コラム 国際交流 2020.06.15
はじめに
5月23日の週末に至り、週明けの緊急宣言の全面解除が取りざたされるようになり、それとともにこれまでの我が国の新型コロナへの対応に懐疑的であった諸外国のマスメディアや評論家、また海外在住の日本人専門家も方針を180度転換し、なぜロックダウンをしていない我が国が新型コロナの制圧に成功したのか、その理由を議論し始めています。
この現象は、2月中旬にダイヤモンド・プリンセス号の検査の遅れに絡めて我が国の官僚を批判し、自らが居住するスイス当局の対応の素晴らしさを称賛したあるフランスの経済学者が、2週間もたたないうちにスイスの感染者数が日本を上回ってしまって不都合な事実をみることになった状況に似ています。いわゆる優等生は、ベトナム、台湾、我が国、韓国で実際ベトナムでは一人の死者も出ていません。ベトナムの成功の原因はSARS流行の際にベトナムが責任を中国から押し付けられそうになったという苦い記憶から、極めて早い段階で中国との国境を封鎖したことが寄与していると考えられます。
いずれにしても、上記優等生組の中でロックダウンをしていない国は我が国だけです。当初介護施設における新規感染者数や死者数を参入せずに低い数字を発表していた英国も1カ月ほど前から真実を報告せざるを得なくなくなり、そのとたんに死者数がイタリアを抜いて米国に次ぎ世界第2位になりました。暫く前にBBCは「人口当たりではイタリアよりはまし」と放送していたのですが、直近の数字ではさらに悪化し、遂に人口一人当たりでもイタリアを上回ってしまいました。私は、「日本がうまくいった理由」ではなく、「欧米諸国が失敗した理由」を突き止めることがむしろ重要だと考えており、本稿ではこの観点から米国に焦点を当ててみたいと思います。
米国の状況
米国の新型コロナのホットスポットは第一にニューヨーク、シカゴ、カリフォルニアであり、第2にオハイオ、ニューオーリンズです。中国系住民の関係から当初感染者が多かったシアトルや、老人人口の関係から心配されていたフロリダは収まってきています。連邦制をとる米国は同じく連邦制のドイツと同様、政府の対策は州ごとに違っています。その中で特にニューヨークは一時全米の新規感染者数の半分近くを占めていました。そこで本稿では、ニューヨークにおける医療崩壊の歴史を見てみたいと思います。
クオモとブルームバーグ
医療崩壊には11 月の大統領選挙の候補者にも挙がったことのある人物が2人関係しています。州知事のクオモと前市長のブルームバーグです。ブルームバーグは市長時代に20もの病院を閉鎖し、ベッド数を2万1千削減しました。3月30日にクオモ知事は「ベッドが14万必要だが、5万3千しかない」と言っています。まさに上記の通り、ブルームバーグ市長、クオモ知事の下で、ベッド数は7万5千から5万3千に削減されたのです。クオモ知事はまたMedicaid(連邦政府と州政府が共同で行う医療扶助事業。米国は日本のような皆保険制度がないため私的な医療保険に加入することが難しい低所得者を対象にした政府による医療給付制度) の予算削減を行ってきており今年度も削減提案をしている最中です。 歴代にわたる医療予算削減の結果、ニューヨークのICU(集中治療室)のベッド数は1,800で、20年間増加しておらず、15歳以上の住民1万人当たりのICUのベッド数は2.7で全米の305の病院区域の中で220位にランクされています。
なお、ブルームバーグは2016年にオックスフォード大学で以下のような農民や工場労働者を愚弄した演説を行っており、この発言が民主党候補者選びにおいて大きな問題となりました。その発言とは、農耕社会が3000年続いているという前振りで、「I could teach anybody, even people in this room, no offense intended, to be a farmer. It's a process. You dig a hole, you put a seed in, you put dirt on top, add water, up comes the corn. You could learn that」。