キヤノングローバル戦略研究所外交・安全保障グループの研究員が、リレー形式で世界の動きを紹介します。
2013年6月24日(月)
[ 日露関係 ]
6月上旬にロシア・モスクワにて①ロシア科学アカデミー世界経済研究所(IMEMO)、②経済高等学校世界経済世界政治学部、③民族友好大学、④カーネギー財団モスクワセンターを訪問し、アジア太平洋の戦略環境についての講演と討議を行う機会を得た。
ロシア専門家ではない筆者にとって、アジア太平洋の安全保障とロシアとの関係は自明の理ではなかった。しばしば地域安全保障に関する研究発表をする際に、「ところでロシアはどう関係するのですか?」という質問が呈されることがあるが、あまり明確な答えを導き出した経験がない。こうした背景から、短い期間ではあったが現地の安全保障専門家らと濃密な討議を通して、ロシアの戦略認識の現段階の一端を知ることができたことは大変有益であった。
以下は、ロシアの専門家との議論を通じて得た印象をまとめたものである。尚、当然ながら専門家の間にも多様な意見や立場があり、以下のまとめはあくまでも大づかみな一般化であることをお断りしておきたい。
● ロシアのアジア太平洋戦略は新しいフェーズを迎えている。これまでロシアの対外関係には、米国、欧州、旧CIS諸国、中東といった優先順位が存在してきたが、近年アジア太平洋地域の重要性が顕著に増大している。これらの現象は、ロシアのアジア太平洋への基軸旋回(ピボット)と表現してもよい。ロシア国内でのアジア専門家のみならず、戦略論の専門家を含めてアジアへの注目を高めており、これらを総称して「ニューグローバリスト」とも呼ばれている。
● こうしたロシアのアジア旋回は、以下のような構造的要因によってもたらされている。第一に、欧州経済危機・米国のシェールガス革命の影響によって、ロシアのエネルギー戦略に根本的な戦略転換が迫られていることである。主たる輸出先である欧州諸国がエネルギー輸入元の多角化(主にカタールからの天然ガス輸入)を進めたことで、新規契約のガス価格が著しく低下していることも、欧州の景気動向に係らず長期的戦略転換の必然性を生じさせている。「2030年までのロシアのエネルギー戦略」(2009年11月発表)でも、新規市場としてのアジア太平洋の位置づけが最重視されており、アジア市場への参入はロシアのエネルギー戦略の死活的課題となっている。
● 第二に、中国の台頭は、2010年の時点でロシアの4倍のGDPを持つ大国との関係という位置づけに変化した。中露戦略的パートナーシップは、中国の台頭にともなう経済的利益追求(ロシアから中国へのエネルギーや武器輸出の拡大)への期待、対米牽制のための戦略協調が対外政策ツールとして重みを増すという期待がある。その意味では、ロシアのアジア旋回の中核は対中政策にあるといえる。しかし、中国の軍事力増大(核戦力、海空軍戦力、海洋進出の動向)への懸念や、中央アジア政策をめぐる確執も顕著に高まっている。
● 第三に、ロシアの国内的文脈においては、人口減少が続く東シベリア・極東地域の経済開発を促進し、そのための日本・中国からの投資を活発化させたい。プーチン大統領は2012年に東シベリア開発を「最重要の地政学的課題」と位置づけ(その位置づけどおりの戦略シフトが実現しているとはいえないものの)、エネルギー関連の大型インフラ事業(東シベリアのガス田開発)の他、ガスパイプラインの敷設、LNG工場建設などの整備を加速させ、同時に地域振興を図りたいという意向が強い。
● 以上の構造的要因がありながらも、ロシアのアジア太平洋政策に「戦略」と呼べるほどの一貫性があるとは言い難い(⇒複数の専門家の指摘)。第一に、台頭する中国との関係がロシアのアジア旋回の中心課題ではあるものの、中国をゲートウェイに位置づけ「中国を通じたアジア重視政策」(Russia's Pivot to Asia through China)という構図にはしたくない。ロシアが中国寄り政策をとることは、成長する他のアジア諸国における中国の支配力の強化に繋がり、自律的関与の自由度が失われる。同時に、東シナ海・南シナ海の領有権対立について、ロシアは特定の立場をとることはない。また国防セクターには中国に対する根強い警戒感と不信感がある。
● 第二に、他方でロシアが「対中包囲網」に組みすることも得策ではない。中国に対する牽制は常に必要とされるが、その目的はロシアの中国へのバーゲニングパワーを高めることにあり、敵対的な関係を導くことではない。したがって、米国・日本・ベトナムなどがロシアを対中牽制の目的で協力を深めようとしても、そこには一定の限界がある。
● ロシアの安全保障専門家の間では、中国の核戦略に対する真剣な検討が始まっている (注1)。長らく核戦略の中心課題は、米露関係に他ならなかったが、米露間の戦略核弾頭数削減の進展と中国の核弾頭数の増大に伴い、「戦略的安定」論に中国をアクターとして加える必要が生じている。ロシアが依然として戦術核を抑止論の支柱に据えている背景も、対米・NATOの通常戦力による劣勢への対抗という側面とともに、対中関係という意味合いが増えている。
● 米露間のさらなる戦略核削減(更に戦術核も含む)を目指すのであれば、中国を多国間交渉に含める必要がある。その際には、米中及び中露間の「戦略的安定」に関する相互認識を醸成しなければならない。(⇒ロシア専門家からは、米国の通常戦力・核戦力・ミサイル防衛による対中抑止構造を緩和すべしとの議論が高まる可能性があり、注意を要する論理である)
● 日露関係について、安倍内閣の誕生は久々に長期交渉が可能なカウンターパートとして多くの専門家が期待をしている。本年4月の日露首脳会談を契機に関係の発展を望むことに異議はない。北方領土の解決方針に関するロシアと日本の主張には依然隔たりが大きく、専門家の見方も強硬派・柔軟派に分かれる印象であった。他方で、日露関係の戦略的協力の可能性を見出したいという意欲は多くの議論から感じることができた。
以上が雑駁ながら、今回のモスクワ訪問の印象録である。尚、筆者の講演では、日露の戦略協力を推進する領域として以下を問題提起した。①海洋安全保障(北極海・東シナ海・南シナ海に至る航行の自由の確保に関する協力)、②朝鮮半島の核問題(六者協議の再開とロシアの関与増大・長期シナリオの検討)、③エネルギー安全保障(ガスパイプライン・LNGプロジェクト)、④東南アジアのキャパシティ・ビルディング(ロシアのベトナム支援・日本のフィリピン支援を含む、南シナ海の戦略的安定に関する認識の共有)。
IMEMO及びCarnegie Moscow Centerでは、同研究所内外の若手・中堅の安全保障専門家が以上の問題提起に関しても積極的に発言し、ロシア国内の専門家の層の厚さを再認識した。日露で「若手・中堅の安全保障研究者」同士の知的対話を行い、広くアジア太平洋の戦略的課題を討議することも検討されてよいと感じた。
(注1)特に2013年4月に発表された下記論文については、専門家の間で大きな話題になっているという指摘があった。 Alexei Arbatov and Vladimir Dvorkin, "The Great Strategic Triangle", Carnegie Moscow Center (April 2013)
神保 謙 キヤノングローバル戦略研究所主任研究員