キヤノングローバル戦略研究所外交・安全保障グループの研究員が、リレー形式で世界の動きを紹介します。
2011年10月20日(木)
[ 2011年DC道場 ]
今朝は、下院議員会館の同じフロアの幾つかの事務所合同の懇親会があった。永田町で働き始めた頃、衆議院議員会館の同じフロアにある同じ党の事務所が集まって行う懇親会があったのを思い出した。勿論、夜の飲み会である。こちらの懇親会は、朝食形式であった。朝食だが、場所は議員会館の廊下である。廊下に机を持ってきて、コーヒーにドーナッツ、ビスケット等が山盛りになっている。朝から糖分とカロリーの大量摂取を余儀なくされるが、インド系のエキゾチックな美人スタッフが微笑みながら、「美味しいですよ、召し上がれ」とお皿を渡してくれれば、日本男児たる者逃げるわけにはいかない。如何にも旨そうにドーナツを頬張り、皆で狭い廊下にひしめき合いながら一通りの挨拶を済ませ、どうにか懇親会を乗り切った。
調子に乗って食べ過ぎたので、昼食はスキップして午後一番のインタビューに出かけた。本日のインタビュー相手も道下さんのご学友で、政治任用職の経験者である。対アジア外交の担当として連邦政府の中枢で働いた方だが、業務の詳細内容は機微に触れるために伺わないこととし、またお名前・経歴等も伏せさせて頂く。この方の場合も、政治任用職と官僚の間の軋轢という話が出る。時折日本の官僚に対して「省益あって国益なし」等、その省庁間の壁の厚さを揶揄する発言を聞くが、回転ドア人事で政治任用も盛んに行われる米国にあっても、やはり縄張り意識というものは強く存在するようだ。日本の官僚に特有の現象ではなく、洋の東西を問わずに人間なら誰しも陥りがちなことである。
特に印象に残った話は、政治任用で外交関係の役職に就く際に求められるセキュリティクリアランスである。犯罪、テロ、共産主義関係団体、他国の諜報機関等との関係について調査する一般的なセキュリティクリアランスと、政権与党に対してどのようなスタンスかというポリティカルクリアランスの2種類があるという。前者は当然必要なのは分かるが、後者のように政治信条についてもチェックがなされるというのも、2大政党制を感じさせる話だ。この方の場合は、クリアランスのために2年間かかったそうだ。2年かけて、これまでの人生で接触のあった人物(小学校の恩師や友人、或いは昔の隣人等)に聞き込みを行う等、相当詳細を極めた身上調査がなされる。調査費用は50,000ドルくらいかかるらしい。それ程のコストをかけてでも良い人材を外部から迎え入れたいということだから、政治任用職がどれほど米国政治に強く根付いているかが伺える。
もう一つ印象的だったのは、この方は政治任用職を終える際に上司から「元いたシンクタンクに戻るのか?」と聞かれたが、「シンクタンクの政策論議は机上の空論なので戻りたくない」と答えたという点。シンクタンクとは「考えるタンク」であって、知恵袋のようなイメージがある。そこには優秀な頭脳が集まり、膨大な資料と格闘しながら各種調査活動を行っている。かつて知り合いの官僚が、「うちもシンクタンクに調査業務を発注するけれど、報告書は殆ど倉庫行きだ。調査のための調査になってしまっている。余り予算の消化という意味はあるけれど、良いことではないよね。」と言っていたのを思い出した。シンクタンクと一口に言っても千差万別であり、必ずしも皆が皆そうではないだろう。しかし、自分も公共政策関連のコンサルティングをした経験から、政策を論じると同時に実際にその政策を実現・実行するための仕掛けという活動も必要であると思う。かつて私が所属していたコンサルティング会社では、そのためにロビー活動を展開し、自分たちを「シンクタンク」ならぬ「ドゥタンク(Do Tank、実際の行動に移すという意を込めている)」と自称していた。ロビー活動とは、このように良い政策を本当に実行するための有効な手段でなければならない。
ところが丁度今朝のワシントンポストには、「下院議員がロビイストに対して利益誘導をした疑いでFBIに捜査をされている」という記事が載っていた。疑惑の議員はジョン・マーサといって既に故人だが、KSAコンサルティングというロビイング・ファームには彼の弟がおり、同社と住所を同じくする怪しげな国防関連企業には甥が在籍しており、相当規模の国防省関連案件の受注に成功しているという。また、PMAグループというロビイング・ファームは、マーサ議員の友人と国防関連のOBが設立した会社で、同議員に無償で運転手を提供したり、多額の政治献金を行ったりしていた。このPMAにロビー活動を依頼した企業の受注成功率は、90~95%というからものすごい。ロビー活動の悪い事例の一つである。
先に述べた役所の縄張り意識もそうだが、何故不毛な争いをするのか、そして何故金のために不正が行われるのかという人類に常に付き纏う問題の根本は、私利私欲であると思う。特に政治に携わる者は、心を用いてこの問題に取り組まなくてはならない。何故なら、政治とは洋の東西を問わずに利害調整の場であるという面は否定できない事実であり、従って煩悩の縮図の如き様相を呈することが四六時中ある。その中にあって、国民の安全を守り子子孫孫に誇れる国を遺していくという政治の本義を実行するのは、とてつもなく大変なことである。思いつきの政治主導でやっていけるような、甘いものではない。かつて私が仕えた師と仰ぐ政治家は、彼が一回目の外務大臣の任にあった時に、「外交に責任を負う者としては、周囲が何と言おうと国益を見失うわけにはいかない。『百万人と言えども、我行かん』という思いで政策を遂行する責任がある。しかし同時に政治家である責任として、最後の最後まで国民の理解を得られるような努力を続け、『百万人と共に我行かん』という理想を目指す。」と力強く語ってくれた。政治家として、そして閣僚としての腹の据え方に素直に頭が下がった。官僚も、こういう大臣の下なら存分に働けるのではないか。どこぞの政権与党のように「政治主導」と言っては「政治責任」は取ろうとせず、思いつきの政策を官僚に押し付けるだけでは、官僚も殻にこもって縄張りの死守に汲々としてしまう。優秀な能力の持ち腐れも官僚にとって不幸だが、同時に国民も相当に不幸であろう。(了)
柄山直樹 PAC道場第2期生