ワーキングペーパー グローバルエコノミー 2023.08.10
本稿はワーキングペーパーです。
コロナ危機時に顕著にみられた小売店における客数制限やソーシャルデイスタンスによるレジ前の行列や試着室の利用制限は、小売における顧客体験の消失、より一般的に「販売制約」(売手が買い手に提供できる販売サービス・販売補助が限られている状況)の可能性を浮き彫りにした。実は、これは危機時における一時的現象ではない。顧客対応人員の不足によって、様々な小売市場や不動産市場、雇用紹介などで販売制約は幅広く顕在している。しかしながら、経済学のどの分野においても販売制約が市場のパフォーマンスに与える影響を分析した研究は皆無である。
本論文では、販売制約が価格形成や経済厚生に与える影響を理論的に考察する。まず、経済学において関連する概念として規模の制約(capacity constraints)があるが、販売制約(selling constraints)とは性質を異にすることを示す。例えば、規模の制約に直面した独占的な売手は、販売制約がない場合、財と顧客とのマッチングの可能性を無限に試せるが、販売制約がある場合は、マッチングの失敗による取引の不成立の可能性を考慮に入れなければならない。
このような、販売制約の下で生じる取引の価値(質)と取引の確率(量)とのトレードオフは、経済厚生について新たな視座を提供する。通常の経済分析では、価格が限界費用と等しくなるところで経済厚生が最大になる。これは、価格引上げると低い消費価値をもつ消費者が取引をしなくなるためである。しかし販売制約の下では、価格引上げは低い価値の消費を失わせる半面、高い消費価値の取引確率を上げる。よって、販売制約の下では、ある程度のマーケットパワー(正のマークアップ)の存在が社会的にみて最適になる。
本論文ではさらに進んで、多くの売手と買手がいる市場で、買手がショッピングを開始する前に価格を観察できる(独占的競争)か否(自然独占)かで販売制約の含意に違いが出ることを示す。販売制約下では一般的に、価格は総経済厚生を最大化する水準を上回る。しかし価格が観察可能で事前の価格競争がある場合、販売制約が消失する極限では社会的に最適な水準に市場価格が近づく。よって、本論文は販売制約がマーケットパワーの源泉となるメカニズムを経済学的に明らかにするものである。
ワーキング・ペーパー(23-012E)Price equilibrium with selling constraints