コラム  国際交流  2020.06.18

ニューヨークの医療崩壊の原因は?(後編)

前編)より続く


第2段階 ― エイブラハム・ビーム/エドワード・アービング・コッチ市長時代(1974年~1989年)

 ニューヨークの医療崩壊の第2段階は1974年から1975年にかけて起こりました。この時期にニューヨーク市内の金融機関は危機に襲われます。その際に、ニューヨーク市は、負債の切り捨てや金融機関の再編成、そして先端科学技術を用いた製造業の復活を通じて金融危機を脱するのではなく、金融独裁主義に依存して、回収不能なウォールストリートの債権の救済に走りました。ラザード・フレールの銀行家でブルームバーグの師である投資家フェリックス・ロハーチン(Felix George Rohatyn)は、ニューヨーク州市債の購入に応じる会社がないというニューヨーク市の金融危機に対応するため、ニューヨーク市が発行する市債の購入を目的として1975年に設立した会社であるBig MAC (Municipal Assistance Corporation州立支援公社)の会長として君臨し、ニューヨーク市の財政破綻を防ぎました。また、1975年に設立されニューヨーク市の財政状況を監視する委員会で州知事や市長など7名のメンバーから構成された緊急財務統制審議会(the Emergency Financial Control Board (EFCB)、現在はNew York State Financial Control Boardに名称変更)の委員長も務めました。市の最大の労働組合のトップで市立病院勤務労働者を統率したヴィクター・ゴットバウム(Victor H. Gotbaum)は後に、危機を招いたのは銀行だったと認めつつ、EFCBのメンバーとして自分自身の組合の閉鎖までも助けたのです。ロハーチンの代弁者であるニューヨークタイムズの記者は1976年に①ニューヨーク市の規模の縮小、②ニューヨーク市の人口の3分の1削減、③教育や医療などのサービスの合理化と削減、を提案しています。さらに彼は、①プエルトリコ人や黒人の市内の居住禁止、②ニューヨーク市はチャンスを与える場所ではないこと、③米国の都市政策は小作人を工場労働者に変えるという理論に則っていたが工場がなくなった今となっては小作人のままでいいのではないか、と論じました。ロハーチンのEFCBの支配下で、リンゼイが作り上げた地域の警察や消防のサービスは停止され、意図的に火が放たれた地域は「デッド・ゾーン」と呼ばれました。金融、マスメディアそしてエンタテインメントが市の経済のドライバーになりました。

 当時のニューヨーク市の公立病院システムは17の病院から成る米国一のシステムであり、患者数は3百万人、救急用の病室は150万室、救急車の出動回数は450万回に上っていました(延べ数/年)。これに加えてしっかりしたカソリックの医療システムがあり、誰でも訪問することができ、また人格の尊厳を頭に置いたサービスを彼らは共に提供していました。

 ロハーチンは1万1千200名の職員を解雇し、ニューヨーク市立病院グループの4病院の閉鎖を命じました。1976年10月18日にニューヨークタイムズは、コミュニティー管理による自立的な医療の単位と、準自立的な医療の単位に市を分け、入院に代わる支払い方法の根本的な見直しを論じました。EFCBのExecutive Directorであったステファン・バーガー(Stephen Berger)は明確に、この政策の中心概念は「ニューヨーカーの4分の1はニューヨークを去る」ことだと当時述べています。

 その後、ランドコーポレーション(Rand Corporation) 出身のビーム市長時代の副市長であったズコッティ(John Eugene Zuccotti)により、公民権運動の黒人活動家でヒーローでもあり市立病院グループのトップであったジョン・ホロマン(Dr. John Lawrence Sullivan Holloman, Jr.)が解雇されました。去り際にホロマンは「ロハーチンたちの目的は市営の病院システムを破壊し、ウォールストリートが管理する民営の病院システムに組み替えることだ」と述べています。同時にカソリックの病院システムも死に絶えようとしていました。民主党及び共和党の政府が繰り返し政府からの給付を削減し、宗教団体は公の場で悪者にされていったのです。

