「太秋」は、甘くて水分が多く、シャキシャキしているのでいま人気がある。

柿は日本の在来品種であり、他の種に比べると品種改良への着手は遅かったが、平成に入ってからは、様々な種が出回るようになった。

さてこれから、この柿はどうなってゆくのだろうか? 

かつては柿の果樹園はこの付近にいくつもあったが、いまではなくなり、ここだけになってしまった、とのことだった。果樹の管理には結構な手間がかかるのが理由の1つ。

また、人々の暮らし方が変わったので、直販という形で続けてゆくことは簡単ではない、とのこと。かつては、観光バスが乗り付けて、多くの人が摘み取りをした。買うときにも、お客さんは段ボール箱で何箱も買って、親戚に発送したり、近所に分けたりしていたが、そういうことはなくなった。

いまでも毎年楽しみにして柿を買いに来てくれるお客さんはいるけれども、数個入った袋を買うのが普通で、昔のようにまとめては売れなくなった。

荘埜園の柿の木はこの場所に70年、立ち続けてきた。都市化などによる高温、乾燥にもかかわらず、いまでも木の勢い(樹勢)は衰えず、多くの実を付けている。

果樹を小さく育てる技術が次々に

けれども、もしも今後さらに気象が変わったらどうなるのか。

木は何十年も同じ場所にあり、すぐに動くことはできない。だから、野菜のように、毎年のように作物や品種を変えるというわけにはいかない。気象が変わったら、どうしようもないのだろうか。

ところがじつは、時代の流れは果樹も「野菜のように」育てることのようだ

何のことかというと、果樹の高さが高いと、脚立を使う必要があるなど、作業しづらいので、高さを低くして、大人が地面に立って全ての作業ができるほうがよい。また、11本バラバラに立っているよりも、列をなして密集して並んでいた方が作業しやすいし、機械も入りやすい。また覆いを被せたりして、暑さ寒さを調節することや、害虫・害鳥を防ぐこともしやすい。

そこで果樹を小さく育てる(矮化)技術が次々に工夫されてきた。その一つとして、最近注目されている平成になって日本人が発明した「ジョイント仕立て」をここでも実施していた(写真3)。

kaki_img03.jpg

【写真3】柿のジョイント仕立て

これは複数の苗を等間隔で並べ、隣同士を接ぎ木して、全体で大きな1つの果樹にするというもの。こうすると、苗を植えてから34年程度で、大きな木に負けないくらい実がたくさんなる「早期成園」ができるという。剪定、摘蕾、摘果、収穫などの作業もしやすくて、労働時間は半分ぐらいになる、と報告されている。

成園が早く、気象が変わっても対応しやすくなる

「桃栗三年柿八年」といって、柿は実がなるまでに8年かかる、と言われてきた。ご主人の話では、実際には、柿の木が立派な実を多くつけるには14年ぐらいはかかるとのことだった。これに対して、このジョイント仕立てでは、「桃栗三年、柿も三年」を目指しているという。

柿を多く作って市場に卸すという場合、その採算性が重要になるから、今後は、このような栽培方法が増えてゆくのだろう。そうすると、柿の果樹園の風景が、欧州のワイン用ブドウや日本の茶畑のように背が低い整然としたものになってゆくわけだ。

こうなると、なにしろ成園が早いので、気象が変わっても、それに対応しやすくなる。そしてこれは、すでに起きていることでもある。

この果樹園では、温州ミカンなどを15年ほど前から栽培するようになった。これは、かつてはここでは育たないとされていたものだ。最近では大きなレモンも穫れるようになった。

作物を変える代わりに、より暑くて乾燥に強い柿の品種を開発することもできるだろう。それも何十年ではなく、34年という時間軸で成園できるならば、ある程度急な気象の変化があったとしても対応しやすくなる。

農業を、食品を生産する「産業」としてみるならば、このように、果樹が野菜のように育てられるようになることは、時代の流れであり、その方が安くて新鮮なものを人々は楽しむことができる。そして気象が変わっても、栽培するものを変えて対応できるならば、人々がそう困ることはない。 

けれども、この果樹園にあるような、大きくて立派な、きれいに剪定された木には、何とも言えない趣きがある。「大きな栗の木の下で」の歌もそうだが、実がなっている大きな木には、子供の時から、ごく自然な愛着があった。町のどこかには、このような風景を残しておいてほしい、と昭和生まれの私は思う。