CO2濃度は410ppmに達した(図)。毎年2ppm程度の増加を続けているので、あと5年後の2025年頃には420ppmに達するだろう。420ppmと言えば、産業革命前とされる1850年頃の280ppmの5割増しである。この「節目」において、あらためて地球温暖化問題を俯瞰し、今後のCO2濃度目標の設定について考察する。
図 大気中のCO2濃度。過去40年で年間約2ppmの上昇をしている。
https://ds.data.jma.go.jp/ghg/kanshi/ghgp/co2_trend.html
1 過去: 緩やかな地球温暖化が起きたが、人類は困らなかった。
IPCCによれば、地球の平均気温は産業革命前に比べて約0.8℃上昇した。これがどの程度CO2の増加によるものかはよく分かっていないけれども、以下では、仮にこれが全てCO2の増加によるものだった、としてみよう。
まず思い当たることは、この0.8℃の上昇で、特段困ったことは起きていないことだ。緩やかなCO2の濃度上昇と温暖化は、むしろ人の健康にも農業にもプラスだった。豪雨、台風、猛暑などへの影響は無かったか、あったとしてもごく僅かだった。そして何より、この150年間の技術進歩と経済成長で世界も日本も豊かになり、緩やかな地球温暖化の影響など、あったとしても誤差の内に掻き消してしまった。
さて、これまでさしたる問題は無かったのだから、今後も同じ程度のペースの地球温暖化であれば、さほどの問題があるとは思えないが、今後はどうなるだろうか?
2 今後: 温室効果は濃度の「対数」で決まる――伸びは鈍化する。
CO2による温室効果の強さは、CO2濃度の関数で決まるのだが、その関数形は直線ではなく、対数関数である。すなわち温室効果の強さは、濃度が上昇するにつれて伸びが鈍化してゆく。なぜ対数関数になるかというと、CO2濃度が低いうちは、僅かにCO2が増えるとそれによって赤外線吸収が鋭敏に増えるけれども、CO2濃度が高くなるにつれ、赤外線吸収が飽和するためだ。すでに吸収されていれば、それ以上の吸収は起きなくなる。
つまり、今後の0.8℃の気温上昇は、280ppmを2倍にした560ppmで起きるのではない。更にCO2濃度が1.5倍になったとき、すなわち420ppmを1.5倍して630ppmになったときに、産業革命前に比較して1.6℃の気温上昇になる。[1]
これはいつ頃になるかというと、大気中のCO2は、今は年間2ppmほど増えているので、このペースならば、更に210ppm増加するには105年かかる。1.6℃になるのは2130年、という訳だ。仮にCO2増加のペースが加速して年間3ppmになったとしても、210ppm増加する期間は70年になって、1.6℃になるのは2095年となる。
この程度の気温上昇のスピードならば、これまでとさほど変わらないので、あまり大げさに心配する必要は無さそうだ。というのも、日本も世界も豊かになり技術が進歩するにつれて、気候の変化に適応する能力は確実に高まっているからだ。
3 「ゼロエミッション」にする必要は無い
630ppmの次に、更に0.8℃の気温上昇をするのは、630ppmの1.5倍で945ppmとなる。この時の気温上昇は産業革命前から比較して2.4℃。こうなるまでの期間は、毎年3ppm増大するとしても、630×0.5÷3=105年かかる計算になる。
このように、気温上昇がCO2濃度の対数で決まるので、同じだけのCO2濃度上昇に対する気温の伸びは鈍化する。他方で人類の防災能力は経済成長に伴って一方的に向上してゆくので、この程度の地球温暖化が重大な悪影響を及ぼすとは思えない。
いま、「ゼロエミッションにすることが必要だ」という意見が多い。だがこの意見には、「特定の濃度以下に安定化するためには“何れ”ゼロエミッションが必要だ」という程度の根拠しかない。人類が2050年までにゼロエミッションを達成しなければならないという「科学的根拠」など無い。それに2100年以降であっても、100年で1℃程度の気温上昇が有害であるとは全く思えない。これまで100年で1℃程度であれば問題無かったのだから、今後100年で1℃程度はもっと問題がない。その先はますます問題がない。
むしろ、このぐらい緩やかな温暖化が続くのであれば、人類にとって有益だろう。
それでも、「際限なくCO2が増える」、というのは心穏やかではないかもしれない。でもその心配は無い。技術進歩は確実に進む。CO2を排出しない技術はどんどん出てくる。更には、CO2を大気から回収して地中に埋める直接空気回収(Direct Air Capture, DAC)という技術も出来る[2]。どうしてもCO2濃度を下げたくなったらそれを100年、200年かけて使ってゆけばよい。
4 産業革命前=江戸時代と、現在の何れの気候が良いか?