 1973年にリチャード・ニクソンが医療サービスの供与方式としてHMO(Health Maintenance Organization。健康維持機構。詳細は本段落後の注記参照)を創設する法律に署名します。この法律の正当化の理由は、医師と患者の関係を根本的に叩くことでした。この法律を宣伝した人たちによれば、強欲な医師と利己的な患者は、医薬品、手術、医師そして新技術を使った最高の処置を要求するので、このような非現実的な要求とコストの高騰を抑えられるのは、市場の「見えざる手」によって、合理性あるコスト水準に決定を委ねるしかないというのです。HMOの法律は、スタンフォード大学医学部出身でジャクソン・ホール・グループ(the Jackson Hole Group)の医師ポール・エルウッド(Dr. Paul M. Ellwood Jr.)とスタンフォード大学出身の経済学者アラン・エンソーベン(Alain Enthoven)が、カイザー・パーマネンテ医療管理システムの創始者であるエドガー・カイザーの助けを得ながら作りました。これ以来、医療改革やそれと同様の公的団体の改革についてはいつも同じことが言われてきました。「市場に基づくシステム分析を適用せよ、公共財を供給する際の原則に従いこれまで提供されてきた全てのサービスを民営化せよ」と。カイザー・パーマネンテの馬鹿げた額の利潤に対し、カリフォルニア州当局は多数の法規制を行ってきました。ニューヨークの民間病院グループも同様で、特筆すべきは、数十億ドルの利益が多数の幹部の数百万ドルの給与に化けてゆくのです。

注) HMOの特徴は、①保険会社と契約を結んだ登録された医療機関でしか診療を受けられない、②特定の病歴を持っている場合企業が加入しているHMOへの加入を認められない場合がある、③登録医療機関の医師は保険会社であるHMOと雇用契約を結んでいるので患者に提供する医療水準を落としコストを下げることが利益につながるので望ましい、とされている。カリフォルニアのカイザー・パーマネンテ(Kaiser Permanente)がHMOの最大の会社


第3段階―デイヴィッド・ディンキンズ/ルドルフ・ジュリアーニ/マイケル・ブルームバーグ市長時代(1989年~2013年)

 第3段階は規制緩和とバーガー委員会です。1971年8月15日のニクソンショック以来、上記の流れをくむ間違った考え方が全国規模で試されてきましたが、これに対しては、米国議会におけるもっとも重要な法律案がブロックされたことにみられるように、一般民衆の抵抗が行われてきています。同じような民衆の反乱は、オバマケアが最終的に2010年に導入された際にも見られました。そしてそのような動きは現在でも新型コロナウイルス問題の中で進行中です。

 1994年から1996年にかけて、ニュート・ギングリッチ(Newton Leroy "Newt" Gingrich)が「保守革命」を先導しました。1994年3月に医療コンサルタントのジョン・ロダトがその報告書で、ニューヨークの一人当たりの支出額は国内2番目の高さであり、その一方で初期医療を提供する医師のための支出は国内平均以下だと論じました。また、入院割合と入院期間は入手できるデータの中で最高でした。ロダトや彼の調査に資金を提供した人たちによれば、この結果は、システムが「非効率」であり、コストは管理不能となっているということでした。その対応として、ジョージ・パタキ(George Elmer Pataki)州知事は1996年の医療改革法で、ほぼ完全なコストの規制緩和を導入しました。この改革の結果、2005年から2006年のバーガー委員会の報告の前後にパタキ知事による病院の収容人員の大幅な削減が行われました。

 バーガーがターゲットにしたのは「過剰収容能力」であり、医療財政危機の主要な原因であると彼が述べたのは病院のベッド数でした。彼の報告によれば、「過剰収容能力」により、医療上必要な手続きや専門家の数が集約されるのではなく分散され、医療の質を低下させていると。このような過剰収容能力の結果として生じているのは「本来は不要な入院や入院期間の発生であり、これが病院に不可欠な収益を確保するためとの名目で入院割合やサービス料の高騰を招いている」ことです。また、「医療設備の能力が過剰であるがゆえに、せっかくの高付加価値技術の使用頻度が落ち使わないまま存在するという医療上の軍拡競争を引き起こしていること。さらにベッドの低い占有率は医療機関の財政の負担となり、特に貧しい人たちにサービスを行っている医療機関はとりわけひっ迫していること。また、病院の建物の固定費は非常に高いので、過剰収容能力は根本的なコスト増を招いていること。空きベッドや、病棟、そして建造物も固定費なので、このコスト構造が資金を生産的なものや再投資からそらしてしまうこと」とバーガーは断じています。

 これに対し、ニューヨーク・アメリカン救急医師大学はニューヨーク州看護士連盟とともに、以下のように反論しています。


 「ニューヨーク州の医療体制が危機にあるということを救急医は皆よく知っている。ニューヨークの居住者で保険に加入していない者や不十分な保険にしか加入していない者が圧倒的に多すぎる。救急部門は患者であふれかえっており、このため新しい患者に適切な対応ができない。

