2月28日、米国とイスラエルはイランに対する軍事攻撃を開始した。当初は短期決戦で終わるとの予測もあったが、3月7日にはトランプ米大統領が将来的な米軍地上部隊の派遣の可能性に言及するなど、出口戦略も示されないまま収束の見通しは立っていない。
こうした状況のなかで、ウクライナへの侵略を続けるロシアへの影響もまた、今後の国際秩序を考えるうえで重要な要素となっている。ロシアは長年イランとの関係を重視し、特に近年その関係を強化させてきた。ウクライナ戦争の初期段階においては、イラン製のドローン「シャヘド」がロシア軍の攻撃能力を支えてきたとされるほか、両国とも欧米諸国からの厳しい制裁下にあることで、互いに協力関係を深化させてきた。昨年1月には、両国は防衛や経済など多分野にわたる「包括的戦略パートナーシップ条約」を締結している。
そのため、西側諸国の報道では、今回のイラン危機はロシアにとって大きな打撃になるとの見方が主流であり、それは一面では間違いなさそうだ。しかし実際の状況は極めて多層的である。むしろ短期的には、ロシアにとって利益となる要素も少なくない。
ロシアによるウクライナ全面侵攻が5年目に入ったいま、米・イスラエル両軍によるイラン攻撃がロシアとウクライナ戦争に何をもたらすのか――その影響について考察する。
今回のイラン危機がロシアにもたらすプラスの影響として、第一義的にはエネルギー価格の上昇がある。米軍やイスラエル軍と交戦を続けるイランは、エネルギー輸送の要衝であるホルムズ海峡を事実上封鎖し、湾岸諸国の石油・天然ガス関連の施設を標的にした無人機攻撃を繰り返しており、今月2日にはサウジアラビアやカタールなどで関連施設の操業停止が相次いだ。
こうした情勢を受け、原油価格は8日には1バレルあたり一時110ドルを突破した。ロシアのメディアは、今後120ドル~150ドルにまで高騰する可能性があると伝えている。
ロシアの財政は石油・天然ガス輸出への依存度が高く、エネルギー価格の上昇はロシアの国家財政を直接押し上げる効果がある。ウクライナ戦争の長期化で莫大な軍事支出を抱えるロシアにとり、原油価格の上昇は継戦能力を支える極めて重要なファクターなのである。
そのロシアの国家財政は、実は今回のイラン危機の直前まで、エネルギー収入の急減と財政赤字の拡大という困難に直面していた。これは、2024年以降原油の国際価格自体が全体的に下落傾向にあったことに加え、米欧による最近の対露制裁強化の影響で、ロシア産ウラル原油は国際指標のブレント原油に対し、1バレル当たり25~30ドルものディスカウントを余儀なくされていたためだ。ロシアの報道によると、今年1月時点でのロシアの石油・天然ガス関連の税収は、昨年同月比の実に半分近くにまで落ち込み、ロシア国内ではウクライナでの継戦能力への影響を懸念する声も上がっていた。
だが、急騰する原油価格はロシアの国家財政を下支えし、巨額の軍事支出を賄うのに十分な役割を果たす可能性が出てきた。さらに、ここにきてロシアへの制裁そのものに対する潮目も変わりつつある。トランプ政権は5日、インドによるロシア産原油の購入継続を30日間認めると表明した。これまでトランプ大統領はインドに対し、ロシア産原油の輸入停止を要請して圧力を強めてきたが、米国内のガソリン価格や物価高騰への懸念が強まったことを受け、ロシアへの制裁緩和に大きく舵を切った格好だ。米政府内では、現在ロシア産原油に対する全面的な制裁解除も検討されていると伝えられる。
ロシアのメディア報道や専門家の分析は、原油高というロシアが受ける恩恵に注目する一方で、中国が被る打撃を指摘する声も多い。モスクワ国立大学アジア・アフリカ諸国研究所所長のアレクセイ・マスロフは、ラジオ「スプートニク」のなかで、中国はベネズエラとイランに原油の一部供給を依存してきたと指摘、ベネズエラに次ぐ中東での危機は中国のエネルギー戦略に直結する問題だと指摘した。
