キヤノングローバル戦略研究所外交・安全保障グループの研究員が、リレー形式で世界の動きを紹介します。
2020年6月9日(火)
[ 2020年外交・安保カレンダー ]
5月25日の週から始まったアメリカ大都市での抗議運動が三週目に入った。この間のトランプ政権の対応を見ていて、ふと「裸の王様」の話を思い出した。ある国のおしゃれ大好きな皇帝が詐欺師に騙され、「地位に相応しくない愚か者」には見えない服を注文し、それを「着て」パレードしたら、子供が「何も着ていない」と叫ぶ話である。
デンマークのアンデルセンがこの童話を書いたのは1837年だが、その原作は1335年にスペインの王族が書いた寓話だという。つまり、この話は古今東西共通で、現代のアメリカで起きても不思議はないのだ。アンデルセンの童話では、子供に指摘された後も「裸の皇帝」はパレードを続けるのだが、さて今回のトランプ氏はどうか。
この種の騒動は米国では決して稀ではない。だが、今回の抗議運動は従来とはちょっと異なるとThe New York Timesも指摘している。筆者も同感だ。日本のメディアが「全米各地で抗議デモ続く ワシントンでは最大規模」などと本件を大きく報じ始めたのは良いが、それでも、日本のネット上には結構的外れな論評が少なくないと感じる。
その典型例が、「ローマ帝国と同様、これは米国の崩壊の始まりだ。トランプは米国の理念を破壊し米国の時代は終わった。日本は米国との同盟関係を再考し、欧州と連携して米国抜きでも国際秩序と規範を守っていくべし・・・」云々である。長年米国の人種問題に関心を持ってフォローしてきた筆者にはそこまで言い切る自信がない。
米国に人種差別問題があり、一部警官の過剰警備や一部アフリカ系市民の無法行為がなくならないことは、あの国では織り込み済。問題はあの国がそれを如何に乗り越えてきたかだろう。白人警官に事実上殺されたアフリカ系市民を悼み、警察の過剰警備を批判する今回の「草の根運動」を天邪鬼の筆者は次のように見ている。
1. 「全米」に広がる「黒人」の抗議運動?
筆者は、米国について「全米」とか「黒人」などという用語をできるだけ使わないようにしている。経験則から米国は「全米」などいう言葉で一括りできないからだ。ワシントン州シアトル、ジョージア州アトランタ、イリノイ州シカゴ等々、各州と州内はそれぞれ実に多様であり、「全米各地で拡大している」などと簡単に言えるはずがないのだ。
同様に、筆者は「黒人」という言葉も極力使わない。彼らが自分たちをblacksと自称するのは良いが、彼らはAmericans of African ancestriesアフリカ系アメリカ人である。Black Americansなる表現は差別用語ではないが、アフリカ系の多くの友人に対する敬意から個人的に筆者は使わない。まあ、これも趣味の問題なのだろうが・・・。
2. ワシントンでの「これまでで最大の」デモ?
日本の某テレビ局は「首都ワシントンでこれまでで最大のデモが行われるなど全米各地で抗議デモが行われた」などと報じていたが、それもちょっと違う。確かに規模は過去2-30年では大きい方だと思うが、1992年にロサンゼルスで起きた大暴動・大略奪事件に比べれば、今回の抗議運動は略奪も少なく全体として整然としている。
今回内外の一部識者が「1960年代以来の盛り上がり」などとコメントしていたことにも驚いた。ジョージ・フロイド事件を1960年代と比較するのは、当時命を賭して戦ったマーティン・ルーサー・キング牧師など偉大な運動家に対し失礼だろうが・・・。1960年代の公民権運動が公民権法制度そのもの変えようとした歴史的戦いだったことを忘れてはならない。
ちなみにロス暴動は、前年に起きたロドニー・キング暴行事件で起訴された警官たちが無罪評決となったことからアフリカ系を中心に民衆の不満が爆発したもの。筆者はワシントン大使館勤務だったので、当時のことは鮮明に覚えている。特に衝撃を受けたのはアフリカ系の暴徒が韓国系移民の店舗を狙い撃ちで略奪したことだった。
3. 指導者のいない抗議デモ?
