コラム  国際交流  2012.05.15

現在の経済危機について(5):欧州経済バブルが生じた背景

シリーズコラム『小手川大助通信』

 80年代の終わりのソ連の崩壊は、欧州に新たな経済発展の契機をもたらしました。旧共産圏であった中東欧は西欧の金融機関に新たな投資先、貸出先、そして企業には安い人件費、工場建設などの投資先、製品販売の新たな市場をもたらしました。東西ドイツの合併に伴う種々の問題に苦しんだドイツは若干乗り遅れましたが、その他の国は、このような共産圏の崩壊に伴う利益を90年代から享受しました。Y2Kに対応するために各国中央銀行が流動性を供給したことから99年末から2000年にかけて小規模のバブル(いわゆるITバブル)が発生し、これが崩壊した2000年夏から約2年間は不況を経験しましたが、EUの発足と共通通貨ユーロの導入により、欧州はかつてない好景気を2002年以降享受したわけです。

 金融機関について見ると、ソ連の崩壊に伴い金融の空白地帯となった中東欧にはまず歴史的にこの地域に関係の深かったオーストリアの金融機関が進出していきました。競争力のあるイタリアの企業は中小企業が多いのですが、彼らは規模が小さいため中国に進出して中国の安い人件費を利用することが困難であったため、距離が近く言語も似通っているルーマニアに工場を建設し、これにイタリアの金融機関も続いていきました。また、ソ連邦時代のバルト3国の金融機関はロシアの金融機関だけであり、地元の金融機関がなかったことから、ソ連崩壊後においては、スウェーデンをはじめとする西欧の金融機関の支店や現地法人がバルト3国における唯一の金融機関となりました。

 合併問題に苦しんでいたドイツも21世紀に入ると海外進出の余裕が出てきて、本格的に中東欧に進出を始めました。そして2002年から2006年までのバブルの期間には、西側金融機関が争って中東欧に進出して、バブル期に我が国に生じたような金融機関による貸し込み競争が中東欧で発生し、西欧の金融機関のこれらの地域に対する貸付残高は大幅に増加しました。

 更に、EUそして共通通貨ユーロの発足は、欧州に新しい経済フロンティアをもたらしました。ご承知の通り、EUそしてユーロは、東西ドイツの合併に伴ってドイツが東ヨーロッパを向き始めることを警戒した英仏が、当時のコール首相に迫って引き出した譲歩だったのです。このような成立当時の経緯は別として、いずれにしても、2000年以降、将来のEU加盟や共通通貨ユーロへの加入という明るい見通しを背景として、中東欧の国に対しては、西欧諸国による大量の直接投資が行われるなど大量の外国資本の流入がおこりました。これに伴ってこれらの国の為替の価値も上昇していきました。潤沢な資金供給による過剰流動性に伴うインフレ抑制のために、各国中銀は金利の引き上げを行いましたが、これは高金利を狙った資本の流入を更に引き起こすことになりました。中東欧諸国の金融機関や企業は、為替価値の上昇見込みを背景に海外市場からの借入を増やしました。

 EUの発足とユーロの導入によって一番潤うことになったのはドイツでした。まず、共通通貨の導入によりそれまで割高であったドイツの労働コストは大幅に削減され、欧州諸国内のドイツの競争力が一気に改善されました。欧州内部ではドイツ企業の一人勝ちとなり、域内貿易の大幅な黒字のお蔭でドイツは中国を上回る貿易黒字を計上しました。また、それまで比較的自国通貨が弱かったスペインなどの国は、共通通貨の導入によって労働コストの上昇など競争力が大幅に低下しましたが、消費能力は大幅に上昇し、ドイツ製品の格好の輸出先となりました。新たに開拓された中東欧の市場がドイツに大きな新規市場をもたらしたことは言うまでもありません。ここで1点重要なことを述べておきますと、このようなメリットがバブルの間、ドイツ国民に十分にマスコミを通じて認識されていなかったことです。この認識のなさが、リーマンショック後の欧州の経済危機への取り組みにおいて非常に重要な意味を持ってくるのでした。

