イベント開催報告 国際交流
2013年9月21日(土)
開催
会場:駒沢女子大学
本報告は、2007-08年の世界金融危機後のグローバル・ガバナンスに関し、政治学・行政学の視点から考察を加えたものである。周知の通り、バーゼルⅢをはじめとする金融分野のグローバル・ガバナンスは、その全世界的な影響力にもかかわらず、内容の複雑さ故に極めて少数の政策担当者及び専門家の間で限定的な形で討議されてきた。本報告では、複雑な金融分野に関して正確を期すため、栗原主幹が小論文("Examining China's Local Government Fiscal Dynamics: With a Special Emphasis on Local Investment Companies (LICs)", Cambridge Gazette Politico-Economic Commentaries No.7, 2011)で、特定分野の見識に関し殆ど全てを頼りにした日本銀行の東善明調査役に再び研究協力を依頼した。従って本報告は栗原・東の共同研究成果である。
尚、「グローバル・ガバナンス」は、未だ人口に膾炙した概念とは思われないので、学会長である山本武彦早稲田大学教授による解説をここに抜粋して掲載する。
グローバル・ガバナンスという概念が国際関係の舞台に登場し、学問的な論争の対象として急浮上するようになったのは、冷戦体制が崩壊する前後の1990年代初頭の頃であった。冷戦秩序の崩壊から新世界秩序を模索する時代環境の激変期にあって、ポスト冷戦時代のガバナンスの体系が新時代に相応しいルールの体系を軸にしたものになるのか、それとも旧来のウエストファリア体系を継承する「政府なきガバナンス」(James N. Rosenau and Ernst Otto Czempiel, 1992)のシステムとして機能するのか等々、百家争鳴の感を呈したことは、記憶から去らない。
それから20年余が過ぎた現在、当時の予想をはるかに超える速さでグローバル化の荒波が国境線を浸食し、"国家の衰退"現象を加速させてやまない。膨大なモノ・ヒト・カネ・情報の国境を超えた移動が、国民社会間と市民社会間の相互依存体系のネットワークの複合化を促す一方、国民社会間と市民社会間の緊張と対立を増殖させる要因ともなってきた。そこに国境を超えた「責任」論が国際社会や国内社会の場で真剣に論議されるようになる背景を見て取ることができよう。...
リーマン・ショック後の金融危機が国家主体のナショナルな金融ガバナンスの有り様を鋭く問い、欧州連合のリージョナルな金融ガバナンス体系の軋みを是正する方向性を指し示した点で国家主体や地域主体の「責任」が問われてきた。同様に、情報システムをめぐる覇権競争の激化も、パックス・インフォマティカと呼ばれるようなナショナル・ガバナンスのせめぎ合いを促してやまないし、"情報のシビル・ガバナンス"との緊張を増幅させてやまない。 (出所先:)