 救急部門は精神科へのアクセスや医療に全くアクセスのない外来患者であふれている。我々自身が抱えている患者への対応が不十分なのに、我々は流行病の発生や人災に対する準備に参加するよう依頼されている。それにもかかわらず、州のある委員会は、我々のベッド数が多すぎ、この非効率性が法外な医療支出の主要原因であると報告している。このような結論は我々の日々の経験とは全く矛盾している。もし、ベッドの占有率を最高水準にすることが病院の存続可能性を判断するものであるというなら、なぜ救急病棟にかくも多数の患者がいつも滞留するのだろうか?なぜ我々は救急病棟に12時間から16時間その必要がある患者をとどめておくのだろうか?患者の滞在期間を短縮するための検査や手当に必要な十分な資金がなぜ病院にはないのだろうか?」


 それにもかかわらず、バーガーが提案した4,200のベッド数削減のうち2,800の削減が、2008年までに行われました。更に「過剰収容能力」という一見もっともらしく見える議論が、「医療危機」を説明するうえで支配的な説明になりました。またバーガー委員会の2番目の提言の結果、小規模の病院が大規模な病院ネットワークに吸収合併されました。2010年にはデイヴィッド・パターソン州知事がカソリック系病院の最後の旗艦であったセント・ヴィンセントを閉鎖しました。


第4段階―ビル・デブラシオ市長時代(2014年~現在)

 第4段階はオバマケアです。オバマケアはMedicaidを受け取る対象者を大幅に増やし、保険未加入者をなくすことを可能としていました。新たな保険加入者からの収入により相殺できるだろうということで、特に貧困者を対象としてきた病院に関する連邦政府の(州のMedicaidに対する)支出を大きく削減できるだろうという趣旨で立法化されました。しかし実際はそうはならず、Medicaid加入者は計算されたようには増えませんでしたし、またニューヨーク州の場合はコストの増加に見合うようなスピードで保険加入者数も増えませんでした。

 アンドリュー・クオモが2011年に州知事に就任してから、クオモはオバマケアに含まれていた、病院閉鎖という誤った刺激策に基づき連邦資金を最大限に獲得しつつ、Medicaidのコストに占める州支出のシェアを削減するということに重点を置いた政策を実行しました。オバマケアの名で行われた様々な改革は、急患を公立病院から地域のクリニックやかかりつけ医あるいはHMOに移したことを州政府が証明できれば、連邦政府から追加のMedicaid資金を受け取ることができると規定していました。こういった点がスティーブン・バーガーに代表されるクオモによる最初のMedicaid対策チームの検討の後押しになっていました。

 2014年にクオモは病院利用率を25%まで削減するということを前提にして、Medicaidに連邦政府から80億ドルの資金を受け取ることに成功したと発表しました。新型コロナ流行の直前に、クオモはまた、5年間で25億ドルの州予算を削減するという彼の計画の一部として、2020年に4億ドルの州の支出予算の削減に努力を要する旨発表しました。クオモはまた、彼の緊縮予算を実施するために承認された60億ドル以上の連邦政府からのマッチング資金を確保しているとも述べました。この資金は、看護士その他の病院従事者が提案している州の富裕層への税金の引き上げを行わないために必要とされています。クオモは新型コロナの流行にもかかわらず上記の削減計画に拘泥しています。州上院議員で厚生委員会の委員長であるグスタボ・リベラ(Gustavo Rivera)はクオモの削減計画を「下品」で「不道徳」な計画だと、雑誌ネーションで述べています。クオモの計画に従うと、新型コロナの最前線で戦っているニューヨークの病院は数百万ドルの予算を失うことになります。地域の貧困層や労働者のために働いているセントラル・ブルックリン病院は年に3千8百万ドルを失い、マンハッタンの病院は年に最高5千8百万ドルを失うとされています。The New York State Nurses Associationの幹部であるショーン・ペティ(Sean Petty, RN)は雑誌ネーションでのインタビューで、もしクオモの予算提案が可決されると、来年度の健康医療予算は破滅的なものになると警告しています。現在の新型コロナの状況、特にCNNのアナウンサーである彼の兄弟クリス・クオモの陽性発覚が、このようなクオモの考え方を変えることを念じてやみません。