さてここまで、本稿で地球温暖化を語るにあたっては、慣例に従って「産業革命前」と比較してきた。
なぜ産業革命前なのかというと、CO2を人類が大量に排出するようになったのは産業革命の後だから、というのが通常の説明である。だけど実際は、産業革命前ではなく、1850年頃からの気温上昇が議論の対象になる。なぜ1850年かというと、世界各地で気温を測りだしたのがその頃だったからだ。大英帝国等の欧米列強の世界征服が本格化し、軍事作戦や植民地経営のためのデータの一環として気温も計測された。日本にもペリーが1853年に来航して勝手にあれこれ計測した。
因みに、世界各地で気温を測りだしたと言っても、地球温暖化を計測しようとしたわけではないから大雑把だったし、また観測地点は欧州列強の植民地や航路に限られていたから、地球全体を網羅的に観測していた訳でもない。なので、1850年ごろの「世界平均気温」がどのぐらいだったかは、じつは誤差幅が大きい。
さて以上のような問題はあるけれど、IPCCでは1850年頃に比べて現在は約0.8℃高くなっている、としており、以下はこの数字を受け入れて先に進もう。
ここで考えたいのは、1850年の280ppmの世界と、現在の420ppmで0.8℃高くなった世界と、どちらが人類にとって住みやすいか? ということである。
台風、豪雨、猛暑等の自然災害は、増えていないか、あったとしてもごく僅かしか増えていない。
他方でCO2濃度が高くなり、気温が上がったことは、植物の生産性を高めた。これは農業の収量を増やし、生態系へも好影響があった。「産業革命前」の280ppmの世界より、現在の、420ppmで0.8℃高くなった世界のほうが住みやすいと思われる。
産業革命前とは、日本で言うならば江戸時代末期、つまり幕末である。1850年ごろまでは小氷期と呼ばれ、中世(1300年ごろまで)と比べて寒い時代であった。1780年代には天明の飢饉、1830年代には天保の飢饉があった。その頃に気候を戻すことが適切とは到底思えない。
地球の歴史において、CO2濃度は大幅に下がり続けてきた。恐竜が闊歩していたころは現在の数倍の濃度があった(図)。それが、植物による固定や岩石の風化によって低下し、280ppm前後になったのは100万年程前である。氷河期にはたびたび180ppmまで下がったが、このときには植物が成長出来ずに大量死し、地球を砂塵が舞ったという。280ppmというCO2濃度も、植物にとってはCO2欠乏気味であるがゆえに、CO2濃度を高めるとたちまち生育が良くなる。他方で、温室などで換気が悪くCO2濃度が下がると、植物の生育が悪くなる。じつは280ppmというのは、CO2が少なすぎて危ない状態のようだ。
図 地球のCO2濃度の推計。縦軸(RCO2)は、280ppmに対する比。横軸の単位は100万年。恐竜が繁栄していた1億年前頃(図中のマイナス100前後)のCO2濃度は現在の数倍あった。 http://earthguide.ucsd.edu/virtualmuseum/climatechange2/07_1.shtml
5 目指すべきCO2濃度は何ppmか?
