コラム  外交・安全保障  2026.08.18

プーチン大統領の択捉訪問――変わらぬ領土政策、消えた対日配慮

ロシア 外交安全保障

ロシアのプーチン大統領が北方領土の択捉島を訪問した。ロシア首脳の北方領土訪問は過去にも行われているとはいえ、プーチン氏の訪問は初めてであり、日露関係に与えた衝撃は極めて大きい。プーチン大統領自身による北方領土訪問は、ロシアにとっても対日外交上の最も重いカードのひとつのはずだ。これまで一度も切らなかったそのカードを今回切ってきた背景には、何があるのだろうか。

2005年に始まった北方領土開発

日本では、2010年以降北方領土訪問を繰り返したメドベージェフ氏とは対照的に、プーチン大統領に対しては、長年「日本との領土問題解決に前向きだ」との「幻想」が存在してきた。そうした期待を背景に、経済協力を含む対露融和外交を通じて、二国間の領土交渉・平和条約交渉を前進させようと試みた時期もあった。だが今回、プーチン大統領への期待が「幻想」に過ぎなかったことが、これ以上ない形で明確に示された。

少なくとも2005年以降、プーチン大統領の北方領土に対する基本的なスタンスは一度も変わっていないと筆者は考えている。このことは大統領自身のこれまでの一連の発言はもとより、北方領土をロシアの領土として開発するというプーチン政権の一貫した政策にも示されてきた。以下では、とりわけ北方領土の開発政策に焦点を当てて、この点を詳しく見ていきたい。

北方領土開発の起点となったのは2005年5月。プーチン大統領は当時のフラトコフ首相に対し、クリル(北方領土と千島列島のロシア側の呼称)の社会経済状況を抜本的に改善するための包括的な提案を行うよう指示を出した。社会的に重要なプロジェクトを可能な限り短期間で実施し、地域の資源基盤に立脚した生産インフラを発展させるよう求めたものだが、その際見落としてならないのは、クリルの開発を「ロシアの外交的立場を強化するうえでの優先課題」として位置付けたことだ。その直前にはラブロフ外相も、クリルの開発が日本との平和条約交渉においてロシアの立場の強化につながるとの認識をプーチンに示していた。つまり、この開発政策が日本との領土交渉を念頭に置いたものであったことは明らかである。

これを受け、翌6月からはロシアの重要閣僚や政府高官らが次々と北方領土への訪問を開始する。大統領からの指示を実行するため、島の調査・視察が開始されたのである。大統領最側近の一人パトルシェフ連邦保安庁長官やイワノフ国防相、グレフ経済発展貿易相、トルトネフ天然資源相といった重要閣僚らが次々と訪問する「北方領土詣で」は、ソ連時代を含めて過去に例がなく、異例の動きであった。

これらの調査・視察を経て、2006年には北方領土開発に特別予算が計上され、2007年からは連邦予算を投入した大型開発計画「クリル発展計画2007-2015年」が始動、ロシア史上初の本格的な北方領土開発が動き出した。そしてこの「クリル発展計画2007-2015年」は、のちに「クリル発展計画2016-2025年」に引き継がれていく。

2005年ーー言説と政策の転換

なお、エリツィン時代にも「クリル発展計画1994-2005年」という開発計画は存在していた。だが、1990年代のロシアは経済的に困窮し、同計画も連邦政府からの資金投与が著しく滞るなか、実際に執行された金額は当初予算のわずか18%に過ぎず、計画は失敗に終わっている。

2000年に大統領に就任したプーチン氏は、同計画に若干の改定を加えつつも、当初は北方領土に対する本格的な開発は行ってこなかった。潮目が変わったのは、前述のとおり2005年のことだ。そして、プーチン大統領の北方領土をめぐる言説が大きく変わったのも、まさにこの時期と重なる。同年9月に「クリルはロシアの主権下にあり国際法で確定されている。これは第二次世界大戦の結果であり議論するつもりはない」との強硬なレトリックを初めて打ち出し、その後も同じ立場を繰り返すようになった。

