メディア掲載  国際交流  2025.12.19

イノベーションを生み出すために必要な教育を考える

人格形成教育がイノベーションを支える

JBpress(2025年12月18日)に掲載

科学技術・イノベーション

イノベーションを生み出すために必要な能力

イノベーションの範囲は広い。

一般的には企業の製品開発やそれにつながる科学技術分野での技術革新がイメージされる。しかし、イノベーションはそれだけではない。

企業経営のマネジメント、音楽や絵画、スポーツ、料理、ファッションなど様々な分野でイノベーションは生み出されている。

大谷翔平選手の二刀流、日本の懐石料理の手法を取り入れてコース料理として多種多様な少量の料理をおまかせで提供するフランス料理、若者たちが夢中になっているゲームやSNSのコンテンツなどもイノベーションに含めることができると思う。

つまり、企業業績を改善させる製品開発やそのための科学技術だけがイノベーションの領域ではない。

そうした様々なイノベーションを生み出すために必要なのは何か。

ほかの人たちが思いつかないことを構想する斬新な発想、やりたいと思ってもどうしたらできるのか分からなかったことを実現する革新的技術開発を追い求める探求心、それらを実現に結びつける並々ならぬ努力の積み重ねがイノベーションを生み出す。

人はそれぞれ自分自身の個性に応じて得意分野が異なるが、何か自分の得意な分野を持っている。

自分には得意なことがないと感じている人がいるとすれば、それはまだ自分の能力に気が付いていないだけである。

自分に得意なものを見つけることが家庭および学校を中心とする教育の最も重要な目的の一つである。

学校を卒業して社会人になってから自分の得意分野に気づくこともよくある。その場合でも学生時代に身に着けた能力が土台になっているケースが多い。

自分の得意分野に気づいた後、それをどこまで伸ばすことができるかが重要である。

多くの場合、得意分野は複数存在する。

大谷翔平選手の場合は、得意分野がピッチャーとバッターの両方であり、それらを同時に前人未踏の世界最高レベルにまで引き上げた。

そこまで卓越したレベルではなくても、経営者でありながら絵画やピアノが得意、俳優でありながら料理が得意、デジタル分野の専門家でありながら釣りの名人といった多才な人々は枚挙にいとまがない。

自分の得意分野の能力に気づいた後にそれを伸ばす方法は、分野が違っていても共通点がある。このため、上記のように複数の得意分野を持つ人が少なくない。

そうした自分の得意分野の能力を磨くうちに、斬新な発想や技術革新に気づくことがイノベーションの種になる。

イノベーションへの道のりを支える人格形成教育

大谷翔平選手のレベルにまで達しなくても、イノベーションと言えることを実現するにはたゆまぬ探求心に支えられた努力を長期にわたって継続することが必要である。

単純に一つのことがどうしようもなく面白く感じて、長期にわたって人一倍の努力を継続できる人もいる。

しかし、多くの場合、そうした並々ならぬ努力を長期的に継続するインセンティブになるのは、周りの人の役に立つ、周りの人から応援される、あるいは周りの人に喜んでもらえるといった周囲との関わり合いが重要な要素となる。

野球やサッカーの場合でも、一流選手のコメントを聞くと、自分がいい結果を出すことを最優先目標としている選手はほとんどいない。

誰もが共に戦うチームの仲間のため、熱心に応援してくれるファンのために頑張ることが一番大切だとコメントする。

つまり、自分のためでなく、周囲の人たちのために努力をする人が立派な選手になる。

これはノーベル賞を受賞した科学者、立派な業績を実現した経営者、多くの人を魅了する料理人やアーティストなどにも共通している特徴である。

それは必然的結果である。

いつも周りの人たちのために役に立ちたい、周りの人たちを幸せにしてあげたいと願っている人はみんなから感謝され、その人が何かをやろうとすれば応援してもらえる。周囲の人たちの応援は人一倍の努力の重要な支えとなる。

どんな得意分野でイノベーションに向かって努力をしていても、長期的な努力の過程で必ず挫折を味わう。

その時に挫折を乗り越えて努力を継続できるかどうかが、最終的に優れた結果を達成するために非常に重要なポイントである。

挫折を乗り越えるために必要なことは何か?それは周囲の人々の応援である。

マラソン選手が35キロを過ぎて一番苦しい最後の数キロで、沿道の人たちの応援のおかげで最後の力を振り絞って頑張ることができたという声はすべてのマラソン大会に共通しているコメントである。

イノベーションに向かう人生においても同じだ。

イノベーションとして認められるまでの間に非常に苦しい挫折を何度も経験することが多い。それを繰り返し克服できる人たちがイノベーションを実現する。

そのように考えれば、イノベーションを実現するうえで重要な要素が明らかに見えてくる。

第1に、自分の得意分野をみつける教育機会を得ること。

第2に、得意分野の能力を伸ばし続けるためには、自分の私利私欲のためではなく、みんなのためになることを目指すことが大切であることを認識すること。

第3に、みんなのためにたゆまぬ努力を継続する人間力を身に着けること。すなわち人格形成である。

したがって、イノベーションを促進する教育は高校、大学からでは遅すぎる。自分の得意分野の能力に気づかせ、人格形成を促進するには、幼稚園、小中学校の時代の教育こそが重要である。

