メディア掲載  グローバルエコノミー  2020.06.26

種苗法改正、ネットで拡散する反対論への反論:種子会社が法外な種子代を要求して農業を支配しているわけではない

論座に掲載(2020年6月11日付)
農業・ゲノム

種子法廃止

 2018年種子法(主要農作物種子法)が廃止された。同法は、米、麦、大豆(主要農作物という)について、国や都道府県が優良な種子を安定的に生産・普及するという法律だった。

 1952年に作られたこの法律は、米麦が主要食糧として国民の食生活に大きな比重を占めていたころの立法であり、近年では農政上の位置づけは地味なものだった。私の30年の農水省勤務で一度も話題になったことはなかった。種子法と聞いて、次の種苗法の間違いではないかと受け取ったくらいだ。

 種子法が規制改革推進会議等で取り上げられたのは、「民間の品種開発意欲を阻害している」という理由だった。規制改革推進会議のメンバーの方々には申し訳ないが、私には、この提案がさほど重要だとは思わなかった。「言われてみると、そうかもしれないな。でも...」という印象だった。同会議の事務局がよくネタを探し出したものだと思った。


反対理由

 しかし、種子法廃止に対して、大きな反対が起こった。

 火付け役は、私もよく知っている元農水相だった。彼は裏のある人物ではないが、ときどき想像力を駆使してとるに足らないようなことを大問題にしてしまう(アメリカ英語に「連邦上の問題にする"make a federal case out of it"」という表現がある)。あるいは、大問題を作り上げるために、推測を重ねて起こらないようなことを事実と断定すると言った方が正確かもしれない。

 種子法の廃止によって、外国産の種子に取って代わられ、主要食料の安定供給、食料安全保障に支障をきたすとか、やがて国民は遺伝子組換農作物を食べざるを得なくなるとか、というのが反対理由だった。

 これについては、私は空想上の主張というか、嘘ではないかと思った。


遺伝子組換農作物の実態

 遺伝子組換農作物に反対が強いようだが、各国とも安全と判定したものしか生産・流通を認めていない。違いは表示規制だけである。しかも、かつては表示規制に反対してきたアメリカも、日本と同様の規制を採用するようになってきた。

 また、遺伝子組換農作物の販売者としてやり玉に挙げられるモンサントも、家畜のエサや食用油採取のために生産され、欧米ではほとんど食用に向けられないトウモロコシや大豆(欧米では、大豆は食用ではなくヒマワリの種や菜種と同じく油の原料であり、穀物ではなく油糧種子oilseedsと分類される)について、遺伝子組換えを行ってきた。

 遺伝子組換えに反対が少ないアメリカにおいてさえ、食用の割合が高い米や小麦には、消費者の反感を考慮して開発を控えてきた。かりにモンサントが参入したとしても、種子法が対象とする米や小麦の遺伝子を組換えるとは考えられない。というより絶対にしない。

 また、消費者のアレルギーが強い中で、法的には可能でも、日本の生産者が遺伝子組換農作物を作付けするとは思えない。これまでも生産者は遺伝子組換大豆を作付けできるのに、してこなかった。今後もしないだろう。遺伝子組換大豆使用の納豆や豆腐を日本の消費者は買わないからだ。

 ただし、意外に思われるかもしれないが、エサ用として遺伝子組換トウモロコシが15百万トン、食用油用として遺伝子組換大豆3百万トン、遺伝子組換菜種2百万トンが、輸入され、我々は既に遺伝子組換農作物を摂取している。豆腐と違い、加工度が高い油になると、DNAが残らないので、遺伝子組換大豆使用という表示を行う必要はないから、我々は気づかないできただけだ。

 そもそも、それほど主食として米が重要なら、なぜ米価を上げて米の需要を減らして外麦の需要を増やし、さらには高米価維持のために半世紀以上も減反を行い、米と水田農業を徹底的に苛め抜いたのか。これを行ったのは、ほかならぬ農業界と与野党の国会議員たちではないか。(『農業破れて農協あり/食料安全保障を脅かす「減反・米価維持」』参照)

 食料安全保障というが、戦前減反に反対したのは陸軍省だった。減反を推進してきた人たちは、食料安全保障という言葉を口にすべきではない。


種子法廃止の必要性?

 誤解があるのかもしれないが、種子法廃止で国や都道府県の品種改良や種子の供給が否定されたわけではない。従来通りと考えてよい。実際には、種子法廃止後、同法と同旨の条例を作った自治体も少なくない。国や都道府県に加えて民間の努力が加われば、品種改良はさらに進展する。

 ただし、そうなら、あえて種子法を廃止する必要はなかった。この法律があっても、民間で優良な米品種が作られ、普及している例を知っているからだ。

 民間の品種開発意欲を阻害している理由として、農水省は「民間の開発品種で都道府県の奨励品種に指定されているものはない」と言う。しかし、三井化学が開発したミツヒカリという品種は、収量(生産性)が高いため、生産減少という減反政策に反する。減反を推進している農協のほとんどは、この品種を採用しようとはしない。県の奨励品種に指定されないのは当然だ。