中国研究者ミハイル・コロスチコフもまた、米シンクタンク「カーネギー国際平和財団」ロシア・ユーラシア・センターへの寄稿で、今回のイラン攻撃における一番の敗者は中国だと指摘している。そのうえで、ロシアは中国向け原油輸出を拡大する用意があり、トランプ大統領がベネズエラやイランといった中国への資源供給国に対する介入を繰り返すたびに、中国に対するロシアの立場が強まっていくと指摘した。
実際に、今後中国側でベネズエラやイランに代わる原油供給先としてロシアへの依存が深まれば、中露関係のパワーバランスに微妙な変化が及ぶ可能性がある。ロシアは特に2022年のウクライナへの全面侵攻以降、欧米による対露制裁で輸入が途絶えた民生品から軍民両用品に至るまで、中国からの輸入にその大部分を依存してきた。今回のイラン危機を奇貨として、調整の難航する「シベリアの力2」ガスパイプライン敷設の議論を含め、ロシアが自国に有利な形で中露の経済協力を推し進めようとする動きが強まる可能性がある。
イラン攻撃はウクライナ戦争の行方にも影を落とし始めている。ロシアが注視するのは、米国主導の和平協議の停滞、それから米欧の外交・軍事資源の分散の可能性である。
ウクライナ戦争をめぐっては、今年に入りトランプ大統領が主導する形で米国・ウクライナ・ロシアの三者協議が進められてきた。しかし、3月5日-6日にアブダビで予定されていた第4回協議は延期され、9日現在でも代替日程は発表されていない。トランプ大統領やこれまで和平交渉に直接携わってきたウィトコフ特使等が中東問題への対応に追われるなか、ロシアのプーチン政権が戦場での占領地拡大に専念する姿勢をより強めていくことは間違いない。
さらに、中東で大規模な軍事作戦が続けば、米国の軍事資源も必然的にそちらへ向かう。ウクライナのゼレンスキー大統領は、この数日間で中東地域で使われたパトリオットミサイルが800発以上に上ると指摘した。英BBCによると、これはウクライナが戦争期間全体で受け取った量を上回る。
加えて、イラン攻撃に端を発するエネルギー価格の急騰は、欧州でも物価を押し上げ、各国でウクライナ支援をめぐる世論の分断を深める結果につながりかねない。そうなれば、欧州のウクライナへの軍事支援や外交努力が後退していく可能性もあり、ウクライナで懸念が広がるところとなっている。
モスクワはこれまでのところ、米国とイスラエルの攻撃を強く非難はしているが、軍事的に介入する兆しはない。カーネギー・ロシア・ユーラシア・センターのアレクサンドル・バウノフ上席研究員は、昨年6月の米・イスラエルによるイラン空爆の際、自身の論考のなかで、ロシアにはイランを軍事的に救う能力はなく、中東で米国と直接衝突する意思もない点を指摘している。
そもそもロシアが見積もるイランの直接的な価値とはどれほどなのだろうか。確かにウクライナ戦争初期には、イラン製ドローンがロシア軍にとって重要な役割を果たしていた。しかし現在ではロシア国内での生産が進み、イランへの依存はほぼ解消されていると見られる。また、イランは欧米からの制裁をすり抜けるノウハウについてロシアに提供してきたとされるが、ロシア自身既に独自の制裁回避ネットワークを構築済みだ。なお、エネルギー市場では、イランはロシアにとって協力相手であると同時に競争相手でもある。
こうした点を踏まえれば、仮にイランで体制崩壊や大きな混乱が起きたとしても、少なくとも短期的には、ロシアにとって直接的な痛みを与えるわけではない。プーチン政権にはむしろ、自国の短期的な利益を高めるために、対中関係やウクライナ戦争で、今回のイラン危機を最大限活用しようとの計算が働いているように見える。
