外交・安全保障グループ 公式ブログ

キヤノングローバル戦略研究所外交・安全保障グループの研究員が、リレー形式で世界の動きを紹介します。

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2011年6月7日(火)

シャングリラ・ダイアローグと中国:「威圧的に協力」を説く?

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 シンガポールでは毎年6月初旬になると、市内屈指の有名ホテル・シャングリラホテルで物々しい警備が敷かれる。英国際戦略問題研究所(IISS)の主催するアジア安保会議「シャングリラ・ダイアローグ」に、アジア太平洋諸国から国防大臣が集うからである。ボールルームでの華やかな全体セッションの裏では、二国間の国防大臣対話が活発に展開されている。過去10年間、シャングリラ・ダイアローグがアジア太平洋地域の防衛外交のメッカとされる所以である。
 同会議が10周年を迎えた今年は、やけに中国の人民解放軍の制服組が多い。彼らは一様に緊迫した面持ちをしている。それは中国の出席者としては過去最高ランクとなる梁光烈国防部長が姿を現したからに他ならない。これまで中国は同安保会議に他国と比べて低ランクの当局者(前回は馬暁天副参謀総長)を出席させていた。その背景には、発足当初よりIISSが台湾からの出席者(政策サークルに近い学界関係者)を招待し、なし崩しの公式化となることへの猜疑心があったようだ。
 しかし、今回の中国代表の「格上げ」には、2010年の地域安全保障をめぐる展開と深い関係がありそうだ。昨年のシャングリラ・ダイアローグでは、ゲーツ米国防長官が「域内の各国と協力して、(南シナ海など)国際水域に各国が平等かつ、自由にアクセスできることを保証しなければいけない」として、事実上の海洋における対中包囲網の形成を示唆していた。その後の展開は、7月のASEAN地域フォーラム(ARF)における参加各国の中国非難の応酬、9月の尖閣諸島事案をめぐる日中問題など、中国は少なくともアジアの安全保障政策を推進する上での外交的支持の獲得に大いなる失敗を経験した。昨年の轍を踏まないためにも、また自らの主張を積極的に展開し支持を獲得するためにも、中国は今年のシャングリラ・ダイアローグに防衛外交の拠点を求めたと捉えるべきであろう。これに応えるように、IISSも通常は複数国がパネルを組むセッション構成を変更し、中国単独のセッションを設定した。これは米国が毎年単独のセッションを特別に持っていたことに対して、米中が議場で同格に「格上げ」されたことも意味している。
 ところがシャングリラ・ダイアローグに臨むタイミングは、中国にとって決して良好な状況ではなかった。5月末には南シナ海・ベトナム中部フーイエン省沖で、ベトナムの探査船が中国監視船に妨害され、調査用ケーブルを切断される事件が発生した。またフィリピンの実効支配する海域付近で、今年に入りたびたび中国探査船が「領海侵犯し、杭やブイを設置」(フィリピン外務省)したり、油田採掘施設を投入する動きをみせているという。同ダイアローグのセッションのなかで、ベトナム・フィリピン両国の国防大臣は公然とこうした動きを批判した。
 梁光烈国防部長は演説の中で、アジア太平洋の安全保障協力における4原則:①相互信頼と平等の原則に基づく、各国の核心的利益と主要関心の調和、②相互理解と信頼の原則に基づく、各国の戦略的意思の理解、③禍福を共有する原則に基づき、同盟を第三国を対象としない、④オープン、包括的、連帯と協調の原則に基づき、アジア太平洋諸国全ての貢献を歓迎する、ことを明示した。その上で「中国は南シナ海の安定の維持に力を入れている。中国は2002年にASEANと『南シナ海行動宣言』に調印し、領有権及び海洋権益についての問題は平和的な方法で解決することを明確にしている。また各国が国際法の原則に則り、南シナ海における航行と上空飛行の自由を尊重することを約束した。現在、南シナ海の情勢は全体的に安定しており、中国とASEANは『南シナ海行動宣言』の実施について積極的な対話と交渉を行っている」と言い放った。
 こうした発言内容に対しては、会場からも違和感が発せられた。実際に、質疑応答では参加各国から中国の行動に対する疑問とともに、対米関係のあり方など多くの質問が提示された。梁国防部長は、堂々とこれらの質問に答え、中国がこれまで重ねて来た地域・グローバル領域での安全保障協力の実績を述べた上で「中国は決して覇権を求めていない。軍の近代化は自制的、自己防衛的なもので合理的な範囲内だ」とその正統性を強調した。しかし、人民解放陸軍の重要軍区の司令員を歴任した栄誉ある軍人らしく、その口調は十分に威圧的だった。
 梁光烈国防部長は質疑応答を終えると、気分が高揚したのか笑顔で会場に向かって感謝を延べ、両手を上げて敬礼した。本人にとって数百人の海外の国防当局者や専門家の前で講演する稀な機会であり、決して慣れた場ではない緊張感からの解放があったのだろう。しかし、文民が多く海外経験に慣れ事実上の外交官としての役割も担ってきた各国の国防大臣と比べると、その振舞いは中央軍事委員会の上層部に立つ威厳と硬直さに満ちていた。
 中国政府にとって、今回の梁光烈国防部長のシャングリラ・ダイアローグがプラスに働くものなのかは微妙である。多くの参加者は、梁国防部長の「威圧的に協力を説く」(speaking cooperation through coercion) 様相の演説を通して「人民解放軍」という組織に更なる畏敬と畏怖を抱き、そして中国との安全保障協力の難しさを再認識したのではないだろうか。ともあれ、中国の国防当局のディープな文化に、我々も慣れていくしかないのだ。中国の国防部長がシャングリラ・ダイアローグに来年以降も出席し、アジア太平洋諸国とのオープンな対話を深めることが、中国の唱える「4原則」を実現する近道となるのではないか。



神保 謙  キヤノングローバル戦略研究所主任研究員