 いずれにしても、私の直感通り、大騒ぎして反対するような案件ではなかった。


種苗法改正

 この次に、種苗法の改正案が今年の国会に上程された。これは、農産物の品種改良をした人の努力に報いるため、品種登録をしてその権利を保護しようという法律だ。特許権、医薬品の開発権者、音楽・小説などの著作権を保護するのと同じである。

 これまた大きな反対にあった。火付け役は、種子法と同じ人たちだったが、これを有名な女優が取り上げたことで、ネット上で反対論が増幅した。

 改正の趣旨は、日本で開発した種子や苗が海外に無断で持ち出され、栽培されているため、本家本元の日本の農産物が輸出されにくくなっていることを防止しようとするものだった。

 シャインマスカットというブドウは中国や韓国に流出し、これらの国で産地が形成され、東南アジアなどに輸出されている。農家が購入した新品種の種苗を自分の農地で増やし("自家増殖"という)、これを海外向けに譲渡した結果、海外で生産された新品種が日本に逆輸出されるという例も報告されている。

 農産物の新品種は知的財産権の一種である。同じように農産物の知的財産権を保護して、農産物の付加価値を上げようとするものに、EU、特にフランスなどが積極的に推進している"地理的表示"geographical indicationがある。ボルドーの伝統的な手法で生産されたワインにしか、ボルドーワインという名称を認めないというものである(ワインについては、日本産ボルドー風ワインでも、ボルドーという言葉が入るだけでWTO・TRIPS協定違反になる)。


和牛精液保護との違い―自家増殖-

 和牛の精液が海外に流出することを規制したのも、知的財産権保護の一環であるともいえる。

 ただし、和牛と農産物が異なる点がある。和牛の精液は、県などの家畜改良センターが改良を重ねて作り上げた特定の優良な種牛から供給され、農家が精液を作ることはない。これに対して、農産物の場合、後述のF1を除いて、農家が種苗を自家増殖することが可能である。

 このため、新品種が海外に持ち出されないようにする手段として、農家が勝手に自家増殖しないように、品種登録をした者("育成権者"という)の許諾を必要とした。これが反対を呼んだ。いままでは、自由に自家増殖できたのに、新しく許諾や許諾料が必要となるのは、農家の負担を増やすものだとか、農産物価格の引き上げにつながるので消費者負担が増えるというのである。

 これに対して、農水省は、許諾や許諾料が必要となるのは品種登録されたもの("登録品種"という)に限られ、種苗の90%程度を占める一般品種については必要ない、また登録品種のほとんどが国や県の試験場が開発した品種で、許諾料が取られるとしても、農家の負担になるようなものではない、と反論している。


問題の本質は?

 この農水省の反論も本質的なものではない。民間の開発が進んで、その登録品種の割合が増加すればどうなるのかと言われれば、そんなことはない、いやそうなるという押し問答になるだけだ。

 本質的なことは、ある人や会社が、多額の資金や多くの研究者を投入して開発した品種を、他人がただで使用してよいのかということである。それが自家増殖する品種の1割なのか、6割なのかは、本質的な問題ではない。

 使用者である農家が使用するに際し開発者に何の対価も払わないのであれば、開発者は品種改良を行おうとしないだろう。それは日本農業の発展を損ない、農業にとって、大きな不幸である。

 仮に農家が貧しいとしても、肥料や農薬に金を払って、品種の開発料には払わないというのは、奇妙に感じないだろうか?一般品種を含め、国や県の試験場が開発した品種についても、元はと言えば国民の税金なので、農家は対価を払ってしかるべきだ。一般品種について、ただで自家増殖してきたこと自体、農家への特別な優遇策である。

 医薬品については、新薬の試験データの保護期間を定め、その期間中は当該試験データを使ったジェネリック医薬品を認可しないこととして、新薬を開発した権利や費用を保護している。ノーベル医学生理学賞受賞者の本庶佑・京大特別教授と小野薬品の間で特許料の支払いで争われている抗がん剤オプジーボの一月の治療所要額は3百万円である。これは超高額という批判はあるが、新薬を開発したことへの対価である。

 農産物の登録品種の許諾や許諾料が問題だというのであれば、オプジーボを無料にしろと本庶佑教授や小野薬品になぜ主張しないのだろうか?レコードや小説の著作権も同じである。作曲者や小説家に著作料を払わないなら、芸術は生まれない。


種子を制するものは世界を制する?

 ある全国紙の社説は、種子法廃止のように、品種開発の担い手を公的機関から民間に移す規制緩和を政府が進めていることに対する不満があり、「多国籍企業が参入して国内市場が寡占状態になり、種苗価格をつり上げるのではないかという疑念がある」と言う。

 本当だろうか? これは「種子を制するものは世界を制する」という言葉で数十年間言われてきたことのリフレインである。

 これが強調されるようになったのは、異なる種類を掛け合わせた雑種強勢という特質を利用したF1の種子が普及することになったからである。

 F1から自家増殖で種を作っても、それはF1の性質をもつものではないので、農家は毎年種子会社から種子を購入せざるをえない。このため、農家が種子会社に支配されるようになるというのだ。

