メディア掲載 エネルギー・環境 2026.05.19
Japan In-depth(2026年5月13日)に掲載
【まとめ】
日本で魚があまり獲れなくなった、という話をよく聞く。
その理由として、気候変動だ、外国船のせいだ、といったことが言われる。だが、日本自身の乱獲、資源管理の甘さこそが原因である。
動画:杉山大志チャンネル(キヤノングローバル戦略研究所)
この点について、片野歩氏は、かねてより詳しく論じている。海外では科学的な管理によって資源を維持、回復している例がある一方で、日本では「魚がいなくなった」理由を自然環境や外国に求めがちで、肝心の乱獲の問題を直視していない、という指摘である。
そんなことを考えていた折、北海道で函館市北洋資料館を訪れる機会があった。
場所は五稜郭のすぐそばである。建物は新しいわけではない。だが展示はたいへん充実していて、見始めるとすぐに引き込まれた。函館という街が、かつて北洋漁業といかに深く結びついていたかが、写真、模型、漁具、缶詰、航路図などを通じて、生き生きと伝わってくる。
北洋漁業の規模は壮大だ。函館などを基地として、樺太方面、千島列島はもとより、オホーツク海、カムチャツカ、ベーリング海、アリューシャン列島にまで船を出した。対象となった魚種は、カニ、サケ・マス、ニシン、タラ、カレイ、後にはスケトウダラなどである。
昔はカニを獲り、船上や現地で加工し、缶詰にして輸出した。サケ・マスも同じく缶詰となり、貴重な外貨を稼いだ。
いまならば「なぜもっと漁業資源を管理して後世に残さなかったのか」と思ってしまう。だが、資料館の展示を見ていると、そう簡単に現在の物差しだけで判断できないことが分かる。
出漁前の漁師たちの写真があった。カフェか酒場のような場所で、にぎやかに飲み、笑い、騒いでいる。これから北の荒海へ何か月も向かうのである。厳しい仕事である一方で、大きな稼ぎをもたらす仕事でもあった。函館の街には、その船団を送り出す熱気があったことがしのばれる。
北洋漁業の歴史は、国境の歴史でもある。
1875年の樺太千島交換条約で、日本は千島列島を得るかわりに樺太全島をロシア領とした。1905年、日露戦争後のポーツマス条約では、日本は南樺太を得た。さらに1907年の日露漁業協約によって、日本人漁業者はロシア極東沿岸で操業する制度的な足場を得た。
こうして日本の漁業は、カムチャツカ、樺太、千島、オホーツク海方面へ広がっていった。サケ・マス、ニシン、カニなどを追って、漁場は北へ北へと伸びていく。だが、その海は安定した「自分たちの海」ではなかった。条約によって開かれ、戦争によって閉ざされ、また交渉によって条件が変わる海だった。
太平洋戦争が激しくなると、北洋漁業は中断される。敗戦後、日本は南樺太と千島を領海ともども失い、加えて「マッカーサー・ライン」とよばれる遠洋漁業の制限を課された。北洋漁業が本格的に再開されるのは、1952年にマッカーサー・ラインが撤廃されてからである。
戦後の再開後、北洋漁業は再び大きく発展した。母船式サケ・マス漁業では、巨大な母船を中心に多数の独航船が従い、300隻以上もの大船団を組んで北の海へ出た。母船式カニ漁業も、オホーツク海やベーリング海方面へ向かった。やがてスケトウダラも重要な魚種となり、すり身原料として大量に漁獲された。
函館からそうした船団が出ていく様子を想像すると、いまの港の風景とはまるで違う。現在の函館には大型の観光客船も入る。だが、かつてそこにあったのは、観光ではなく、北の海へ向かう漁業艦隊の威容だった。街の経済も、人々の暮らしも、その船団とともにあった。
しかし、その繁栄も永遠ではなかった。
1950年代以降、日米加、日ソの漁業交渉によって、サケ・マスやカニには漁獲量や操業海域の制限がかかるようになった。そして決定的だったのが、1977年ごろから本格化する二百海里時代である。米国やソ連が沿岸から二百海里の漁業水域を設定し、日本の遠洋漁業、北洋漁業は大きく締め出されていった。
現代的な感覚では、乱獲はいけないことで、資源は守らなければならない、と言うのが普通である。それはもちろん一面の真理なのだが、しかし、北洋漁業の歴史を見ると、当時の漁業者にとっては「獲れる時に獲る」という行動には、それなりの合理性があった。
なにしろ、海をめぐる条件が目まぐるしく変わるのである。国境が変わる。条約が変わる。戦争で操業できなくなる。敗戦で漁場を失う。再開したと思えば、今度は漁業交渉や二百海里規制でまた海が狭くなる。
十年、二十年先にも同じ漁場で操業できる保証など、もとより無かった。ならば、その魚を残しておいたとして、将来その利益を自分たちが受け取れるとは限らない。そういう状況であれば、いま獲れる魚を、いま獲る、という判断には、それなりの経済合理性があった。
これは資源経済学の教科書には必ず書いてあることだけれども、乱獲というものが、所有権などの制度の不安定さと結びつくことが、改めて腑に落ちた。
函館市北洋資料館を出ると、五稜郭近くの街は桜が満開だった。観光客がそぞろ歩き、港には大型のフェリーが着岸している。
その向こうに見えた幻は、北洋へ向かう大船団の雄姿である。国際関係に翻弄されながら、北の海へ向かい続け、外貨を稼ぎつづけた函館の街。カニを追う船。サケ・マスを積む母船。カムチャツカの缶詰工場。出漁前に飲み騒ぐ漁師たち。