1960年代と最も異なる点は、今回の運動が中心的「指導者」を持たないことだ。自然発生的ということは、良く言えば柔軟、悪く言えば目的と落し所が不明確なのだが、それでも方向性は見えてきた。各州、各市で警察制度そのものの改革議論が始まりつつあるからだ。恐らく、トランプ氏ではこの問題は収束できないだろう。
先ほどCNNは、暗殺される前のロバート・ケネディ司法長官がキング牧師暗殺直後に行った演説を流していた。その内容は実に素晴らしく感動的だ。「私の家族も白人に殺された。今この国に必要なのは分裂ではない。今この国に必要なのは憎しみでもない」と人種間の和解を訴えていたからだ。当時政治家は今より偉大だったのか。
これに比べれば、現職大統領は何と器の小さいことか。今米国に必要なのは国の統一であり、団結であり、和解であり、癒しであるはずなのに、現大統領は何一つこの種の発言をしない、というか意図的に避けているようにすら思える。マティス前国防長官が「トランプはこの国を分断しようとしている」と批判したことは間違っていない。
〇アジア
韓国で元「慰安婦」支援団体の不正疑惑が止まらない。やはり何か無理なことをやっていて、それが積み重なり、「叩けば埃が出る」事態になってしまったのか。今頃日本の嫌韓派は大喜びだろうが、この混乱いつまで続くのか。文在寅政権がこの問題に真剣に取り組むとはあまり思えないからだ。
〇欧州・ロシア
米国に端を発した差別抗議運動が英仏などに飛び火している。そういえば欧州にも似たような問題があることは公然の秘密だ。一部諸国は戦々恐々だろう。しかし、それを言うなら、ウイグルやチベットでの厳しい弾圧も同罪ではないのか。中国でその問題について抗議運動があったり、政府が改革を約束したという話は聞かない。
〇中東
コロナウイルスの影響なのかエジプト、トルコなど中東の観光地で閑古鳥が鳴いている。コロナ対策の基本は手洗いの励行だろうが、そうした意識がかの地で庶民の末端まで浸透しているとは到底思えない。申し訳ないが、現地をある程度知る筆者は今中東まで観光に出かけていく気にならない。
〇南北アメリカ
マティス前国防長官に続きパウエル元国務長官もトランプ氏を公然と批判したが、これは当然想定内であり、驚くべきではなかろう。共和党内トランプ反対派要人による批判はこの4年間で出尽くしているし、そもそもこの程度で落ち込む大統領ではなかろう。まだ選挙まで5カ月もあるが、鍵はトランプ氏の岩盤支持層の動きである。
これから米国経済は更に試練を迎える。尊敬する経済専門家によれば、米国の状況は8月末と11月末に厳しい数字が予測されるほど暗いそうだ。しかし、トランプ氏に活路はある。下がったものは必ず上がる、そのタイミングが11月上旬にうまく合えば、まだ僅差の勝利はある。最大の理由はバイデン人気が盛り上がっていないことだ。
〇インド亜大陸
特記事項なし。今週はこのくらいにしておこう。
7日-18日 第109回国際労働機関(ILO)総会
8日 欧州議会委員会会議(ブリュッセル)
8日 ニューヨーク市で経済活動一部再開
8日 韓国地裁、サムスングループトップ李被告の逮捕状発付可否を審査
8日-12日 IAEA 理事会(ウィーン)
9日 EU農水相理事会 非公式会合(場所未定)
9日 EU第1四半期実質GDP成長率発表
9日 メキシコ5月CPI発表
9日 米・大統領予備選挙(ジョージア、ウェストバージニア州)
9日-10日 米国FOMC
10日 OECD経済見通し発表
10日 米国5月CPI発表
10日 中国5月CPI発表 ・PPI発表
10日 ブラジル5月IPCA発表
10日-11日 WTO物品貿易理事会(ジュネーブ)
10日-11日 欧州経済社会委員会本会議 第552回会合(ブリュッセル)
11日 ユーログループ(非公式ユーロ圏財務相会合)(ルクセンブルク)
11日 欧州議会委員会会議(ブリュッセル)
11日 メキシコ4月鉱工業生産指数発表
11日 エレクトロン("Don't Stop Me Now" ANDESITE, NRO)打ち上げ(ニュージーランド・マヒア島)
12日 インド4月鉱工業生産指数発表
12日 史上初の米朝首脳会談から2年
12日 ファルコン9(スペースX社スターリンク衛星9 60機、小型衛星ライドシェア)打ち上げ(ケープカナベラル空軍基地)
13日 初の南北首脳会談から20年
【来週の予定】
15日 中国5月固定資産投資、社会消費品小売総額発表
15日-18日 欧州議会本会議(ストラスブルグ)
15日-24日 第127回中国輸出入商品交易会(広州交易会、オンライン上での開催)
15日-7月3日 国連人権理事会 第44回会合
16日 米国5月小売売上高統計発表
16日 ブラジル4月月間小売り調査発表
16日 ロシア1-5月鉱工業生産指数発表
16日 長征3B(航法測位衛星第三世代北斗)打ち上げ(四川省西昌衛星発射センター)
17日 ロシア2020年第1四半期経済活動別GDP統計(速報値)
16日-17日 ブラジル中銀、Copom
17日 EU5月CPI発表
18日-19日 欧州理事会(ブリュッセル)
19日 ロシア中央銀行理事会
20日 大統領予備選挙(ルイジアナ州)
宮家 邦彦 キヤノングローバル戦略研究所理事・特別顧問