それから300年続く工業化社会についても触れ、「You put the piece of metal on the lathe, you turn the crank in the direction of the arrow and you can have a job. And we created a lot of jobs.」。一方で、現在の情報化社会においては、「Now comes the information economy, and the information economy is fundamentally different because it's built around replacing people with technology, and the skill sets that you have to learn are how to think and analyze, and that is a whole degree level different」。さらに「You have to have a different skill set. You have to have a lot more gray matter.」だと。
医療分野における天国と地獄 ― 1971年以降米国で何が起こったか
1971年以降の米国の脱工業化社会への変化の過程で、それまで専門職と見られていた教師、医師・看護士・その他医療系従事者は、新しく作られた「競争原理」に基づき民営化された教育や医療産業の一構成員になってしまいました。そして先進社会では必須のソフトインフラである医療サービスはそれ自体が巨大な「産業」となり、米国GDPの約20%を占めるに至っていますが、そのサービスの内容は平凡なものにとどまっています。医療産業のためにワシントンのロビイストが使っている資金は軍需産業におけるそれの5倍に上ります。2007年を取れば、連邦予算の3分の1が医療に使われています。
医療は米国のほとんど全ての家計の最大の支出項目になっており自己破産原因の60%になっています。この「産業」の基盤だった部分は、ウォールストリートのハゲタカファンド、医療保険会社、民間病院グループ、製薬会社や医療機器会社により、活動資金を略奪・減少されられ、あるいは他の組織に統合され、余剰資金が吸い取られてゆきました。ニューヨークなどの都市では問題はさらに複雑で、経営が厳しくなった病院の土地が不動産会社の地域再開発のターゲットになってきました。地方においては、医療インフラはもはや存在せず、住民はサービスを受けるために数百マイルの移動を必要としています。
模範的な医療のために必要な医師や看護師を自前で訓練したり支援したりするのではなく、現在米国は安い給料を受け入れる外国人医師や看護師に依存しています。助手や看護実習生が医師の代わりをしています。彼らはあまり訓練を受けていませんが、病院のコストを大きく削減してくれるのです。このように問題はマスクの数や人工呼吸器の数ではなく、医療制度の血となり肉となる労働力が故意に削減されてきていることにあるのです。
大規模な病院グループは免税の非営利法人であり、ヘッジファンドや無数の百万長者の寄付を受けています。彼らは医療分野を全国的に支配しており、価値のある不動産や個別の医師を抱え込んで農業や食品産業と同様のカルテルを形作っています。2018年現在、ノースウェル・ヘルス、モンテフィオーレ・ヘルスシステム、マウントサイナイ・ヘルスシステムはニューヨーク州で最大の従業員数を抱えるトップ3ですし、ニューヨーク大学のランゴン・ヘルスはウォルマートに次ぐ第5位、そして5大病院グループの最後の一つであるニューヨーク・プレスビタリアン/コーネルは第10位です。このようなグループが成功する鍵は、「空きベッドがないこと」であり、不要なベッドや仕入れ、人員があると市場が罰を与えることになると言われてきました。
かつては懐の深かったニューヨーク市の公的医療制度を取り壊すに至る経緯には4つの段階があります。まず最大のものは1968年から1972までのジョン・リンゼイ市政が行った破壊行為であり、それが最高潮に達したのが第2段階のフェリックス・ロハーチンによる1975年から1982年までの緊急財政コントロール委員会(EFCB)の結論に基づき行われた病院の閉鎖です。第3段階の劇的な強制的病院閉鎖は、1996年のジョージ・パタキ州知事による医療の価格決定の自由化とそれに続く2006年11月のバーガー委員会に基づくものでした。そして最近の第4段階の病院閉鎖は、オバマケアによるMedicare(高齢者や身体障碍者を対象とした連邦による医療制度)とMedicaidの削減と、大規模病院グループカルテルや外来患者用の手術や診察ネットワークに対する奨励政策の下に行われました。
