2月28日の米国・イスラエルのイラン攻撃に端を発したホルムズ海峡危機によって、日本のエネルギー外交に、明確な変化が起きている。
従前の日本政府の国際エネルギー協力と言えば、「脱炭素」「トランジション(移行)」「水素」「アンモニア」「再生可能エネルギー」といった言葉が前面に出ていた。もちろん、これらは政策文書から消えたわけではない。だが最近相次いで発表された国際合意や共同声明を見ると、重心は明らかに移っている。
新しい主役はエネルギーの安定供給である。しかもそれは、抽象的な言葉に留まらない。LNG、石炭、液体燃料、原油、石油製品、備蓄、製油所、重要鉱物、政府系金融機関による融資・保険といった、極めて具体的な項目が並んでいる。
象徴的なのは、5月の日豪合意である。外務省によれば、日豪首脳会談では「経済安全保障協力に関する日豪共同宣言」と、その下での重要鉱物およびエネルギー安全保障に関する二つの共同声明が歓迎された。両首脳は、重要鉱物のサプライチェーン強靱化と、双方向の安定的なエネルギー供給の確保を、「パワー・アジア」の枠組みも含めて連携していくことを確認した。(外務省)
とりわけ注目すべきは、「エネルギー安全保障協力に関する日豪共同声明」である。同声明は、日豪両国がエネルギー資源に係る貿易とサプライチェーンの強靱化に取り組むと明記している。そのうえで、LNG、石炭および液体燃料を含む「必要不可欠なエネルギー物資」の両国間における流通を支援するとしている。
これは、かなり踏み込んだ表現である。これまでの脱炭素中心の外交文書では、石炭は削減対象として扱われることが多かった。液体燃料も、将来的に減らすべきものとして語られがちであった。ところが今回の日豪共同声明では、LNG、石炭、液体燃料が、安定供給を支える「必要不可欠なエネルギー物資」として明記された。これは単なる言葉遣いの変化ではない。化石燃料を「悪」として排除するのではなく、国家と産業を支える安全保障物資として扱うという、その位置づけの根本的な転換である。
この変化は日豪関係だけにとどまらない。4月には、高市早苗首相が「アジア・エネルギー・資源供給力強靱化パートナーシップ」、通称「パワー・アジア」を発表した。外務省の説明によれば、これは原油・石油製品などの調達やサプライチェーン維持のための緊急対応、さらにアジア域内の原油備蓄日数の拡大、備蓄・放出制度の構築、備蓄タンクの建設・利用、重要鉱物の確保、バイオ燃料、省エネなどを含む構造的対応に取り組む枠組みである。総額約100億ドルの金融協力を行い、原油・石油製品に換算すれば最大約12億バレル、ASEANの約1年分の原油輸入にも相当するという。(外務省)
経済産業省も同じ趣旨をさらに実務的に説明している。パワー・アジアでは、アジアにおける原油・石油製品などの調達やサプライチェーン維持のため、JBIC(国際協力銀行)やNEXI(日本貿易保険)による金融面での協力を行う。経産省は、この枠組みを活用し、日本による重要物資の安定調達に向けて、アジアのサプライチェーン強靱化に努めるとしている。(経済産業省)
これは従前から続けられてきた「途上国支援」政策とは性格を異にする。もちろん、アジア諸国のエネルギー供給を支える意味はある。だが同時に、日本にとっても極めて実利的な政策である。アジア各国の製造業が燃料不足で停止すれば、日本向けの部品、医薬品、工業製品の供給も途絶える。つまり、アジアのエネルギー供給を支えることは、日本自身の経済安全保障を守ることなのである。
実際のところ、日越首脳会談では、パワー・アジアの初の案件として、ベトナムのニソン製油所の原油調達について、NEXIを通じて支援する方向で一致した。さらに、ベトナムのレアアースを含む重要鉱物サプライチェーンの強靱化でも連携することが確認された。(外務省)
製油所の原油調達を支援すること。これは、従来のきれいごとばかりのエネルギー外交とはまったく違う。製油所を動かし、原油を確保し、石油製品を供給し、サプライチェーンを維持する。これが危機時に必要な現実の政策である。