さてこれから、人類はCO2排出を増やすこともできるし、減らすこともできるだろう。そして、大気中のCO2を地中に埋める技術であるDACもまもなく人類の手に入るだろう。ではそれで、人類はCO2濃度を下げるべきかどうか? という課題が生じる。下げるならば、目標とする水準はどこか? 「産業革命前」の280ppmを目指すべきか?
地球温暖化が起きると、激しい気象が増えるという意見がある。だが過去70年ほどの近代的な観測データについていえば、これは起きていないか、あったとしても僅かである。
むしろ、古文書の歴史的な記録等を見ると、小氷期のような寒い時期のほうが、豪雨などの激しい気象による災害が多かったようだ。
気候科学についての第一人者であるリチャード・リンゼンは、理論的には、地球温暖化がおきれば、むしろ激しい気象は減るとして、以下の説明をしている。地球が温暖化するときは、極地の方が熱帯よりも気温が高くなる。すると南北方向の温度勾配は小さくなる。気象はこの温度勾配によって駆動されるので、温かい地球のほうが気象は穏やかになる。なので、将来にもし地球温暖化するならば、激しい気象は起きにくくなる。小氷期に気象が激しかったということも、同じ理屈で説明できる。地球が寒かったので、南北の気温勾配が大きくなり、気象も激しくなった、という訳である。[3]
さて280ppmよりも420ppmのほうが人類にとって好ましいとすれば、それでは、その先はどうだろうか? 630ppmで産業革命前よりも1.6℃高くなれば、もっと住みやすいのではないか?
おそらくそうだろう。かつての地球は1000ppm以上のCO2濃度だった時期も長い。植物の殆どは、630ppm程度までであれば、CO2濃度は高ければ高いほど光合成が活発で生産性も高い。温室でも野外でも、CO2濃度を上げる実験をすると、明らかに生産性が増大する。高いCO2濃度は農業を助け生態系を豊かにする。
ゆっくり変わるのであれば、630ppmは快適な世界になりそうだ。「どの程度」ゆっくりならば良いかは明確ではないけれども、年間3ppmのCO2濃度上昇で2095年に1.6℃であれば、心配するには及ばない――というより、今よりもよほど快適になるだろう。目標設定をするならば、2050年ゼロエミッションなどという実現不可能なものではなく、このあたりが合理的ではなかろうか。
付録 過渡気候応答を利用した気温上昇の計算
産業革命前からの気温上昇T(℃)、CO2による放射強制力(温室効果の強さ)F(本来はW/m2の次元を持つが、係数λにこの次元を押し込めてFは無次元にする)とすると、両者は過渡気候応答係数λ(℃)によって比例関係にある:
T=λF ①
ここでFはCO2濃度M(ppm)の対数関数である。
F=ln(M/280) ②
T=λln(M/280) ③
このλを求めるためにT=0.8のときM=1.5*280=420であることを利用すると
0.8=λln(1.5) つまり
λ=0.8/ln(1.5) ④
このλを③に代入して
T=0.8/ln(1.5)*ln(M/280) ⑤
これで濃度Mと気温Tの関係が求まった。
するとM=1.5*1.5*280=630ppmのときは
T=0.8/ln(1.5)*(ln1.5+ln1.5)=1.6℃ ⑥
更に、M=1.5*1.5*1.5*280=945ppmのときは
T=0.8/ln(1.5)*(ln1.5+ln1.5+ln1.5)=2.4℃ ⑦
となる。
[1] 本稿での計算を数式で書いたものは付録にまとめたので参照されたい。なおここではCO2濃度と気温上昇の関係については、過渡気候応答の考え方を用いて、放射強制力と気温上昇は線形に関係になるとしている。そして、100年規模の自然変動(太陽活動変化や大気海洋振動)による気温の変化、CO2以外の温室効果ガスによる温室効果、およびエアロゾルによる冷却効果については、捨象している。これらを取り込むと議論はもっと複雑になるが、本稿における議論の本質は変わらない。
過渡気候応答について更に詳しくは以前に書いたので参照されたい: 杉山 大志、地球温暖化問題の探究-リスクを見極め、イノベーションで解決する-、デジタルパブリッシングサービス