コラム  財政・社会保障制度  2010.11.02

医療を経済成長のエンジンに転換する意味

 政府が本年6月に閣議決定した新成長戦略の中で医療ツーリズム振興を目玉政策の一つに掲げたことから、「医療が経済成長のエンジンになりうるか?」が論争になっている。賛成派の主張は、人間ドッグや高度医療目的の外国人を多数獲得することにより外貨獲得⇒追加医療財源獲得ができるという点にある。これに対して反対派は、社会保障制度のもと公定価格で運営されている医療ではイノベーションが起きにくいので医療が日本経済をリードすることは期待できないと主張している。しかし、賛成派・反対派ともに主張の理屈付けが的はずれであり、医療を経済成長のエンジンにすることの意味が分かっていない。

 第1に、新成長戦略が想定しているアジアの医療ツーリズムの市場規模はわが国の医療財源不足を補う意味があるほど大きくない。拙著「医療改革と経済成長」(日本医療企画社より2010年11月10日発行予定)で記したとおり、既に医療ツーリズムで成功を収めているインド、タイ、シンガポールの医療サービス企業4社の売上合計は1,400億円にすぎない。しかも、病院を直接輸出する能力を有するこれらの医療サービス企業に勝てる医療事業体は現時点でわが国に存在しない。医療サービスで国際競争を行うという発想を持ちそれに必要なブランドを獲得した医療事業体をわが国は欠いているのである。したがって、まず世界標準の臨床レベルと事業規模を有する医療事業体を育成することが先決であり、それができれば外国人患者誘致は自然と達成される。つまり、医療ツーリズムは政策目的にするようなテーマではなく医療提供体制改革の副産物にすぎないのである。

 第2に、医療財源と医療提供体制が共にわが国以上に"公定"の仕組みを採用している英国、ドイツ、カナダ、オーストラリア等の国々でも医療は経済成長のエンジンと位置づけられており、"公定"を根拠に医療が日本経済の牽引車になることを否定することは間違っている。この誤解の原因は、医療事業体の実力がその国の医薬品・医療機器産業の国際競争力を左右する大きなインフラであることに気付いていない点にある。周知のとおり、バイオ、手術ロボット、ITなど医療分野の技術革新は加速しており、医療ニーズの拡大と相まって医療が21世紀における世界経済の牽引車であることは疑う余地がない。わが国において医療を経済成長のエンジンに転換する際の最大のターゲットは、医薬品・医療機器産業の対外収支赤字の解消にあるのである。

 ちなみに図表1のとおり、わが国の医薬品・医療機器の対外収支赤字額は1990年2,802億円⇒2008年1兆648億円と膨張を続けている。"日本経済の失われた20年"は医療分野で顕著に現われているのである。これを奪還するためには、拙著「医療改革と経済成長」で解説したとおり、公的医療保険の枠組みの下でオプション保険を導入し追加医療財源を確保すると同時に日本版IHN(Integrated Healthcare Network=異なる機能を担う医療施設群が垂直統合した大規模医療事業体)を各地に創造する必要があるのである。

図表1 赤字拡大が続く医薬品・医療機器の対外収支 (億円)
  1990 2000 2008
医薬品 国内生産金額 55,954 59,273 66,201
輸出 対米 285 1,363 1,236
対EU 453 948 1,245
対その他諸国 529 633 1,317
輸出計 1,267 2,944 3,799
輸入 対米 976 1,003 1,903
対EU 1,966 3,212 6,709
対その他諸国 1,164 935 2,812
輸入計 4,106 5,149 11,424
貿易収支 対米 ▲691 360 ▲667
対EU ▲1,513 ▲2,263 ▲5,463
対その他諸国 ▲635 ▲301 ▲1,495
貿易収支計(1) ▲2,838 ▲2,205 ▲7,625
技術導入収支 受取 250 864 2,879
支払 225 390 587
収支差(2) 25 474 2,292
医療機器 国内生産金額 12,742 14,863 16,924
輸出 対米 1,014 964 1,332
対その他諸国 1,884 2,667 4,260
輸出計 2,898 3,631 5,592
輸入 対米 1,656 5,247 6,334
対その他諸国 1,231 2,964 4,573
輸入計 2,887 8,211 10,907
貿易収支 対米 ▲642 ▲4,283 ▲5,002
対その他諸国 653 ▲297 ▲313
貿易収支計(3) 11 ▲4,580 ▲5,315
対外収支赤字の合計額 (1)+(2)+(3) ▲2,802 ▲6,311 ▲10,648
(出所)
財務省貿易統計、薬事工業生産動態統計等より筆者作成