実はプーチン氏は2000年代初頭には、日本との間で国境画定を含む平和条約締結を目指す姿勢を示し、平和条約締結後の歯舞群島と色丹島の引き渡しを明記した1956年の「日ソ共同宣言」についても、その履行はロシアの義務だとする立場を示していた。こうした発言は、その後、日本で「プーチン大統領は北方領土問題に前向きだ」との期待が長く残る一因となったと考えられる。しかし、プーチン氏が「日ソ共同宣言」履行の義務について最後に明確に述べたのは、2004年11月のことだ。

2004年から翌05年という時期は、プーチン大統領の対西側認識そのものが変化していった時期でもあった。2004年にはバルト三国がNATOに加盟し、2003年から05年までの間に、ウクライナなど旧ソ連圏で民主化と政権交代を求める「カラー革命」が相次いだ。プーチン大統領が、これらの動きの背後に米国をはじめとする西側諸国の影響があるとの認識を強めていったことは、後の同氏自身の発言から明らかになっている。こうした対西側不信の高まりは、2007年のミュンヘン安全保障会議での米国・NATOへの激しい批判へとつながっていく。

その同じ時期、対日関係でもプーチン氏は不信感を強めた可能性がある。2006年以降、プーチン大統領は、2000年代初頭に日本側から「日ソ共同宣言」を基礎とする交渉に戻るよう求められ、これに応じたにもかかわらず、後になって日本側は二島ではなく四島を求めるようになった、との趣旨の発言を繰り返している。プーチン氏にとっては、「日本側に歩み寄ったのにハシゴを外された」との主張の材料として、その後の対日姿勢を説明する際に繰り返し持ち出されることになった。

いずれにせよ、プーチン大統領の北方領土に対する言説が大きく変化した時期と、北方領土への本格開発に乗り出した時期は一致している。これを単なる偶然とみるのは難しい。

もちろん、北方領土の本格開発を進めたことを、領土返還の意思の有無と直接結び付けることはできない。しかし、領土問題に対する姿勢を硬化させたのと同時期に、プーチン氏自身が「外交的立場の強化」とクリル開発とを明示的に結びつけ、その本格化を指示した事実については、やはり軽視すべきではないだろう。現に当時のロシアの報道からは、政府閣僚らがプーチン大統領の北方領土開発の指示を、「実効支配強化」のための施策であり、日本に対する「明確なシグナル」として受け止めていたことがうかがえる

実際、プーチン氏主導の開発により、この20年間で北方領土の基幹産業である漁業・水産加工業は競争力を高め、交通・通信インフラの整備によって観光業も生まれた。島民の意識にも変化が生じるなど、ロシアへの社会的・経済的統合と実効支配は着実に進められてきた。

そして重要なのは、20年以上にわたり、プーチン政権が一貫して島々のロシアへの社会的・経済的統合を進めてきたことである。2010年代半ばには、クリミア併合に対する西側諸国からの経済制裁や世界的な原油価格の下落を受け、開発に十分な連邦予算を投入することが困難になったプーチン政権は、2017年8月にはTOR(先行的社会経済発展領域)と呼ばれる経済特区制度を北方領土に創設し、連邦予算に代わって民間からの投資による開発を進める政策を打ち出した。

なお、TORの設置が発表されたのは、当時の安倍政権が対露積極外交を進め、2016年のプーチン大統領との会談で、北方領土で日露が「共同経済活動」を行うことで合意したその翌年のことだ。約2週間後には、ウラジオストクでまさに「共同経済活動」について両首脳が協議を控えていたタイミングである。日本側が日本企業や日本人に対してロシアの法令の適用を避ける「特別な制度」を求めていた矢先のTOR設置は、北方領土開発はあくまでロシアの法の下で進めるというロシアの意思の表れと見るべきだろう。

