メディア掲載  グローバルエコノミー  2019.04.03

ゲノム編集食品の流通で起きること -小さな企業でも活用でき、食料生産を飛躍的に拡大させる可能性はあるが... -

WEBRONZA に掲載(2019年3月20日付)
ゲノム編集と遺伝子組み換え

 遺伝子(ゲノム)編集された食品が早ければ今夏ごろから流通されることになった。

 3月18日厚生労働省の専門部会は、ゲノム編集技術を使って品種改良された農水産物の多くで、安全性の審査を求めず、国に届け出するだけで食品として販売してよいとする報告書をまとめた。

 ゲノム編集とは、DNA切断酵素を使って、遺伝子を壊したり、置き換えたりするものである。2013年にDNA切断酵素としてCRISPR/Cas9が開発されて、応用される分野や可能性が拡大された。

 従来の遺伝子組み換え技術は、別の生物の遺伝子をトウモロコシや大豆などの農産物に組み込むことで、農薬や害虫に強い品種を作ってきた。これは他の生物の遺伝子を挿入するという自然界では起こりえないことを人為的に実現するものだった。

 一方、ゲノム編集は、その農産物自身の遺伝子を切断することによって品種改良を行おうとするものである。

 もちろん従来の遺伝子組み換え技術と同様切断したところに別の作物の遺伝子を挿入することも可能である。しかし、この技術は、単なる遺伝子の切断によって特定の遺伝子の働きを止めることで品種改良を加速することを可能にした点に、その特徴がある。その生物に別の生物の遺伝子を組み入れるものではない。その生物自体の遺伝子を操作するだけで品種改良を実現する。

 これは自然界に見られる突然変異やこれまで異なる品種を掛け合わせることによって行ってきた従来の作物改良と異なるものではないと説明される。

 「遺伝子組み換え食品の規制、日本に近づく米国」「(2018年11月5日付)で、従来の遺伝子組み換え技術の規制について説明した。遺伝子組み換え食品については、まず安全かどうかが診断される。

 その安全だとされた農産物や食品について、どのような表示規制を行うかについて、従来、アメリカ、日本、EUの異なるアプローチがあり、アメリカが日本と同様の規制を検討していることを説明した。もう一度その部分を引用しながら解説する。


 遺伝子組み換え食品の表示については、実質的には従来の食品と安全性や機能の面で同じである以上一切表示義務を認めないアメリカと、遺伝子組み換え農産物から作られる食品には(1%でも遺伝子組み換え農産物を含んでいれば)全て表示義務を要求するEUとが、両極端にあった。

 日本はその中間で、大豆を例にとると、改変されたDNAやタンパク質が検出できる納豆や豆腐には表示義務を課し、加工のレベルが高度なため、それらが検出できない油やしょう油には表示義務を課さないという規制をかけてきた。


 アメリカは、2016年遺伝子組み換え食品について表示を求める法律を制定した。この法律に基づき、農務省が具体的にどのような食品に表示義務を要求するかについて、検討中である。

 この法律は、遺伝子組み換え(GMO)という言葉ではなく、バイオ工学で作られた食品("Bioengineered Food")という広い概念を使用している。その定義として「1.試験管内で組み替えられたDNA技術を使って改変された遺伝的な物質を含み、かつ、2.その改変が伝統的な育種によるものではなくまたは自然に存在しないもの」とされている。つまり、従来の遺伝子組み換え農産物・食品だけでなく、ゲノム編集されたものまで対象としている。"改変された遺伝的な物質"があるかどうかが、カギとなる。改変された遺伝的な物質(BE物質)を含まないしょう油や油までも表示義務の対象とするEUとは異なり、日本の規制のように、これらは規制の対象にならない。

 ゲノム編集された食品についても、各国とも従来の遺伝子組み換え食品と同様の考え方に立っている。EUはゲノム編集された食品も遺伝子組み換え食品も同じように取り扱うとしている。安全が評価されたゲノム編集食品でもすべてについて表示が必要だとするものである。

 EUは食品や農産物が作られる課程・プロセスに応じて規制しようとする。これに対して、日本やアメリカは、プロセスではなく、作られたものに着目して規制すべきだとする考えである。

 今回の厚労省の取り扱いも遺伝子組み換え食品の規制の延長線上にある。つまり、ゲノム編集でも遺伝子組み換え食品のように他の生物の遺伝子を挿入するような場合には、安全性の評価を行い、流通させるかどうかを判断するが、そうでない多くのゲノム編集された食品については、自然界のものと異ならないので、安全性の評価は不要となり、開発した企業などに届け出だけで流通させて良いとしたものである。

