コラム  国際交流  2012.07.12

現在の経済危機について(6):欧州経済バブルが生じた背景 その2

シリーズコラム『小手川大助通信』
現在の経済危機について(5):欧州経済バブルが生じた背景 その1 <続き>

リーマンショックの影響その2 ラトヴィア

(1)概観―中東欧諸国の資本流入バブル

2000年以降、中東欧の国に対しては、将来のEU加盟や共通通貨ユーロへの加入という明るい見通しを背景として、西欧諸国による大量の直接投資が行われるなど大量の外国資本の流入がおこり、為替の価値も上昇していきました。潤沢な資金供給による過剰流動性によりインフレ気味となった各国の経済に対応するため各国中銀は金利の引き上げを行いましたが、これは高金利を狙った資本の流入を更に引き起こしました。中東欧諸国の金融機関や企業は、為替価値の上昇見込みを背景に海外市場からの借入を増やしました。このような資本流入は、土地の価格上昇も惹き起こしました。

(2)ラトビア

 典型的な例は人口300万強(我が国の宮城県とほぼ同規模)のラトヴィアで、資金流入バブルの下で、不動産価格や人件費は上昇し、高金利、インフレ、消費ブームの中で為替も急騰していき、これがスウェーデン、英国、ドイツなど海外からの資金流入を更に加速させていきました。

 この状況は2008年9月のリーマンブラザーズの破綻を機に一変しました。急速に冷え込んだ経済に対する信認や金融機関の経営の悪化に対応するめ、西欧諸国は中東欧からの資金を急速に引き揚げました。ラトヴィアでは国も企業も個人も資金繰りが困難となり、2008年10月には資金繰りのためにIMFの資金援助を仰ぐことになりました。 破綻した国家財政を回復させるために、厳しい緊縮財政が導入され、2009年の経済成長はマイナス18%となり、2010年についても同程度のマイナス成長となりました。給与と年金は30%削減されることになり、2012年に予定されていたユーロへの加入は絶望的となりました。この先予想されるマイナス成長を考えると、いつまで現在の政策を継続できるか極めて疑問ですが、人口が300万弱という小規模の国のため、これまでのところ政治的な統一は保たれており、後に述べるギリシャとは好対照をなしています。

 このようにラトヴィアが頑張っていける理由としては以下のことが指摘されています。
①2年連続のマイナス20%成長といっても、生活水準がバブル前の水準までは下がっていないこと。
②ソ連崩壊後のラトヴィアは非常に厳しい生活状況となり、当時の苦しい時期と比較すればまだいいと思う人が多いこと。
③ラトヴィアの首相は非常に質素な生活をしており、この点がマスコミを通じて一般国民にも知れわたっており、指導者と一般国民の間に一体感があること。


リーマンショックの影響その3 ギリシャ

ア.第1段階

 ギリシャについては、2010年の5月、すったもんだの末に、EUとIMFのギリシャに対する支援策がまとまりました。これはギリシャ政府による今後数年にわたる厳しい財政緊縮策を条件としています。

(1)ギリシャ問題発生の原因1――徴税の問題

 ギリシャの問題はどうして発生したのでしょうか。広く知られている話ですが、ギリシャは徴税組織に問題があり、2002年からのユーロ加盟に伴うバブルの時代にも、高い経済成長にもかかわらず、財政は改善しませんでした。報道された話として、ギリシャでは、たとえば100万円の税金を本来納めるべきときには、税務職員に三分の一を賄賂として渡し、本来の三分の一の税額だけを収めるようなことが横行していました。またギリシャには延滞税というものがないために、税金の滞納に対する制度上の歯止めがありません。更に、最近36年間ギリシャでは脱税で捕まった人がいません。ほとんどの家にプールがついているアテネの高級住宅街の空中写真を撮って、それぞれの家庭の納税状況を調べたところ、500件に及ぶ家庭の中で税金を納めていたのが5件しかなかったという有名な話もあります。このようなギリシャの低い納税意識については、トルコによる占領時代が長かったために、いずれトルコ政府の収入となる税金をまじめにおさめることを嫌ったギリシャ国民の伝統に原因があるとも言われています。

