本論文では、1930年代後半~1940年代前半に日本で作成・実施された生産力拡充計画について、計画の意味と結果について検討した。生産力拡充計画は、陸軍が求めた軍備拡充の基礎構築のほかに、大蔵省等の経済官庁にとって日本経済のマクロ的な供給能力を拡張する意味があり、多額の軍事費支出の長期的継続が避けられない中で、大蔵省等が日本経済の供給力を拡大するための経済政策として生産力拡充計画を受け入れ、推進したたことを指摘した。結果については、生産計画の達成度が低かった一方、設備能力に関しては当初の「四カ年計画」の目標が高い比率で達成されたこと、物資動員計画との整合性については生産計画・資材配当計画ともに1941年度まで高い整合性を維持した一方、1942年度には特に資材配当計画に関して整合性が大きく低下したことを示した。また長期的な結果として、生産力拡充四カ年計画の対象産業の労働者数で測った成長率が1937年以降、重化学工業を含むその他産業より高くなり、1940年代初めまでに生じたその他産業との規模格差が1950年代前半まで持続したことを計量分析によって示した。こうした生産力拡充計画の生産への長期的インパクトは設備能力の拡充が1941年度までに当初計画の目標をほぼ達成という結果と整合的であり、生産力拡充計画によって拡大した設備が、戦後復興期まで対象産業の生産を支えた可能性を唆している。
Key words: 戦時経済、生産力拡充計画、物資動員計画、軍事費、設備投資、日本
JEL classification numbers: H11, H56, L52, L78, M45, O21