 この状況が2008年9月のリーマンショックでひっくり返ります。市場の信認の喪失に伴い、急速な資金の引き上げが起こり、数年間のバブルに浸っていた国が崩壊の憂き目にあいました。最初に破綻したのはアイスランド、続いてラトヴィアでした。


リーマンショックの影響その1 アイスランド

 まず、アイスランドの危機の問題を取り上げたいと思います。まずアイスランドという国の規模ですが、人口は35万人と我が国で最も人口の少ない鳥取県の半分、面積は北海道と四国を合わせた程度です。火山国で、1783年のラキ火山の大噴火は、日本の浅間山の大噴火と合わせて火山灰による気温の低下と飢饉を全世界にもたらし、それがフランス革命につながったものとして有名です。

 アイスランドは1980年代までは産業の殆どを水産業に依存する貧しい国でした。アイスランドでは水力と地熱を利用した発電が盛んでしたが、この安い電気代に目をつけて、まずアルミニウムの精錬工場が1990年代の末に外国からの投資で建設されました。この工場の成功により、同じような工場建設のための投資が行われ、外国資金の流入が始まりました。

 90年代に入って、アイスランドはスイス、ルクセンブルク、そしてアイルランドを手本にした金融立国を目指し、資本移動の自由化、銀行の民営化、為替の変動相場制への移行を行いました。このような状況の下、外国の投資家がアイスランドの金融機関に対する投資を始めるとともに、アイスランドの金融機関が金融緩和を利用して海外で社債を発行して資金を集め始め、社債への依存度は50%を超えました。このような流入資金は、最初は国内の不動産投資に向けられ、不動産価格の上昇をもたらしました。これが更に海外投資家の不動産投資につながり、不動産投資のための海外投資家によるアイスランドの通貨クローナ買いのために、クローナの上昇が始まりました。アイスランドの銀行は、強くなったクローナを武器に、ロンドンなどの不動産や英国企業に投資を始め、また一般国民も、金利の低い日本円などの外貨建ての借入れを使って、住宅や高級乗用車などを購入しました。高インフレと経済の過熱を避けるために、金利が引き上げられましたが、これは高金利を狙った海外投資家の更なるアイスランドへの投資をもたらしました。更にアイスランドの銀行は預金の高金利にものをいわせて、英国、オランダを中心に欧州においても預金を集めました。

 その結果、アイスランドの金融機関の資産規模は、アイスランドのGNP(約2兆円)の10倍以上に達しました。このようなバブルの結果、経済危機の起こった2008年の直前には、アイスランドはノルウエーなどに次いで世界で3番目に豊かな国となりました。これは非常に危険な状況でした。例えて言えば、自分自身の収入は小さいのに、他人から借金をして投資や貸し付けをするなどの自転車操業をしているわけです。一旦資金の流通が止まれば、独自の収入は極めて小さいために、あっという間に返済に窮してしまうことになります。

 この状況が2008年9月のリーマンショックでひっくり返ります。世界的な信用不安に伴い、社債市場は封鎖状態となりアイスランドの金融機関の資金調達の道は閉ざされます。アイスランドの債務負担能力に対する不安が市場で明らかとなり、リーマンショックから1か月もたたない10月初めには経営に行き詰ったアイスランドの銀行を国有化する法律が国会を通過しました。為替は暴落し、外貨建ての負債の額は急速に膨れ上がりました。リーマンショックから1か月の10月24日にはIMFによる21億ドルの緊急融資が決定されました。