この結果、現在のニューヨーク市は2つの病院システムから出来上がっています。第1グループは11の公立の急患用病院と今でも貧困者や被保険者に医療サービスを提供している7つの民間病院で、これらの病院は常に破産リスクに晒されています。第2グループは上記のような5大病院グループであり、これらのグループは民間医療保険の対象となっている患者を受け入れ、民間や財団から多額の寄付を得ているので、繁栄しています。このグループは、自分たちはブルームバーグ市長の命名による「贅沢な街」のコンセプトの一部をなすものであるという宣伝をしています。新型コロナ問題以前は、このグループはいつも「望ましくない」患者を公立病院に送り出してきました。現在、これらのグループは、過去を捨てて、患者の手当てや医療従事者の異動についてクオモ知事が強調しているような協力をしなければならなくなっており、これまでの企業の目的との二律背反をどうするか悩んでいます。
第1段階 ― リンゼイ市長時代
1965年以前、ニューヨークでは製造業や、印刷、被服、醸造、建設などの関連企業に86万5千人が働いていました。このほか、同市では、国際貿易の港湾関係の労働者やロングアイランドのアポロ計画関係の宇宙産業に従事する人もおりました。市政はフランクリン・ルーズベルト大統領の下での連立のような、世界中の少数民族の代表、労働組合や公民権運動の指導者たちの連立が仕切っていました。また全国的な出版会社や芸術家、市立大学や私立大学と関係した、いわゆる知識人がニューヨーク市を知識や芸術の街としていました。ウォールストリートや親英派も力を持っていましたが、彼らは水面下で活動しており、公になるのをできる限り避けていました。
しかしながら、1965年にカリスマ的なWASPでエスタブリッシュメントの出身であるジョン・リンゼイがウォールストリートの支援の下に市長に当選します、彼はニューヨーク出身で父は弁護士兼投資銀行家であり、コネチカットを地盤とするブッシュ一族とも親交がありました。ちょうど1963年にはケネディ大統領が暗殺され、ジョンソン大統領が1965年にMedicareとMedicaidを立法した時期でしたが、ベトナム戦争が始まった年でもありましたし、1964年にはビートルズが初めて訪米し、ロックンロール、麻薬、セックスといった新時代の反体制文化が興隆してきます。
1962年に反共、自由主義のスイス・モンペルラン学派のスターであるミルトン・フリードマンが「資本主義と自由(Capitalism and Freedom)」を著します。彼が論じたのは、政府が公的サービスを独占しているので、真の資本主義経済のためには医師を含め免許を要する専門職による公的サービス全てを完全に民営化することが必要だということでした。この著作でフリードマンは戦後のブレトン・ウッズ体制を放棄し、変動為替制度に移行するべきであるとも論じており、これが新自由主義のバイブルとなったのです。
リンゼイによる局面の変化が最も明確に出たのが、それまでニューヨーク市政を支配してきたルーズベルト以来の政治連合を粉々にした意図的な行動科学に基づく活動でした。リンゼイとフォード財団理事長のマクジョージ・バンディ、副市長のエマヌエル・サバスはベトナム戦争で使われた行動科学、対ゲリラ作戦、監視活動を用いました。彼らは市のサービス、特に教育に対しコミュニティーによるコントロールを導入し、黒人などの少数派と白人との対決の構図を作って人種間の緊張に火をつけました。同時にリンゼイらは公的部門で働く人々を悪者にし、彼らは自分たちの利益のためだけに働いていると主張しました。これが、ブルックリン地区において1968年に発生したオーシャンヒル・ブラウンズビル・ストライキ事件(Ocean Hill-Brownsville)や黒人活動家ソニー・カーソン(Robert "Sony" Carson)の出現と続いて行きます。
