メディア掲載  グローバルエコノミー  2020.06.16

農業破れて農協あり/食料安全保障を脅かす「減反・米価維持」:日本の農業・農政は信頼できるのか?

論座に掲載(2020年5月26日付)
農業・ゲノム

 食品が安全であることと、それを安全と思うことは、別物である。隣の農家の作物は安全だと思うが、外国産には不安を感じる。実際には、隣の農家の方が多くの農薬を使っていてもである。

 OECD(経済協力開発機構)では、日本農業は他国に比べて大量の農薬を使用することが批判され、これに日本の農水省は苦しい反論を行ってきた。しかし、国民の多くは国産農産物の方がより安全だと思っている。

 食については、安全の問題とともに、生命健康の維持に必要な量を確保できるかという問題がある。食料安全保障である。

 食料を供給してくれるのは、国内農業と輸入(外国農業の生産)である。安全の問題と同じく、国民は外国の農業よりも国内の農業を信頼する。食料危機が起きたときに外国の農業は頼りにならないので、国内の農業生産こそが頼りになると考えている。これは食料安全保障のためには、国内農業を保護すべきだという主張にもつながる。

 食料を外国に依存したくない、国内の農業をより信頼するという気持ちは、多くの国民が共有しているところだろう。私もそうありたいと思う。

 しかし、これまで日本の農業や農政は、我々国民の食料安全保障を増進し、それに貢献してきたのだろうか?

 多くの納税者(財政)負担と国際価格よりも高い食料を購入するという消費者負担で農業を保護してきたが、このような農業保護は食料安全保障に役に立つものだったのだろうか?

 真の食料安全保障を確立するために、我々は何をすべきなのだろうか?

 新型コロナウイルスの感染拡大で食料危機が起きるかもしれないという主張があるとき、この問題を真剣に考えてみてはどうだろうか。


高い米価による農家保護

 農家の利益と農業の利益は同じではない。日本の農業政策は農家の利益を向上させようとして、農業を衰退させ、食料安全保障を損ねてきた。

 農家の利益と農業の利益を両立させることができる望ましい政策はあった。しかし、農家の利益と言いながら、実際にはそれとは別の利益団体の利益が追及された。望ましい政策を採用することは、この利益団体の利益を損ねることとなるので、採用されることはなかった。

 日本人の主食は米だとされてきた。ところが農政は、1960年以降、政府が農家から米を買い入れ消費者に売り渡すという食管制度の下で、米価を大幅に上げて国産の米の需要を減少させ、さらに麦価を据え置いて輸入麦主体の麦の需要を拡大させたのだ。

 米をいじめる外国品優遇政策を採れば、食料自給率が低下するのは当然だ。今では米を500万トン減産する一方、麦を800万トン輸入している。1960年当時米の消費量は小麦の3倍以上もあったのに、今では同じ量まで接近している。もはや日本は "瑞穂の国"ではない。

 米価を上げたのは、農家の所得を向上させるため、つまり農家の利益のためだとされた。実際には、1965年以降、農家所得は勤労者(サラリーマン)世帯の収入を上回ってきているので、政策的には農家の所得を特別に考える必要はなかった。農家だから貧しいという状況は解消されていた。農家だからということで、通常の社会保障政策以上にその所得を保障しなければならない理由はないはずである。

 米農家の兼業化が進み、ほとんどの農家はサラリーマンとなった。農家所得のほとんどはサラリーマン収入で、米による所得はほとんどない。サラリーマン収入にわずかでも米所得が加われば、農家所得がサラリーマン世帯の収入を上回るのは、当然だ。米価を下げても多数の兼業農家の所得にほとんど影響はない。

 しかし、未だに農家所得の向上が農政の大きな目的とされる。水田は票田だからだ。

 米価の引き上げは、規模の小さい兼業農家の所得向上には、ほとんど貢献しなかったばかりか、農業も食料安全保障も損なった。需給を均衡させる市場価格よりも米価を人為的に上げれば、生産は増加し需要は減少するので、政府に大量の過剰在庫が生じた。

 この処理に3兆円も負担した政府が、過剰在庫を回避するために、生産を減少させて政府が買い入れる数量を少なくしようとして1970年から始めたのが、減反(生産調整)政策である。

 米の生産を減少させるために補助金が使われ、今の米生産はピーク時の半分に減少している。米を作らないなら、水田も要らなくなる。食料安全保障に必要な農地資源である水田は、344万ヘクタールから239万ヘクタールへ100万ヘクタール以上、3割も減少した。主食である米の生産を減らすことが、農政の最大の目的となったのだ。今では、水田面積の4割が減反されている。

 面積当たりの収量(単収)を向上させること、つまり生産性を向上させるための米の品種改良は、タブーとなった。米の増産につながるからだ。


農業保護は誰の利益に?