 もし、これが正しいのであれば、特定の種子会社の寡占、独占が継続・進行しているはずである。しかし、種子会社の推移を見ると、1997年の上位3位、1位パイオニア(米)、2位ノバルティス(スイス)、3位リマグレイングループ(仏)は、2017年には、1位モンサント(バイエルに吸収)(米)、2位コルテバ(デュポンから分離)(米)、3位シンジェンタ(スイス)と、入れ替わっている。

 モンサント等が台頭したのは、遺伝子組換え技術のおかげであるが、新技術、特に中小企業やベンチャー企業でも利用できる遺伝子編集技術が進展すれば、これらのトップ企業も他の企業に取って代わられ可能性がある(『ゲノム編集食品の流通で起きること~小さな企業でも活用でき、食料生産を飛躍的に拡大させる可能性はあるが...』参照)。

 より重要なのは、これら種子会社が法外な種子代を要求するなど農業を支配しているわけではないことだ。種子会社は世界どころか農業すら制していない。

 種子会社にとって、F1の重要性は変わりない。モンサントは、トウモロコシ、大豆の遺伝子組換え種子で成長してきたが、トウモロコシは最初からF1、大豆についても最近F1に切り替えている。世界の種子会社は自家増殖させないF1で市場支配力を高めようとしているのであり、自家増殖を前提としてこれを規制しようとする種苗法改正案に対して、自家増殖を認めない外国の種子会社に支配されるという批判を行うのは的外れだ。F1では、そもそも自家増殖はありえないからである。


JA農協の果たすべき役割

 種子法でも種苗法でも、反対論がアピールするのは、農家は貧しいので負担できないのではないかという一般的な通念のようなものがあるからである。

 しかし、度々指摘しているように、農家は貧しくない。それどころか、その所得は一般の国民世帯の所得を大幅に上回っている。(『農家はもはや弱者ではない』参照)  しかも、許諾料は大きな額ではない。種苗費は米の生産費の2.8%、許諾料は種苗費の0.2%、米生産費の0.005%にすぎない。

 種子会社が許諾料を上げれば、農家は別の種子会社、あるいは県などの公共機関から、購入する。高い許諾料の徴収は困難である。日本の農業資材供給はJA農協が牛耳っている。日本が誇る大手商社も、日本の農業市場ではJAに頭が上がらない。JAが種子会社等に対して買い手独占力を使えば、種子代や許諾料は抑えられる。

 そもそもモンサントが首位に立つ世界の穀物種子の市場規模は2兆7千億円程度である。預金保有高100兆円をこえるJA農協の相手ではない。建前上JAは農家が作った組織である。許諾料で農家が困るというのなら、JAが品種改良して種苗を農家に提供すればよい。

 今では農家より消費者の方が貧しい。しかし、許諾料で消費者の負担が増えるという議論を、関税を削減・撤廃して安い価格で食料を国民に提供しようとしたTPPに反対した人たちが主張することに、私はいかがわしさを感じる。

 一キロ500円の米代のうち、許諾料は12銭に過ぎない。わずかな許諾料で消費者負担が増えるというなら、米価を倍以上に引き上げている減反政策になぜ反対しないのだろうか?


種苗法改正反対とTPP反対の共通点

 種苗法改正に反対している人はTPPにも反対した。アメリカ企業に食い物にされるという主張は共通している。

 当時、TPPによって農業法人による農地取得の規制が大幅に緩和され、農地と農業法人が投資の対象となれば、アメリカに本拠を持つ多国籍企業、特に穀物商社であるカーギルなどに農業は支配されるという主張があった。

 私は、そのようなことは起こらないと言った。自然や生物を扱う農業は現場での瞬時の総合的な判断が必要だ。上司の判断を仰ぐという会社組織には向かない。農業に近いのは医療だが、医師もいちいち上司の了解を取らない。

 アメリカでも、カーギルが進出しているのは、せいぜい工業生産に近い畜産までで、穀物生産は農家に任せ、自分たちは進出しない。アメリカでも起こらないことが、日本で起きるはずがない。カーギルをモンサントに置き換えれば、TPP反対と種苗法改正反対がよく似た主張だということがわかる。

 結論から言うと、十分な知識のない人たちによって、TPPも種苗法改正も反対された。

 TPPについて、私は反対論者の人とテレビの討論番組に出演した。その際、私は、この人がガット・WTOの基本原則である内外無差別の原則を正反対に理解していることに唖然とした。この原則は、日本に入ってきた外国産の商品を日本の法制度の下で、日本の産品と同じように扱うというものである。消費税を日本産5%、外国産10%としてはならない、加工企業が使用する原料について日本産にだけ補助金を与えてはならない、というものである。これを、この人は日本の法律などを外国(アメリカなど)のものと同じようにすべきだと理解していたのだ。

 特殊な問題についての知識のない一般の人は、どちらの議論が正しいのか判別できない。不安を煽るような主張に理解を示しがちとなる。悪貨が良貨を駆逐してしまう。

 悪いのは、ネットではなく、専門的な知識もないのに、世間の関心を引くような主張をする人たちが多いことである。たくさん出版されたTPP反対本は間違いだらけだった。種子法廃止も種苗法改正も同じである。