また、TORが期待された成果を上げないなか、プーチン大統領は今度は2021年にミシュスチン首相にクリルの状況を現地で確認するよう直接指示。その報告を受ける形で、TORよりさらに大規模な経済特区制度「クリル経済特区」を北方領土を含むクリル諸島全域に創設することを発表した。

このほか、プーチン大統領の北方領土の開発への関心は、2016年に破綻寸前だった色丹島の一民間企業の救済措置に乗り出したり、2019年には別の一企業のプラント稼働式典にわざわざオンライン参加したことなどにも表れている。こうしてみれば、プーチン政権による北方領土のロシアへの社会的・経済的統合は、日露関係が今より良好だった時期を含め、一貫して進められてきたことが分かる。

消えた対日配慮

政府要人らによる「北方領土詣で」も、その後ほぼ途切れることなく毎年のように続けられた。2010年以降にメドベージェフ大統領(のちに首相)が行った国後・択捉両島への計4度の訪問も、クリル開発の進捗状況の視察という文脈の中で行われてきたものだ。そして、今回のプーチン大統領の択捉訪問には、下院選を控えた国内向けのアピールなどさまざまな狙いが指摘されているが、やはりクリル開発の進捗状況の視察が名目の一つとなっている。ロシア側の論理からすれば、今回の訪問は、2005年に始まった北方領土開発のひとつの到達点との位置付けになる。

プーチン大統領の北方領土政策は、20年以上にわたり一貫していたのである。したがって、今回の択捉島訪問を同政権の領土政策の転換と見るべきではないだろう。むしろ問うべきは、なぜ今回、プーチン氏自身が北方領土訪問という極めて重いカードを切ったのかである。そこには、日本との関係改善のために領土問題で自制して見せる必要性を、プーチン政権がもはや感じなくなった可能性がある。

2010年のメドベージェフ大統領の国後訪問は、米軍普天間基地の移設問題で日米間に軋みが生じ、尖閣沖の中国漁船衝突事件で日中関係が急激に悪化するなかで行われた。今回も、第二次トランプ政権下で日米関係にやや不安定要素が生じ、日中関係が極めて悪化するなかでの訪問という点で、構図は似ている。

ここから浮かび上がるのは、日本が米国や特に中国との関係に不安定な要素を抱え、ロシアとのさらなる関係悪化を避けようとする局面では、そうした日本側の事情が、むしろロシア側に日本に対してより強く出る余地があると判断させる可能性である。実際、高市政権は政府幹部の訪露や茂木外相とラブロフ外相との接触、学生交流の再開を通じ、ロシアとの関係再構築を模索していたとの指摘がある。

一方で、日本は2022年以降、本格的な対露経済制裁に参加している。ロシアが中国との関係を大幅に強化するなか、日本との関係をつなぎ止めるために領土問題で配慮する意味は、以前より薄れたとロシアが考えても不思議はない。しかもロシア側は、日本がエネルギーや経済面では今後もロシアとの関係維持を望んでいると見ているフシもある。実際、ロシアの日本専門家からは、現在のエネルギー供給をめぐる不確実性を背景に、日本政府がロシアとの接触ルートを模索しているとの指摘や、日本企業は自らに利益のある分野ではロシアとの協力を続けるとの見方が出されていた。

そうしたなか、プーチン政権はもはや日本との関係を維持するために、領土問題で配慮を見せる必要性さえ感じていないようだ。

日本が一方的に関係改善を模索すれば、ロシアに日本を「押せば譲る相手」、西側の「柔らかい脇腹」と見誤らせる危険がある。それでも日露が隣国である以上、いずれ両国の関係再構築を図る必要は出てくるだろう。だがその際には、こちらが関係改善に向けたシグナルを送れば、ロシア側もそれに配慮して行動を抑制するだろうとの幻想は捨て、2005年以来20年以上にわたって変わらなかったプーチン政権の領土政策と、今回の択捉訪問が示すこの現実をその出発点とすべきである。


 ※本稿における見解は筆者個人のものであり、所属機関の見解を示すものではない。