2011年10月18日(火)
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2011年DC道場
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今週の下院は、リセス(Recess)である。リセスとは休憩を意味する言葉で、法廷用語だと休廷といった意味になる。米国の上院・下院はともに通年で開催されており、日本の国会のように通常国会と臨時国会の間が数か月閉会という形態ではないが、2週間おきに1週間のリセスを設けている。この間議員は地元に帰って地盤を耕したり、或いは所属委員会によっては出張で公聴会を行ったりする。リセスに入った下院議員会館は、出勤者も随分と減って至って静かだ。私がフェローをしている事務所も、みんなのんびりと9時ころ出勤し、筆頭のスタッフ(Legislative Director)が「今週は夕方5時には帰るように」と声をかけて回る。みなノーネクタイでリラックスしてテレビを見たり、雑談したりしているので、いっそ休みにすればよいのではないかとも思うのだが、「何かあるといけないので、一応出勤するのだ」とのことであった。
リセスの期間中は議会内の委員会開催も殆ど無いので、こういう時にはできる限り外部のセミナーに参加するのもよい。ワシントンDCでは各種シンクタンク等が活発に動いていることは以前に述べたが、シンクタンクの他にも様々な団体(NGO、各種協会等)が活動しており、精力的に研究者・有識者や議員経験者を招いて講演会やセミナーを開催している。無料の催しも数多くあり、たいていはウェブ上から申し込み手続きができるので、気軽に参加できる。議員の立法担当スタッフも時間の都合がつく限り参加しているようで、そこで知識を得ると同時にあわよくば新しいネットワークの開拓もしようと目論んでいるのだ。ワシントンDCでは政治が一大産業であり、「プロフェッショナルとしての自分を確立すれば、就職先には困らない」と豪語する議員スタッフもいる。例えば医療でも外交でも軍事でも、その分野で政策立案・法案作成ができるという人材が、議員事務所、シンクタンク、大学、ロビイング・ファーム、弁護士事務所、民間企業の対政府渉外担当等の職業を行ったり来たりする。元議員でロビイストなんていうのも珍しくない。
さて、本日二つ参加したセミナーの中で印象的だったのは、USJI(US-Japan Research Institute)の主催による、"How does Japanese railroad technology contribute to the low-carbon society?"であった。日本からJR東日本の小縣方樹副会長をスピーカーに迎え、JR東日本の環境性能向上と安全性向上への取り組みについての説明がなされた。聴衆の米国人を驚かせたのは、「先の東日本大震災において、安全装置が完璧に作動し、且つ乗客を降ろして避難させるオペレーションも迅速に行われ、結果として列車での死傷者はゼロであった(避難完了後に、不幸にも避難所ごと津波に襲われてしまったケースはある)」、「自前の発電施設を持ち、技術研究開発から付随するサービス業(ホテル、レンタカー)までトータルなサービス提供を実現しつつも、鉄道事業単体でも十分な利益を出している」といった点であった。乗客の安全を最優先項目として、民営化したものの利益優先の姿勢は取らずに社会奉仕という気持ちを忘れないようにやっているという説明には、米国の鉄道事情と比較して非常な驚きと感銘をもたらした様子であり、「是非米国にJRのノウハウを輸出して欲しい」という声が挙がっていた。参加していた日本人聴衆も、一様に嬉しそうに聴いていた。
思いがけずワシントンDCで、論語の里仁編にも出てくる言葉であり、長く日本人と日本社会を支えてきた「忠恕」を垣間見た思いがした。忠恕は地味であり、常日頃は脚光を浴びることも全く無い。ましてや忠恕であることで大金が儲かることなど、ほぼ絶無であろう。しかし、倦まず弛まずにひたすら「乗客の安全と快適さ」を黙々と追及し続ける実直さと執念深さこそが我々の社会を支えており、間違いなく日本人の誇るべき特質の一つである。何にでも長所・短所はあり、勿論こうした特質にもマイナス面はあろう。だが、戦後のある時期までは、忠恕を失わずに誠心誠意行動することで、国際社会においてある種独特な存在価値を持っていたと思う。日米同盟の基底にも、地政学的な戦略的要素と同時に、一方でこうしたことへの信頼感があったのではないか。たまさかの経済的繁栄にうつつを抜かし、その経済が停滞してからこの方、日本社会は経済的損失だけではなく、もっと大事なものを失いかけているような気がする。今回JR東日本が見せた底力の様に、忠恕に支えられた日本人の実直な粘り強さを、我々は決して失ってはならない。災害復興も、国際的な地位の確立も、それがあれば必ずできる。 (了)
柄山直樹 PAC道場第2期生