(2)ギリシャ問題発生の原因2――公務員天国

 また、歴代の内閣は、支持者を公務員に採用することを選挙の応援の見返りにしたために、ギリシャの公務員の割合は日本の10倍近いものになってしまいました。人数はいてもいかにギリシャの行政組織が酷かったかについては、2011年の再度の交渉の際に、EU事務方が公務員制度改革のためにギリシャ政府に公務員の給与表の提出を求めたところ、そのようなものは存在しないという回答が来て、空いた口が塞がらなかったという話にも、如実に表れています。

(3)ギリシャ問題発生の原因3――証券化商品の悪用

 また、EUの加盟のためには財政赤字を一定水準以下に抑える必要があるのですが、ギリシャ政府は政府の財産の証券化により毎年の政府の収入を水増しし、EU加盟の条件である財政赤字の幅をごまかしていました。証券化の内容はどういうものだったのでしょうか。報道されていた例として、パルテノン神殿の証券化というものがありました。これは、将来数年間のパルテノン神殿への見込み観光収入を担保にして、特別目的会社を作り、この会社が証券を一般投資家に売却するというものです。即ち、将来の収入を当てにして現在借金するわけですが、証券の売却収入は政府の収入となるため、証券化を行った年の政府の収入が増え、財政赤字に関するEU加盟条件を満たすことができるというものです。一般投資家は、将来の観光収入を投資収益として受け取るわけで、その将来の政府収入は証券化を行わない場合よりは減少します。さすがにこの案は、政府部内でギリシャが世界に誇る遺跡を冒涜するものではないかということで反対が強く、実行されなかったそうですが、これに類する証券化が数多く行われました。これを行ったのはケンブリッジ大学で経済や金融を勉強してきた若い大蔵大臣だったそうですが、彼は今や現在のギリシャ危機を招いた張本人とされています。

(4)ギリシャ問題発生

 いずれにしても、ギリシャの財政状況が証券化を含め偽りの数字に包まれていることが、2009年10月の選挙の結果政権交代が行われ、5年ぶりに社会党が政権について明るみに出ました。ユーロ加盟国は財政赤字をGNP比3%以下に抑えることが義務付けられており、それまでの中道右派政権は財政赤字は4%程度と発表していたのですが、実際はGNPの13%まで膨らみ、債務残高もGNPの113%に上っていました。ギリシャは赤字財政を賄うために、基本的には国債を海外で販売するしかないのですが、国債が本当に返済できるかについて市場に大きな不安が走りました。また、最近になって、国債が返済されない場合に備えて、投資家は保険を買うということが始められたのですが(クレジット デフォールト スワップ市場と言います)、不安の拡大とともに保険料が急激に上昇し、この上昇がまた市場の不安を煽るという悪循環に陥りました。

(5)緊縮政策

 こうなった以上は、国債の返済に問題がないことを市場に示す必要があるのですが、ギリシャ政府にはそのような財政力はありません。選択肢としては、ギリシャ政府が自らの選択で歳出の大幅削減や増税を行って、今後の財政状況が急激に回復し、返済財源に問題がないことを市場に示す、ということがあったのですが、このような政治的に不人気の政策をギリシャ政府が独自でとることはできませんでした。次の選択肢は、IMFや欧州諸国がギリシャ政府に対し資金を融通して、返済に問題がないことを市場に保証することです。しかしその際には、融通した資金の返済に問題がないよう、ギリシャ政府に厳しい緊縮政策をとることを貸付の条件にすることになります。例えて言えば、浪費癖がある人から泣きつかれてお金を貸す際に、出費を抑えたり、収入を増やす努力を約束させて、貸した金が間違いなく帰ってくることを確かなものとすることに似ています。