 高米価政策は1995年の食管制度廃止以降も減反(生産調整)によって継続している。現在、米価維持のために、米は毎年10万トン以上ずつ前年よりも減産されている。

 欧米の農政は、農家保護を価格維持から直接支払いに転換している。米農家の所得を補償するなら、米価を低くしてもアメリカやEUのような直接支払いをすればよい。

 これだと減反をしなくてもよいので、消費者も安い価格で米を買えるし、水田面積が減少することもない。農家の利益、農業の利益、消費者の利益もかなえつつ、食料安全保障も確保できる。

 しかし、これは採用できなかった。日本には高米価で発展してきたJA農協という組織が存在するからだ。

 高米価政策は、JA農協の繁栄の基礎となっている。米価が上がると農家は高い肥料・農業機械などの資材を払うことができる。農協は高い米価と高い資材価格の両方で、価格に比例して高くなる販売手数料収入を稼いだ。

 それだけではない。高米価でコストの高い零細な農家が大量に滞留した。これらの農家の主たる収入源は兼業収入と年金収入である。2003年当時で兼業所得は農業所得の4倍、年金収入は2倍である。

 JA農協は銀行業を兼務できる日本で唯一無二の法人である。これらの所得はJA農協の口座に預金され、JAバンクが預金量百兆円を超える日本第二位のメガバンクに発展することに貢献した。高米価政策から直接支払いへの転換は、JA農協の利益に反するので、採用されない。米価維持が農政の最大の目的となる。

 アメリカにもEUにも農家の利益を代弁する政治団体はある。政治活動を行う点では、JA農協と同じである。しかし、これらの団体とJA農協が決定的に違うのは、JA農協それ自体が経済的な行為を行っていることだ。このため、JA農協が代弁する利益は、農家と言うより自己の組織の経済利益である。

 米価を下げても直接支払いをすれば農家は保護されるが、直接支払いが交付されない農協は利益を受けない。販売手数料収入は減少するし、零細兼業農家が農業を止めて組合員でなくなれば、農協預金も減少する。規模拡大による構造改革をすれば農村は救済されるが、農家戸数が減少する農協は政治的にも基盤を失う。

 1993年ガット・ウルグアイ・ラウンド交渉で米の関税化特例措置をアメリカ等に認めさせたとき、その根拠として食料安全保障などの非貿易的関心事項を掲げた。この当時米の生産量は1千万トンを超えていた。それが減反で今では750万トンもない。

 主食である米の生産を4分の1以上も減少させて、何が食料安全保障だろうか? 

 戦前農林省の減反案を潰したのは陸軍省だった。減反は安全保障に反するからだ。今に陸軍省はなく、代わってJA農協が高米価維持のため懸命に米減産の旗を振る。


日本の食料危機を救ったのは外国農業

 1993年冷夏の影響で、米は前年の1057万トンから783万トンの大幅な減産となった。慌てた政府はタイや中国などから260万トンの米を緊急輸入した。しかし、輸入米は消費者に嫌われ、国産米と混米するなどして流通させようとしたが、大量に売れ残った。平成の米騒動である。

 このとき米の生産可能量は1300万トン程度だった。減反をしないで、通常年において1300万トンを生産し、1000万トンを国内消費、300万トンを輸出に向けていれば、これだけの減産でも輸入をする必要はなかった。

 不作という危機時に、農政は国内農業ではなくタイ等の農業を頼ったことになる。多額の保護を受けながら、国内農業は危機時に国民への供給責任を果たすことはできなかった。

 減反政策とは生産を一定の米価の下での需要に一致させようとする政策である。余計な生産は許さない。余計な生産をしたら米価を下げてしまう。余裕のないギリギリの生産計画である。

 農産物の生産に天候不順による不作はつきものである。食料安全保障とは「不測の事態に対する備え」のはずなのに、減反政策によって、不作という「不測の事態に対する備え」を欠いてしまった。

 この当時1000万トン程度の規模の小さい国際米市場で日本が大量に買い付けたため、米の国際価格は2倍に上昇し、途上国の貧しい人を苦しめた。しかも金にあかせて途上国から米を奪いながら、その米を食べようとしなかった。

 日本人のほとんどは、この事実を知らない。世界の食料安全保障のためにも、減反は廃止すべきだ。


国内農業によるあるべき食料安全保障

 食料安全保障には、二つの要素がある。①食料を買う資力があるかどうか(経済的なアクセス)と、②食料を現実に入手できるかどうか(物理的なアクセス)である。

 貧しい途上国では二つとも欠けている。食料品価格が上がると、収入のほとんどを食費に支出している人は、買えなくなる。このとき、先進国が港まで食料を援助しても、内陸部までの輸送インフラが整備されていないと、食料は困っている人に届かない。

 所得の高い日本では、穀物価格が高騰しても、食料危機は生じない。日本で生じる可能性が高い(あるいは唯一の)食料危機とは、東日本大震災で起こったように、お金があっても、物流が途絶して食料が手に入らないという事態である。最も重大なケースは、日本周辺で軍事的な紛争が生じてシーレーンが破壊され、海外から食料を積んだ船が日本に寄港しようとしても近づけないという事態である。