 その後、高金利に惹かれてアイスランドの銀行の英国支店などに預金を預けた英国やオランダの預金者の保護が国際間で問題になり、英国は反テロ法を適用して英国内のアイスランドの銀行の財産を差し押さえました。結局、アイスランドの納税者の負担で、英国やオランダの預金者の保護をすることで一応の同意が得られアイスランドの国会も承認したのですが、この合意について2011年の初めアイスランドの大統領が国民の反発を背景に拒否権を発動したため、国民投票となり、2回連続否決されました。現在この問題はEFTAの裁判所に持ち込まれています。


「金融立国」の誤り

 このようなアイスランドの悲劇を通じて明らかになったことがあります。それは、我が国でも一時期、強く提唱された「金融立国」というものの本質です。「金融立国」とは、法人税の引下げなど色々な仕組みを使って、海外の金融機関や金融資産を自国に誘致して立国を図ろうとするもので、アイスランドのほかに英国、スイス、ポルトガル、アイルランド、シンガポールも金融立国を図ってきました。我が国でも一部の経済評論家が金融立国の必要性を主張してきました。これらの国は為替水準を高く保って金融部門を保護育成してきました。勿論為替を高く保てば製造業は追い込まれ、英国に典型的にみられるように、モノづくりによる立国は困難になります。

 この政策は、金融が調子よく拡大しているときには問題ないのですが、一旦、今回のような金融危機が起こりますと悲惨な結果になります。金融危機が起こった場合、我が国の経験でもそうなのですが、最終的には、納税者の負担で公的資金の注入を行って金融システムを守るしか方法はありません。我が国や米国のように一定の経済規模があり、金融システムに問題が生じても納税者の負担で対応ができる国はいいのですが、アイスランドを始め、上述のような、国力に見合わない金融部門を持った国は、金融機関の借財が国力の数倍に上るため、これらの金融機関の破綻を避けるために、膨大な税金を金融機関への支援のために使わなければならないことになりました。アイスランドの金融機関の資産規模はクローナの暴落前でGNPの10倍でしたが、スイスの金融機関の資産規模もGNPの5倍近くに上ります。また、2009年に英国は主要な銀行に公的資金を注入しましたが、その規模はGNPの3%以上に上っています。また、政府保証はその10倍以上、即ちGNPの4割近くに上ります。もしも注入された資金の返済について疑いが生ずれば、英国財政についても懸念が生じることになってしまいます。このように、「金融立国」の影の部分が今回の危機を通じて明らかになりました。


アイスランドの成功(?)

 最近になって、アイスランド経済は急速な回復を示しています。クローナの切り下げにより、主要産業である観光業が繁栄して外貨の獲得に貢献したほか、漁業も順調で2011年のGNPの伸率は2008年以来初めてプラスに転じ、2012年も2.5%の伸びが予測されています。

 主として民間の金融機関が有していた多額の債務も、債務削減のために身軽となり、心配された金融も思ったよりは円滑に動いています。このような結果、2012年にはIMFへの返済を繰り上げて行うことができました。もちろんまだ英国やオランダとの裁判事件の結果によっては多額の債務を国が負う可能性があるなどの不安定要因はありますが、当初心配されたような絶望的な状況にはなっていません。

 このようなアイスランドの状況は、債務や経済危機に苦しむギリシャなど他の欧州諸国の参考になるのではないかと思われます。すなわち、為替の切り下げによる競争力の回復と債務削減による金融や国家財政の立て直しです。ただ、これについては以下のようなアイスランドの特殊性を勘案する必要があります。

1. アイスランドの債務の大部分はクローナ建ての民間債務だったこと。この点は債務の大部分がユーロ建ての公的債務であり、為替の切り下げは債務の増大となるギリシャなどとは異なる。

2. アイスランドの経済規模が小さいために、アイスランドの債務削減が債権者である欧州の他の国に与える影響が小さいこと。この点はスペインのような国の経済が大きい国の債務削減が、債権者である他国の金融機関に与える影響が大きいこととは異なる。

3. アイスランドの人口が少ないために国民のコンセンサスの形成が容易であること。

4. アイスランドはユーロに加入していなかったので、クローナの切り下げが可能であったこと。