重要鉱物でも同じ構図が見える。日豪の経済安全保障共同宣言は、レアアースを含む重要鉱物が先端技術や産業投入財に不可欠であるとし、オーストラリアの重要鉱物戦略備蓄制度を、サプライチェーン多角化のための重要な取り組みと位置付けた。また、レアアース、ガリウムなどを含む豪州の重要鉱物プロジェクトへの日本企業の参画には戦略的価値があるとし、JOGMEC(エネルギー・金属鉱物資源機構)、JBIC、豪州輸出金融公社など政府系機関の役割も明記している。
日加関係でも同じ流れがある。3月の日加首脳会談では、日カナダ関係を「包括的戦略的パートナーシップ」に格上げすることで一致した。経済面では、LNGカナダのアジア向け生産開始や、オンタリオ州でのSMR(小型モジュール炉)の建設開始が歓迎された。さらに、重要鉱物などの輸出規制への懸念が高まる中で、重要鉱物を含むサプライチェーン強靱化の連携強化でも一致した。(外務省)
多国間の枠組みもこのような二国間関係と同じ方向性を打ち出している。3月のホルムズ海峡に関する多国間共同声明は、イランによる商業船舶や石油・ガス施設を含む民間インフラへの攻撃、そしてホルムズ海峡の事実上の閉鎖を非難した。また、世界のエネルギー供給網の混乱が国際的な平和と安全への脅威であるとし、IEA(国際エネルギー機関)による戦略石油備蓄の協調放出を歓迎し、産油国と協力した生産増加を含む市場安定化策にも言及している。(外務省)
以上の動きは、緊急的な対応に基づくボトムアップ的なものであり、トップダウンの方針転換ではない。だがそこから立ち現れる全体像はいまや明らかである。日本は、エネルギー外交の軸足を「脱炭素」から「安定供給」へ移している。
もちろん、政府文書から脱炭素という言葉が完全に消えたわけではない。日豪共同声明にもエネルギー移行やエネルギー効率化は残っている。パワー・アジアにもバイオ燃料、省エネ、次世代エネルギーの要素は含まれている。だが、それらはもはや脇役になっている。原油、石油製品、LNG、石炭、備蓄、製油所、重要鉱物、金融支援など、あらゆるエネルギー安定供給の推進(“all of the above”)における一要素に格下げされたのである。
エネルギー政策は現実的なもの(“realistic energy policy”)になった。
エネルギー政策の本来の目的は、国民生活と産業活動を支えることである。電気が不足し、燃料が届かず、工場が止まり、物流が滞れば、脱炭素どころではない。供給安全保障を犠牲にしてまで追求すれば、それは国民を貧しくし、国家を脆弱にする。
近年の日本では、化石燃料を持つこと、使うこと、投資すること自体が悪であるかのような議論が横行してきた。その結果、LNG長期契約、石炭火力、石油備蓄、製油所、原子力、重要鉱物の確保といった、国家の生存に関わる論点が、しばしば脱炭素の下位に置かれてきた。
だが、国際情勢はそれを許さなくなった。中東危機、海上交通路の脅威、重要鉱物の輸出規制、アジアの燃料不足、サプライチェーンの寸断リスクなど、これらは全て日本にとって、抽象論ではなく、目の前の危機である。
一連の国際合意は、日本政府がようやくこの現実を正面から認めるようになったことを示している。化石燃料を忌避するのではなく、必要なものは確保する。資源国とは長期的関係を強める。アジアの燃料供給を金融で支える。重要鉱物は同志国と組んで備蓄し、加工し、投資する。これは本来あるべきエネルギー外交である。
今後問われるのは、国内政策との整合性である。国内政策も、国際情勢の変化を踏まえて変わらねばならない。
国際的にはLNG、石炭、液体燃料、原油備蓄、重要鉱物を安全保障物資として扱いながら、国内ではなお脱炭素の名の下に火力発電や化石燃料インフラへの投資を抑制するなら、政策は矛盾する。日本国内でも、石炭火力の維持拡大、原子力再稼働、石油調達の強化・多様化、石油備蓄の強化、製油所機能の維持、重要鉱物備蓄の拡充等を、エネルギー政策、ひいては国家安全保障政策として、正面から位置付けるべきである。
エネルギーはきれいごとでは動かない。外交文書の文言は急速に現実に近づいている。喫緊の課題は、国内のエネルギー政策も現実的なものにすることだ。