 食料危機への対応は、短期的には備蓄と中長期的には食料増産である。

 最も効果的な食料安全保障政策は、減反廃止による米の増産とこれによる輸出である。平時には米を輸出し、危機時には輸出に回していた米を食べるのだ。

 日本政府は、財政負担を行って米や輸入麦などの備蓄を行っている。しかし、輸出は財政負担の要らない無償の備蓄の役割を果たす。輸出とは国内の消費以上に生産することなので、農業界の好きな食料自給率も向上する。同時に米の増産によって農民、農地など農業資源の確保もできる。

 2018年のカリフォルニア米の価格1万1464円(日本の輸入価格)からすれば、品質面で優位な日本米は1万3000円程度で輸出できる。減反を止めれば、米価は瞬間的に7千円程度に低下するが、商社が7千円で買い付けて1万3000円で売ると必ず儲るので、国内市場から米の供給が減少し、国内米価もすぐに1万3000円に上昇する。これで、翌年の米生産は大きく増加する。さらに、減反廃止でこれまで抑制されてきた収量の高い米が作付けされるようになると、米生産は現在の750万トンから1500万トンへ拡大し、輸出は量で750万トンとなる。これは危機時の備蓄となる。1年分の米の無償備蓄が可能となるのだ。

 医療のように、通常の政策なら、財政負担をすれば国民は安く財やサービスの提供を受ける。ところが、減反政策は、財政負担をして農家に米を減産させ、米価を上げて消費者の負担を高めるという異常な政策である。

 米価の低下で影響を受ける主業農家に限定して直接支払いをすれば、財政負担は500億円程度ですむ。今の減反補助金4千億円から財政負担は大幅に減少する。米価低下で零細農家が退出して、主業農家の規模拡大・コストダウンが進み、所得が向上するので、いずれ、この直接支払いも要らなくなる。もちろん消費者も米価低下の利益を受ける。


食料有事法制の検討

 危機時の食料増産には、今の農業生産とは別の考慮が必要となる。石油などの輸入も途絶するので、食料増産のために農業機械は使用できないし、化学肥料や農薬の生産・供給も困難となる。単収は大幅に減少する。

 現在の生産者も、石油なしの農業についての経験も技術もない。現在の形態の農業を保護することは、食料危機時にほとんど役に立たないのかもしれないのだ。

 現在のような単収が期待できない以上、より多くの農地資源を確保するため、ゴルフ場や小学校の運動場などを農地に転換しなければならない。種籾や種芋なども、単収が高い現在の農業生産よりも多く準備しておかなければならない。また、機械、化学肥料、農薬を労働で代替せざるを得ない。田植え機が使用できないので、手植えになる。家庭菜園をしている人はご承知だろうが、経験のない人が作物を栽培することは容易ではない。国民皆農も視野に入れた教育も考えなければならない。

 流通面では、国民に乏しい食料を均等に配分するために、戦時戦後におけるような配給制度を復活しなければならない。そのためには、購入通帳を印刷・保管して、危機時には直ちに国民にいきわたるような体制を整備しておかなければならない。

 しかし、そのような用意や準備はない。いまシーレーンが破壊されたら、とんでもない混乱と悲劇が起こってしまうだろう。

 こうした食料有事法制が必要なのだが、これまで農政は食料安全保障という概念を農業保護の方便として利用してきただけで、具体的な対策はほとんど講じられていない。食料安全保障とか多面的機能とかは良い概念なのだが、これらから政策が導かれたことなど一度もなかった。農業が大切なので保護すべきだという後付けの理由として、これらのキーワードが活用されただけだった。

 戦前は、米騒動や東北の飢饉など、食糧難や食料危機はたびたび起こる現象だった。しかし、終戦時以来、実に70年以上も、国民の多くが飢餓状態になるという危機は起きなかった。このためもあるのだろう、農水省で食料安全保障を真剣に考えていた同僚はいなかった。

 農水省だけではなく、JA農協や農林族議員も含め、農業界のほとんどの人が、食料安全保障を唱えても、食料危機が実際に起きるとは考えてこなかったのではないか。新型コロナウイルスの感染拡大で食料危機を警告する評論家の人たちも、危機に対する具体策を持ち合わせているとは思えない。

 終戦の食糧難を経験した人ばかりか、この人たちからその話を聞いた私の世代の人たちも、食料・農業政策に関与することはなくなっている。戦後も食糧難も忘却の彼方に消えつつある。米穀購入通帳を見たこともない世代が、食糧難やそのための対策を想像し、検討し、準備することは難しくなっている。

 JA農協の政治団体であるJA全中は、食料安全保障とか多面的機能とかの標語を掲げてTPP反対などの政治運動をしてきた。一度でよいから、減反政策が食料安全保障に役に立つ、食料安全保障のために減反政策が必要だという理由を、JA全中の人から聞いてみたいものだ。

 新型コロナウイルスの感染拡大を契機に、単なる作文ではなく、真剣に食料安全保障政策を検討すべきではないだろうか。