メディア掲載  エネルギー・環境  2026.09.03

ネパール洪水の教訓は温暖化対策ではなく警報システムの整備だ

Japan In-depth(2026年8月30日)に掲載

地球温暖化

8月26日、ネパールと中国・チベットの国境に近いヒマラヤ山岳地帯で、氷河と岩石の大崩落を起点とする大洪水が発生した。8月29日時点で、ネパールでは少なくとも675人、チベットでは7人が死亡し、両地域で行方不明者は3000人近くに達している。ダムマニアの筆者にとってショックだったのは、行方不明者には、水力発電事業の現場で働いていた933人も含まれていたことだ。ネパール電力公社によれば、稼働中9件、建設中5件の計14件の水力発電事業が被災した。痛ましい災害である。[1][2]

ところが日本経済新聞は8月28日、「ネパール洪水に温暖化の懸念」と題する社説を掲載した。本文では、氷河が崩落した理由は「よくわかっていない」と認めている。それにもかかわらず、世界平均気温が産業革命前より約1.5度高いことを持ち出し、温暖化を抑える緩和策の必要性へと話を進めた。だがもちろん、世界平均気温の数字を示しても、今回の氷河崩落の原因を説明したことにはならない。[3]

衛星画像などから分かってきた直接の発生機序はこうである。標高約5200メートル付近で氷河下端の大きな部分が崩れ、約1200メートル下の谷底へ落下した。氷と岩石の雪崩が土砂や水を巻き込み、巨大な洪水となって流れ下った。米地質調査所が当初地震と判定した揺れも、後に氷河・岩石崩落そのものが生んだ地震動だったと修正された。[4]

しかし、なぜ氷河が崩れたのかはまだ確定していない。直前に暖かい天候で積雪が急速に解けた可能性は指摘されているが、現地の気象観測データすら十分にそろっていない。工事など別の要因も今後検討されるという。

さて、大きな自然現象が起きただけでは、必ずしも大災害にはならないことを、米国の災害専門家、ロジャー・ピールキー・ジュニアが解説している。今回の災害が大規模になった理由の一つは、災害に曝露される人口が増え、また建設物が増えたことだ。被災地域では過去40年間に人口が約100万人増え、観光客も急増した。さらに、多数の水力発電所と建設現場が川沿いに集中していた。[5]

そして今回、決定的に不足していたのが、巨大洪水を検知し、直ちに下流へ伝え、避難につなげる警報と避難のシステムだった。ネパール水文気象局によると、洪水は中国国境から36キロ下流のベトラバティまで約40分で到達した。国境付近の水位センサーは10分間隔でデータを送り、午前8時40分までは正常だったが、8時50分のデータは届かなかった。ベトラバティのセンサーも9時20分までは作動したが、9時30分には途絶えた。橋に設置されていた観測機器は、橋ごと流された。残念なことに、必要な情報が、危険の迫る地点に伝達されることがなかった。[6]

単純に「警報システムが失敗した」と断定するにはこれからまだ技術的検証が必要である。それでも、住民や水力発電所の作業員を逃がす実効的な警報が間に合わなかったことは明らかだ。平時の10分間隔送信ではなく、水位が閾値を超えた瞬間に自動送信する仕組み、異なる高さに置く予備センサー、橋が流されても残る観測点、衛星による継続監視、自動サイレンや携帯電話への一斉通知、中国とのリアルタイムのデータ共有といったことが必要だった。数分前の警告でも、多くの命を救えた可能性がある。

ここにはさらに皮肉な話がある。米国は2025年1月まで、USAIDとNASAの共同事業「SERVIR-HKH」を通じて、ネパールを含むヒンドゥークシュ・ヒマラヤ地域の防災を支援していた。衛星観測と地理情報を使い、洪水予測と早期警報システムの整備に加え、氷河目録と危険な氷河湖の地図といった情報収集、さらにはネパール赤十字とのリスク情報伝達事業を進めていた。170を超す公開データも整備していた。[7]

ところがトランプ政権は2025年、USAID事業の83%を打ち切った。ネパールでも防災や災害対応を含む34事業が終了対象となり、このSERVIR-HKHの協力も資金の撤回・打ち切り・再編の影響を受けた。2015年のネパール地震でUSAIDの対応を指揮したジェレミー・コニンディクによれば、政府効率化省は事業文書を「climate」という語で検索し、上述の衛星監視・早期警報事業などを打ち切り対象として拾い上げたという。[5][8][9]

もちろん、この事業が続いていれば今回の災害を予知できた、とまでは言えない。しかし、事業の目的が洪水の予測、危険箇所の把握、警報と避難の改善だったことは間違いない。そうした実務をトランプ政権は一括して切ってしまっていたことは残念だった。

だが同時に、何でも「気候変動対策」と呼んで予算を集めてきた国際援助の側にも反省が要る。早期警報システムは、気候変動があろうがなかろうが必要なものである。現在の気候の下で繰り返し起きる洪水、土石流、氷河湖決壊などから人を守る防災事業である。最初からそう説明し、警報時間、避難率、死者数の減少といった具体的な効果で正当化していれば、事業中止の憂き目に遭わずに済んだのではないか。気候変動という、因果関係も不明な冠を付けることで、かえって本当に必要な事業を巻き添えにしてしまった

日本が協力できる余地は大きい。JICAはネパールで高精度の数値標高モデルとオルソ画像を整備し、洪水ハザードマップや早期警報への活用を支援してきた。ブータンでは氷河湖決壊洪水を含む予警報能力の向上にも協力した経験がある。こうした技術を、今回被災した急峻な国境河川に合わせて発展させればよい。[10][11]

日本が提案すべきなのは、危険な氷河・斜面・天然ダムの監視、壊れにくい多重センサー、衛星と地上観測の組み合わせ、国境を越えたデータ共有、水力発電所ごとの避難計画、住民へ数秒で届く警報網である。

温暖化が今回の崩落にどの程度寄与したかは、今後きちんと調べればよい。だが、その結論を何年待っても、目の前の対策の優先順位は変わらない。パリ協定を唱えても、次の洪水が谷を下る40分間に住民へ警報は届かない。ネパールの悲劇から学ぶべき教訓は「脱炭素を急げ」ではない。「警報システムを整備せよ」である


◆参考資料

[1]The Guardian, “Number of missing in Nepal and Tibet rises to nearly 3,000 as operations continue”, 2026年8月29日
[2]Roger Pielke Jr., “What Actually Caused the Nepal Disaster”, 2026年8月29日
[3]日本経済新聞「[社説]ネパール洪水に温暖化の懸念」2026年8月28日
[4]Reuters, “Glacier collapse may have triggered deadly Nepal flash flood, experts say”, 2026年8月26日
[5]Roger Pielke Jr., 前掲記事
[6]OnlineKhabar, “Rasuwa flood raises questions over Nepal’s early warning system”, 2026年8月28日
[7]ICIMOD, “SERVIR-HKH”
[8]ICIMOD, “2025 Reflections: walking with the mountains”, 2026年1月28日
[9]The Kathmandu Post, “In Nepal, US pulls the plug on aid projects worth Rs46.12 billion”, 2025年3月12日
[10]JICA「数値標高モデル及びオルソ画像整備計画 事業事前評価表」2020年
[11]JICA「氷河湖決壊洪水(GLOF)を含む洪水予警報能力向上プロジェクト」