メディア掲載  国際交流  2026.07.07

先端技術発展と政治経済社会

電気新聞【グローバルアイ】(2026年6月30日)に掲載

科学技術・イノベーション

◆調和した政策案出が鍵 公共の変革と伴走して

現在、我々は地政学的に分断化されたグローバリゼーションの中で生きている。長年続いた米国主導の世界秩序が崩れ、万華鏡のように常時変化する国際環境の中で生きているのだ。同時にAIやロボットをはじめとする先端技術が急速に発展する中、各国は「生き残り」をかけて、独自のイノベーション政策を積極的に採ろうとしている。

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先月中旬、イノベーション活性化のための産業政策や規制政策に関し内外の友人達と議論する機会に恵まれた。討論の中である友人が「テクノ・ディターミニズム(技術決定論)」に基づき話を始めた。すなわち、技術進歩が政治経済社会を決定する主因であり、このため諸外国よりも優れた技術政策と企業戦略を考えるべきだと言うのだ。

その意見に対し筆者は、異なる視点から論じた。「君の主張は優れた技術政策さえ行えば国が発展するというハード・テクノ・ディターミニズムだ。ボクはソフト・テクノ・ディターミニズムを考えている」、と。ソフト・テクノ・ディターミニズムとは、技術の重要性を否定しないものの、各国の政治経済社会が技術を受け入れ、さらには発展させるという考えである。

そして筆者は歴史にさかのぼって日本が西洋技術を取り入れた事例を解説した。西洋技術が日本に到来した典型的事例は、戦国時代の鉄砲と機械式時計だ。鉄砲の種子島への伝来は天文12(1543)年。その8年後の天文20(1551)年、フランシスコ・ザビエルが戦国大名の大内義隆に機械式時計を献上した。鉄砲は優秀な職人達により、ただちに国産化された。その理由は戦国時代、織田信長をはじめ諸大名がこの武器を求めたからだ。他方、時計の国産化は実現しなかった。なぜなら時間の計測方法に違いがあったからだ。日本は日の出と日の入りを基準にし、昼夜の間を6等分する不定時法であった。他方、西洋は現在の日本も採用している方法、すなわち時間の長さが一定の定時法だった。こうして戦国時代の日本は、鉄砲を受け入れたが、機械式時計を受け入れる素地がなかった。

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しかし時が移り、天下泰平の江戸時代になると日本社会の様相は一変した。軍事技術である砲術が停滞する一方、優秀な職人達が不定時法の機械式時計(和時計)を開発した。それと同時に彼らは時計に使用される「ぜんまい」を利用して、当時のロボット―「からくり(機巧)人形」―を発展させたのだ。

幕末になるとさらなる新展開を迎える。砲術では高島秋帆が提案した西洋砲術が泰平の眠りを覚ます黒船来航によりようやく認められた。そして明治時代になって定時法の国産時計が誕生する。

かくして技術がたとえどんなに優れていても、どんなに優れた技術者や職人がいても、その時の政治経済社会がそれらを後押ししなければ技術発展は望めない。換言すれば技術政策に加えて、技術政策と伴走する形で、政治経済社会の変革を目指す公共政策も同時に案出する必要があるのだ。

そして今「新技術立国」を標榜する日本は、高齢化や産業復興を念頭に、制度や組織、さらには教育方法で調和の取れた公共・技術の両政策を案出する必要に迫られている。