 今後、表示の規制を消費者庁が検討することになるが、論理的に考える限り、遺伝子組み換え食品と同様他の生物の遺伝子が食品中に残存しない限り、表示の規制は不要であるという結論になるだろう。(注:本稿を公表後、政府はゲノム編集された食品について表示を義務付けることを検討していると報じられた。それが事実であるとすると、遺伝子組み換え食品の表示義務と整合性が取れないばかりか真偽を検証できないものについて表示させることになる。)


食料生産を飛躍的に拡大させる可能性

 政府の規制は別として、我々はゲノム編集された農産物や食品についてどのように考えればよいのだろうか?

 まず、我々人類は自然による遺伝子の突然変異を利用してきたという事実がある。これがなければ、作物の栽培や家畜の飼育という農業は成立しなかった。その典型が米や小麦などの穀物である。ほんらい生物は子孫を残したいという欲求を持つ。穀物が実をつければ、それを広く飛ばして多くの子孫を持とうとする。タンポポが綿毛を飛ばすことを思い起こしてもらいたい。

 この生物の習性は、穀物を食用としたい人類にとっては、はなはだ不都合なものだった。穀物の実が飛び散ってしまえば、拾い集めることは容易ではなくなるからである。

 しかし、突然変異で実を落とさない穀物を人類は見つけた。その穀物を固定化したのである。自然の摂理からすると、穀物ばかりではなく、今我々が食べている農産物は奇形である。というより人類がいなければ、自然界で生き残れなかった品種である。

 果物や野菜も我々が食べる部分が極端に肥大化したもの、乳牛も乳房が大きくなり乳量が増大したものである。我が国が世界に誇る錦鯉も自然界では天敵に襲われやすく、到底生きながらえることは難しい。

 ゲノム編集は自然界が起こしてきた突然変異を人の力で行おうとするものである。しかし、突然変異と同じだから問題ないと考えてよいのか?

 中国で研究者が受精卵にゲノム編集を行って子供を誕生させたということが問題にされた。人ではなく食品だから問題ないと考えてよいのか?

 CRISPR/Cas9については、ターゲットした遺伝子以外の遺伝子にも作用してしまうという問題が指摘されている。ゲノム編集技術の安全性をどのように確保するのか?

 このような課題はあるが、ゲノム編集は世界の食料生産を飛躍的に拡大する可能性がある。

 これまで、ITやAI技術を活用した農業生産の効率化・増加の可能性が、さまざまな人によってもてはやされてきた。しかし、これはコストを10%下げるとか収量を10%上げるとか、コツコツ、徐々に増加するような(incremental)ものに過ぎない。しかも、持ち上げている人にこれらの技術を農業生産面に応用したという人は少ないし、実際に適用しようとすると、さまざまな問題を解決しなければならないことがわかる。

 これに対して、ゲノム編集は収量を一気に倍増するなどのブレークスルー的な要素を持つ。一段ずつ階段を上るのではなく、上層階にジャンプするようなものである。また、品種が変わるだけなので、今までと同様の農業生産で画期的な効果を発揮できる。


小さな企業でも活用できる

 もう一つ、これがプラス・マイナスのどちらに働くかよくわからないが、遺伝子組み換え技術と異なり、ゲノム編集は誰でも活用しやすいという特徴がある。

 遺伝子組み換え農産物を開発したのは、少数の大企業である。代表的な企業であるモンサントは自社の雑草を防除する農薬に耐性を持つ遺伝子組み換え農産物を開発することにより、農薬の販売と遺伝子組み換え農産物の種子の販売で二重の利益を得た。逆にいうと、開発にコストがかかるので、そのような農産物でないとコストを回収できなかったともいえる。

 これに対して、アメリカでゲノム編集を応用しようとしているのは、小さな企業である。大きなコストをかける必要がないので容易に活用できるからである。このため、大企業から連邦政府へゲノム編集を広く活用すべきだとする働きかけは少ない。

 これはゲノム編集技術が幅広く応用・活用できるという点ではプラスであるが、核の拡散問題と同様、誰でも利用できるようになると、問題が起きた場合に規制することが困難になるというマイナス面がある。

 ゲノム編集については、どのような食品を食べさせられるかわからないという消費者の心配に加えて、検討すべき課題が少なくないのではないだろうか。それなのに、国内の関心も低く議論も低調に感じる。