ベネズエラの首都が米軍によって攻撃され、ニコラス・マドゥロ大統領が米国政府によって拉致された。
米国政府はこれを国内法の適用に基づく犯罪者の逮捕であると説明しているが、その説明に賛同して米国の主張を受け入れる国々はほとんど見られない。
この拉致事件は非自衛的な武力行使であり、国連憲章や国際法に反しているとの見方が支配的である。
それほど問題視されているにもかかわらず、米国が世界最強の国家であるため、力による報復を恐れて、米国に対して厳しい制裁措置を求める意見は出てこない。
国際法や国連憲章に反していると批判的な見解を発表するのがせいぜいである。
これは現在のグローバル社会において法の支配が崩壊していることを示している。
法の支配がなければ法治による秩序形成も実現しない。これは法治に基づく世界秩序形成の根幹が危機に直面していることにほかならない。
日本の江戸時代には儒学者(陽明学)の中江藤樹が法治について以下のように分かりやすく説明していた。
「徳治は先ず我が心を正しくして、人の心を正しくするものなり。(中略)法治は我が心は正しからずして、人の心を正しくせんとするものなり」(中江藤樹(1608~1648年)「翁問答」)
この説明から明らかなように、法治はそれだけで秩序を形成できるものではない。
為政者、権力者も法に従うことを求める法の支配は秩序形成の最低限の条件であるが、それだけで秩序が保たれる保証はない。安定的な秩序形成には為政者、権力者、組織のリーダーの心が正しいことが必要である。
心が正しいとは利他、至誠、知行合一などの概念によって代表される良心である。
社会や組織が法に従っていても、法を運用する側の権力者が正しい心を持っていなければ、法は私利私欲を追求するための道具となり、人々が安心する秩序形成にはつながらない。
その典型例が今回のマドゥロ大統領拉致事件である。
正しい心を持つというのはどういうことだろうか。
第1に、利他。つまり、周りの人たちを幸せにするために努力を惜しまないこと。言い換えれば、他者のために自己の最善を尽くしきることである。
第2に、至誠。利他を実践する時に誠心誠意、真心から皆のことを思い、態度で示すことである。
第3に、知行合一。頭で考えるだけではなく、利他の想いを実践行動で示し、その結果に対する内省とさらなる実践を繰り返すことである。
そうすることによって周りの人たちが喜ぶと自分も嬉しくなる。
皆の幸せが自分の幸せと感じることに理屈はない。自分にそう思う自然な心が備わっているだけである。
その心(良知)が自分に備わっていることに気づくことは致良知と表現されている。
致良知に至れば、自分の心がいつも幸せを感じられるようにすることが大切であると考えるようになる。
いつもその幸せを感じられるようにするためには、周りの人と喜びを分かち合えるよう皆のために行動するようになる。その結果、いつも幸せを感じられるようになる。
以上のことを理屈で考えれば簡単である。しかし、それを頭で考えているだけでは身につかない。
実際に日常生活の職場や家庭において、何度も繰り返し他者のために自己の最善を尽くしきる経験を重ねることが重要である。
その積み重ねの中で、どのような状況においても、無意識のうちに他者のために自己の最善を尽くす姿勢が備わってくる。こうして正しい心を持てるようになる。
自分一人で喜ぶより、周りの皆とともに喜びを分かち合う方が喜びが大きいと感じる経験は誰もが人生の中で実体験している。
それを常に実践できる力が自分に備わっていることに気づくには、繰り返し実践するしかない。
それに気づくと、例えばスポーツ選手であればチームプレーに徹するようになる。優れたスポーツ選手は自分自身の個人成績の向上よりチームの勝利の方を喜ぶ。
野球でホームランを打っても、サッカーでゴールを決めても自分のチームが負けてしまえば、心から喜ぶことができない。
団体競技ではない水泳や陸上でも、優れたスポーツ選手はみなコーチ、両親や自分を支えてくれた周囲の人々に対する感謝の気持ちが強い。
良い記録を出して喜ぶときは皆に喜んでもらえるので、一人で喜ぶときより大きな喜びを感じることができる。個人競技でも皆で分かち合う喜びは自分一人の喜びよりはるかに大きい。
企業における製品開発や様々な業務、大学等における研究活動についても同じである。
研究も仕事も一人だけでは大きな成果は成し遂げられない。優れた指導者から学び、関係者から助けられ、共通の課題解決に向けてチームとともに協力して目標達成を目指す。
その過程で、周囲の人々のために努力を重ね、周囲の人も自分を応援してくれるという信頼関係が続くと、チーム全体の一体感が強まる。
そこから新たな仕事の成果、新製品、新技術が生まれれば、チーム全体で喜びを分かち合える。その喜びはやはり自分一人の努力による喜びよりはるかに大きい。
それが仕事や研究活動への取り組み意欲を長期的に後押しする。だからこそ優れた業績や研究成果はそうしたチームの中で互いに他者のために自己の最善を尽くしきることの継続から生まれる。
この力は政治経済社会文化あらゆる分野で発揮される。
米国でトランプ大統領が登場した背景にもこうした問題が関係している。
トランプ大統領が憲法違反を犯し、移民排除や政府機関閉鎖において非人道的な政策を実施し、大学の研究予算と人員を大幅に削減し、メディア報道を弾圧しても全米選挙民の4割前後を占める岩盤支持層による強固な支持は揺らいでいない。
それが米国社会の分断をもたらしている。