ソニー・カーソンなどの黒人ギャングたちとリンゼイの意図的な近しい関係が流布されたため、製造業の衰退もあり、多数の中産階級や労働者階級がニューヨークから郊外に去っていきました。そして伝統的な政治指導者たちは繰り返し嫌がらせを受けたり起訴されたりしました。このため、衣類産業は全て、決定的に安い給料と組織化されていない労働者を求めて南部に移っていきました。リンゼイが導入した租税政策と都市計画は製造業に不利益に働くと同時に不動産業と金融業に有利に働きました。その結果、1975年までに1965年の製造業の総雇用者数の42%に当たる32万8千の製造業の職がなくなってしまいました。1970年代初めの研究によれば、マンハッタン南端やアッパーイーストのような富裕な地域の不動産価格の過小評価額は年間330億ドルに上っています。
リンゼイ市長の下、ニューヨーク市の財政は以下の理由から崩壊に近づいていました。
◆ 労働者とビジネスのニューヨーク脱出による税収の減少
◆ 不動産業や金融業に肩入れした都市政策及び租税政策
◆ 地下鉄建設時まで遡るウォールストリートからの借金
1971年8月15日の全国規模の経済危機により、市財政は破産の危機に瀕しました。
リンゼイは給与削減のため、警察官、消防署職員、教師、看護士などの医療関係職員といった市職員組合に対し情け容赦のないキャンペーンを行いました。リンゼイの副市長だったサバスはIBMの「都市システム」のマネージャーの経験があり、公的サービスの民営化を一番強く提唱した人物でした。彼の著述によれば、市の職員は自分たちの予算を増やすために危機を心待ちにしており、例えば汚い街路は衛生職員にプラスだし、高い犯罪率は警官にとってプラスだし、伝染病は医師や看護士にとりプラスである、といった具合です。
1966年にベトナム戦争の最大の支持者であったマクレガー・バンディがホワイトハウスを去り、フォード財団の理事長に就任しました。彼の提案は、ニューヨークの伝統的なそれまでの政治連合を行動科学の対象にしたり、買収したり、投獄するというものでした。同時に彼は市自体を戦略上、同じ民族から成る小集落に分割し、ベトナム戦争でとられた戦法のように、それぞれの小集落が提供するサービスについて申し訳程度のコントロールと権限を彼らに与えられるというものでした。
このような、均一な民族から成るグループによるサービスのコミュニティー・コントロールの権限の供与が、それまでの伝統的な政治連合を破壊し、公的サービスの減少とその奪い合いに導く破壊的道具となりました。バンディたちはベトナムの経験から、集団のアイデンティティや民族性により、意図的に小規模にしたコミュニティーをもって支配するという戦法は、大英帝国が数世紀にわたり用いてきた、分裂させて支配するという技術をさらに改善した最善の様式であると知っていたのです。
リンゼイやその財政担当者そして不動産業者は市内の居住人口を減らし都市再開発を行うと決めた地域に意図的に火を放ちました。1966年から1968年の間にニューヨークの火災は42%増加しました。何が行われているかわかった上で、消防士組合は新しい消防会社を14社創設することを提案し、市の公務員委員会は許可を与えました。これに対し、リンゼイはランドコーポレーションを雇い1968年から1971年の間、ランドはニューヨーク市改革のために予算とサービスを削減する報告書を10以上作成しました。ランドの提言に従って、1971年から1976年の間に35の消防会社が廃止されました。その5分の4は黒人とヒスパニックの居住地域でした。2,400名の消防士が解雇されました。
1968年のオーシャンヒル・ブラウンズビル・ストライキ事件は、あるコミュニティーがコントロールを握った教育委員会がオーシャンヒル・ブラウンズビルの組合員の教師を解雇したことから始まりました。教職員組合に対する攻撃はここから始まりました。1968年はロバート・ケネディやマーチン・ルーサー・キングが暗殺された年です。教職員組合はストライキを行いましたが、これは左翼社会主義者とフォード財団の双方から反対されました。これらのグループはアイデンティティ・ポリティックスに則り、人種というアイデンティティに基づく構成を作りまた資金提供していたのです。メディアも意図的に人種を表に出した行動科学に訴えかけていました。メディアがでっちあげた漫画では、怒る戦闘的な黒人と白人のユダヤ系の教師が対立していました。キング牧師の暗殺とオーシャンヒル・ブラウンズビル事件の結果、経済上の正義と組織化された労働組合との同盟を追求しようとした公民権運動の核となった運動は破壊されてしまいました。
(後編に続く)