自分のための目先の利益ばかり追求するのではなく、みんなのためになることを優先する心を育むことが重要である。

イノベーション促進のために目指すべきはモラル教育を通じた人格形成である。

人格形成教育が生み出す波及効果

イノベーションを高めるための人格形成教育を日本のすべての学校において徹底すれば、多くの子供たちが自分の得意分野の能力に気づき、その能力をみんなのために生かそうとするようになる。

さらに、その実践経験から周りの人のために努力することの大切さを学び、人格が磨かれる。

高校、大学における高等教育のレベルではリベラルアーツが小中学校までのモラル教育の役割を引き継ぐことになる。

そこから生まれてくる成果はイノベーションにとどまらない。子供たちの平均的な人格形成が改善される。

それは日本企業の業績向上や日本経済の活性化をもたらすのみならず、日本社会全体のモラル向上と安定につながる。

優れた人格を身に着けた人が海外へ行けば、世界中で活躍し、グローバルガバナンスの安定に貢献することになる。

最近の小中学校で深刻な問題となっている不登校の問題の本質も人格形成教育の欠如にあるため、そこが改善されれば不登校も改善するだろう。

また、最近のニュースで報じられている無差別殺人、虐待、仕事上の悩みからくるうつ病等の精神疾患など、様々な治安問題、社会問題等に対しても改善効果を持つはずだ。

モラル教育促進のために必要な人材育成

江戸期の子供たちはこうしたモラル教育を家庭や学校で熱心に学んでいた。科学技術や数学を学ぶ機会は現在ほど多くなかったが、人格形成教育には力点が置かれていた。

その時に代表的な教科書の一つとして使われていたのは「大学」である。

江戸期の多くの子供たちはこの「大学」を暗記しており、何か困ったことに直面すれば、その教えに立ち戻って自分の考えを整理し、対応する能力を身に着けていた。

その冒頭に示されている教育の目的は「明徳を明らかにする」ことである。明徳とは立派なモラル、人格であり、それを明らかにするということは誰の目にも明らかなようにしっかりと身に着けるということである。

つまり勉強の目的は立派な人格を備えた人間になることであるということを最優先で学ぶのが江戸期の子供たちの勉強の出発点だった。

少しだけ「大学」の冒頭部分に続く中身を紹介しよう。

常に徳(信頼される人格)を備えた立派な人物になる努力を怠らないようにすれば、志が定まる。そうなれば、心から雑念が消えて心が静まる。心が静まれば、心にゆとりができる。心にゆとりができれば、正しい判断を下すことができるようになり、その結果として、自分の目指す目標を達成できるようになる、と説かれている。

すべての出発点は、常にみんなのためになることを心がける人格を身に着けることにあり、そこから始めれば自然に大きな成果が得られることになるということである。

自分の名誉、報酬のために研究してもいい結果は得られない。

みんなのためになることを常に考え、みんなの応援に感謝しながら、私利私欲を超越して無心で研究することがイノベーションを生み出すような立派な人間になるための大切な条件であると教えている。

これは大谷翔平選手の野球に対する姿勢、ノーベル賞を受賞する研究者が科学研究に取り組む姿勢、渋沢栄一、豊田佐吉、松下幸之助といった名経営者の経営姿勢にも共通する点である。

以上から明らかなように、イノベーションを促進する教育を実現するには幼稚園、小中学校から大学、企業に至るまで、各自の得意分野の能力を見つけ、それをみんなのために活用し、それを長期的に支える人格形成教育が不可欠である。

そのためには人格形成教育の普及に必要な教師の人材を充実させることが必要である。

今の幼稚園、小中高校、大学にはそれが欠如している。イノベーション促進のためには至急人格形成教育を指導できる人材を確保することが重要である。

人格形成教育は、頭の中だけで理解しても修得したことにはならない。

家庭や学校で修得したことを実生活の中で実践し、その実践を通じて自分自身の内面の動きを反省することが重要である。このような実践と内省を長期に継続して少しずつ人格が形成されていく。

そのためには、学校教育の中でモラル教育を充実させ、実践行動を通じた人格形成のカリキュラムを組み入れることが必要である。

学校内の様々な出来事や学外での社会奉仕活動等を通じて、子供たちが本来実践すべきだったことができていないことに関する内省を作文に書かせる、あるいはクラスの中で発表させる。

以上のような教育の改善を通じて人格形成教育を充実させ、イノベーションの増大、社会の安定を促すことを政府が早急に実施することを期待したい。