(6)ユーロの一員であることからの問題

 今回の経済再建については、ギリシャがユーロの一員であるということから特別の問題が生じました。通常IMFがお金を加盟国に貸して、その代わりに政策についての条件を付ける際には、財政、為替、金融のあらゆる部分に対して条件を付けます。典型的な例を挙げますと、例えば、A国の貿易赤字が増えたために外貨が不足して資金が枯渇したとします。対応策としては、財政政策として出費を抑えて政府に返済能力を付けるということに加え、為替政策として為替の切下げを行って競争力を回復させて輸出を増やしたり、国内金利を引き上げてインフレを止めるとともに海外からの資金の流入を図るという金融政策による対応が考えられます。ところが、ギリシャの場合には、まず、ユーロのメンバーということから、このような政策をとることについて手が縛られていたのです。即ち、ギリシャはユーロのメンバーであるため、ギリシャだけユーロの切下げを行うということはできませんでした。また、金利についても、欧州中央銀行が欧州共通の金融政策の担当をしており、ギリシャだけ特別に金利を引き下げるということはできません。そのため、唯一残された対策は財政面での対応となり、財政政策に大きな負担がかけられることになりました。即ち、為替政策を通じた競争力の強化や、金融政策を通じた外資の導入なしに、ただただ財政の切り詰めによって返済資金を生み出すという超緊縮政策しかなかったのです。年金のカット、政府職員の大幅な削減、増税といった厳しい政策が、IMFとEUの資金援助の条件となりました。


イ.第2段階

IMFとEUの資金援助でいったんは納まったかに見えたギリシャの経済問題は、2011年に至って、また火を噴きます。資金援助の際に条件となっている定期的な緊縮政策の見直しの際に、ギリシャが約束した政策が殆ど実行に移されておらず、計画に盛り込まれていた経済成長率などが計画を下回っていたことが明らかになったからです。特に酷かったのは公務員制度の改革と徴税組織の改善でした。

(1)1回目の政権交代

 IMFやEUと再度資金援助についての交渉が行われました。IMFとEUは更に厳しい条件を政権に要求しました。政権はこの要求について政権内部の了承を売ることができず、政権はまたしても交代しました。ギリシャの人口は1000万人と、特に大きいわけではありませんが、以下の理由から、ギリシャ国民の間に一体性についての意識が薄弱でした。まず、ギリシャの政治家の殆んどが世襲議員でした。前総理がいい例ですが、議員の子供である彼らの多くは海外留学組であり、ギリシャ国内で生活した技官は限られていました。前総理に至っては、母はアメリカ人で彼自身もアメリカで育ち、英国留学の後はストックホルムで働いていたという具合です。この点は、総理自らが厳しい生活をしていることがマスコミを通じて国民に知られているラトヴィアとは大きく異なっています。

(2)部分デフォルト

 ギリシャの問題があまりにも大きいため、今回は民間金融機関にも一定の負担をさせることとなり、このため、ギリシャ国債は定義上デフォルトになってしまいました。金融機関グループとの交渉は極めて厳しいものとなりましたが、2012年の春になってやっと妥結し、銀行団は60%の資金カットに応じることになりました。しかしながら、民間債権のカットは、他に与える影響から見て、大きな政策上の過ちと言わざるを得ません。なぜならば、国債についてデフォルトが現実に起こった以上、銀行の経営者は株主代表訴訟のリスクを考えると、スペインやイタリアのような市場から懸念されている国の国債を購入することが極めて困難になるからです。5月6日の選挙の結果、ギリシャはIMFやEUとの資金支援の条件見直しを始めます。これは、他の国に波及することが必至であり、IMFやEUの支援の条件を更に難しいものにするでしょう。

(3)ドイツの反対

 ギリシャの救済の際には、公的資金の負担が一番大きいドイツの議会から反対の声が何度も出され、そのたびにこれを材料にされて、ギリシャが市場の攻撃を受けて追い込まれていきました。「怠け者のギリシャを救うためになぜ我々ドイツ人がまじめに働いて払った税金が使われないといけないないのか」というのがドイツの言い分です。実は、後に述べるように、ドイツ国民がこのような意識を持つに至ったのは、ヨーロッパのマスコミの失敗に大きな原因があるのです。いずれにしても、ギリシャの救済には、IMF資金と合わせヨーロッパの公的資金の動員が必要であり、2010年のギリシャの危機を契機として、将来の同種の事態に備えるために、欧州に資金を積み立てることが同意されました。