その背景には1980年代以来エスタブリッシュメント(エリート層)が米国の中間層や低所得層の生活苦を知りながら、それを改善するために必要な政策を実施せず、エリート層だけが豊かになり、貧富の格差が拡大したことへの庶民の怒りがある。
それを助長した一つの要因は株主第一主義であると指摘されている。
企業の利益は株主と経営上層部に厚く配分され、従業員の給与は低く、サプライヤーは買いたたかれ、顧客は高い値段で買わされ、地域社会は外部不経済を押し付けられる。
その問題が米国社会の分断を引き起こしていることに気づいた経営者たちは2019年に、企業経営理念の重点を株主第一主義からステークホールダー重視に転換した。
ステークホールダーとは、従業員、サプライヤー、顧客、地域社会、株主のすべてを含む。
しかし、それから6年以上が経過したにもかかわらず、依然として米国企業においてそれを実践している企業はほとんどないと評価されている。
こうした自社収益最優先の企業経営の基本姿勢や貧富の格差の拡大は中国においても広く見られている。
一方、多くの日本企業の経営においては、「三方よし」という理念が重視されている。「売り手よし、買い手よし、世間よし」という近江商人の伝統精神である。
米国では、企業の経営状態が悪化すると不採算部門を切り捨てるために従業員をレイオフするケースが多い。
日本では従業員を解雇する前に社長以下役員の給与を減らし、様々なコスト削減努力を実行し、それでも経営が改善しない場合には、最後の手段として雇用を削減する。
その場合には経営者自身が身を引く形で責任を取ることが多い。
こうした経営者の姿勢に「三方よし」の精神、言い換えれば、ステークホールダー重視の姿勢が示されている。これが正しい心を持つリーダーの実践例である。
日本企業のこうした経営理念の実践の積み重ねの結果、日本では米国や中国に見られるような貧富の格差の拡大が生じていないため、一般庶民のエリート層に対する強い不満の蓄積、それが引き起こす社会の不安定化といった社会現象が見られていない。
このため、日本は社会が安定し、米国、欧州等に比べて政治も比較的安定している。
しかし、日本でも問題はある。
学校経営の実態を見れば、不登校の児童が増え、学級崩壊も深刻化している。小中学校合計での不登校の児童数は2014年の12.3万人から2024年の35.4万人に急増している。
その主な原因の一つはいじめにあると言われている。
学級崩壊件数については全国ベースの統計が存在しないが、公立小中学校では正常な授業ができない学級が増加しているため、私立小中学校を選ぶ子供の割合が長期的に増え続けている。
こうした問題に詳しい専門家によれば、不登校や学級崩壊を食い止める根本的な対策は学校教育においてモラル教育を重視し、子供たちの人格形成に力を入れることである。
人格形成教育によって子供たちの心が安定すれば、学級も落ち着き、子供同士の関係も融和し、教育環境が改善する。
そのためには、人格形成を促すモラル教育を指導できる教師の人材確保が必要である。
モラル教育のためには偉人伝を読むという方法がある。例えば、日本と世界の様々な偉人伝や内村鑑三の「代表的日本人」、西郷隆盛の「西郷南洲遺訓」などは好適書であろう。
また、江戸時代に子供たちの人格形成教育の土台となっていた「小学」、「大学」、「中庸」、「論語」といった、代表的中国古典の活用も有効である。
人格形成を促す教師の人材確保のために必要な施策は、大学の教職課程の習得必要科目の中でモラル教育を重視することである。それには大学においてモラル教育を教える指導者の育成も必要になる。
このように日本のモラル教育改善のためには、教育指導者の育成システムを根本的に見直していく必要がある。
こうした努力を通じて子供たちの人格が向上すれば、10~20年後には社会の第一線の研究開発、新製品開発、各種業務運営など多岐にわたる分野において大きな成果が生まれることが期待される。
グローバル社会のガバナンスの土台である法の支配は西洋近代思想に基づいている。
いま世界の法の支配が崩壊しつつある。その主因は為政者、権力者の心が正しく保たれていないことによるものである。
これを立て直すには、将来の国家リーダーが正しい心を持つようになることが必要である。それには徳治を重んじる東洋思想に基づく人格形成教育が有効である。
実際にどのようにモラル教育を社会全体に浸透させるかというのは世界の共通課題である。
その道筋を示すのが日本の使命である。今もなお「三方よし」を実践する企業が多いことに突破口を開くカギがある。
モラル教育を尊重するのは日本人だけではない。日本人でも人格形成ができていない事例は多い。特に最近の闇バイト、無差別殺人、幼児虐待などを見ると日本のモラルの低下に不安が募る。
ただ、平均的に見れば、日本社会には比較的高いモラルが依然として根付いている。これは江戸時代に道徳教育を国民全体に徹底した成果である。
モラル教育がこれほど長期的に国民全体を対象に実行されたのは日本だけである。
だからこそ、法の支配が崩れつつある今、日本が世界のために貢献すべきである。
大谷翔平、松下幸之助、豊田佐吉、渋沢栄一、西郷隆盛、坂本龍馬など、すべて他者のために自己の最善を尽くしきる生き方の典型例である。
江戸時代以降、日本社会に根付いた高いモラルを復活させるために最も重要なカギとなるのが小中学校におけるモラル教育である。その指導者の育成を含め、日本のモラル教育の土台の立て直しが急務である。