欧州に対して揺さぶりをかけているのもその一環だ。プーチン大統領は4日、欧州市場への天然ガス供給を即時停止し、他の市場に振り向ける可能性を検討するよう政府に指示した。従来天然ガス輸入の40%以上をロシアに依存してきた欧州は、2027年末までにガスの「脱ロシア化」を図る方針を示している。だが、今回のイラン攻撃により、原油同様、欧州の天然ガス価格も高騰しており、各国は対応に追われている。ロシアの国営テレビは5日、今回のプーチン大統領の発言を受けての欧州の混乱ぶりを報道し、「世界市場は誰が優位に立つのかを示した」と伝えた。
イラン攻撃は、世界に向けたプロパガンダにも活用し得る。プーチン政権は今回の米軍とイスラエル軍による攻撃を「国際法違反」と訴え非難するが、ロシアのウクライナ侵攻を批判してきた欧米のダブルスタンダードを浮き彫りにする狙いがうかがえる。従来から欧米諸国に不信を抱いてきたグローバル・サウス諸国の取り込みに活用したいとの思惑もありそうだ。
他方で、イラン危機は、長期的にはロシアの外交戦略にとってのダメージにもなり得る。第一には、既に欧米メディア等で指摘されているように、中東におけるロシアのプレゼンスの一定程度の低下は避けられそうもない。ロシアはすでにシリアで長年支援してきたアサド政権を失っており、仮にイランで親米政権が樹立されるようなことになれば、中東においての主要な足場を二つとも損なうことになる。さらに、イランの体制変換は、欧米の制裁回避のためロシアが近年重視してきたロシア―イラン―インドを結ぶ南北物流ルート(いわゆる「南北回廊」)の停滞につながる可能性をも孕む。
第二に、より構造的な問題として、プーチン政権がこれまで外交政策の主軸として掲げてきた「多極秩序」という理念そのものにほころびが生じる可能性も指摘しておきたい。2000年に発足したプーチン政権は、1990年代後半に当時外相であったプリマコフが提唱した「多極世界の形成」という概念を独自の解釈を加えながら発展させ、米国中心の国際秩序に対抗する理念として、多極的な国際秩序の構築を国際社会に訴えてきた。ロシアの論理では、ウクライナ戦争も、ある意味ではその理念の表れの一つと位置付けられてきた。
そのロシアの多極世界構想において、イランは重要かつ象徴的な支柱の一つである。そのためロシアは2023年にイランを上海協力機構に加盟させ、2024年にはBRICS拡大枠(BRICSプラス)にも迎え入れた。さらにロシアは、イランへの武器供与を継続し、ブシェール原子力発電所建設という高リスクの事業にも関与してきた。そのうえで、プーチン政権はウクライナ和平交渉においても、トランプ大統領との「ディール」を模索するなかで、あたかもイランの核問題がロシアの管理下にある「手札」であるかのように示すことで、米国から譲歩を引き出しそう試みてきた。
もしイランの体制崩壊が起これば、この多極世界という理念そのものが幻想に終わる可能性を否定できない。それは、ウクライナ戦争を正当化してきたロシアの対外ナラティブの説得力を棄損し、プーチン政権が掲げてきた国際秩序構想そのものに疑問を投げかけることにもつながる。
以上、見てきたように、イラン危機がロシアにもたらす影響は一様ではない。短期的には、原油価格の上昇や米国の関心の分散など、ロシアにとって利益となる要素も少なくない。特に現在進行中のウクライナ侵略との関係でも、情勢次第ではロシア有利に働く可能性がある。
しかし長期的には、イラン危機は、中東におけるロシアのプレゼンスの低下や「多極秩序」という理念のほころびなど、プーチン政権の外交戦略の根幹に関わる問題を提起している。エネルギー市場、欧米の戦略的関心、中東での地政学的基盤、さらにウクライナ戦争や中露関係、ロシアの外交戦略など、幾重もの層で異なる影響が交錯する点に、今回の危機の構造的な複雑さがあると言えそうだ。