メディア掲載  エネルギー・環境  2025.12.16

原子力をめぐる建設的な議論を阻む3つの「マインドセット」

月刊エネルギーレビュー(2025年12月号 )に掲載

産業政策 エネルギー政策

政府が発表する政策文書や、関係者同士の飲みの席など、様々な場面で原子力政策は語られる。そうした議論に触れると、いくつかの固定観念が、建設的で開かれた思考のプロセスを阻んでいると感じる。

一つは、「賛成派」と「反対派」に関するマインドセット。

少しでも主張のある人にこのようなレッテルを貼り、「賛成派は原子力のことなら何でも賛成する」「反対派には何を言っても無駄」と決めつけるような議論を頻繁に耳にする。しかし、現実は単純な図式に収まらないし、単純化は対立を煽るだけだ。

何より、原子力利用をめぐる問題が、全く単純ではない。原子力発電利用の程度に関わらず、難題は山積している。「安全」をどう定義し、どう社会で「合意」するか。廃棄物をどうするのか。恩恵を受けるコミュニティと、リスクを負うコミュニティの乖離。福島第一原子力発電所の事故をどう捉え、どう向き合うのか。

「やめる」「使う」という結論は、こうした問題に対する答えにならない。利用に否定的な立場から言えば、「簡単にやめられない技術に、もう手を付けてしまった」とも言える。この現実を受け止め、発電所稼働の是非だけでなく、前述のような課題についても、多様な意見をもとに調査や検討を行い、最善の選択肢を議論するべきだろう。

日本にはまた、「当事者性」に関して固まったマインドセットがあると感じる。

「事故の被害者がいるのにまだ原子力を推進するのか」「被害者が良いと言っているのに、なぜ反対するのか」「当事者ではないし、考えても仕方がない」――2011年以降、事故をめぐる議論のみならず、今後の原子力利用のあり方についても、このように「当事者」を引き合いに出す議論が度々聞かれた。

しかし「被害者」「加害者」と一口に言っても、様々な立場の人がいる。「被害者」や「立地地域」だからといって、将来の原子力利用のあり方に求めるものが同じとは限らない。そして、(事故の被害をつぶさに、継続的に認知し、誠実に対応できる体制が整うことを大前提として)将来に向けた話し合いのプロセスを開こうとするとき、特定の事故の当事者かどうかに関わらず、発言する権利や責任は認められるはずである。

最後に、「消費者と供給側をめぐるマインドセット」について。

電力の需給調整を目的とした「デマンドレスポンス」「プロシューマー」「ワット・ビット連携」等が話題になることの増えた今も、「エネルギー(電力)問題は政府や発電事業者だけの問題である」という固定観念は変わっていない。原子力に関していえば、消費者が「受容」するのではなく、主体的な消費者に原子力が「選ばれる」という、一つの理想的な社会実装のあり方が、最初から想定されていないようだ。

政府や発電事業者だけが、電力システムやエネルギーミックスに主体性をもって働きかけるための見識や能力を持ち、その社会的責任を負っている、という感覚は、誰よりも当人たちの自負として根付いていると思う。「需要は動かさない」「安定供給は絶対の使命」というシステムのあり方が直ちに間違いだとは言えないし、日本の高度成長や現在の生活様式を可能にしてきた実績もある。

しかし、新しい発想のソリューションを取り入れようとするのであれば、ステークホルダーの関わり方も変わるはずだ。そのためには、「無責任な消費者」に関する固定観念も解いていく必要がある。

どのマインドセットも、変えることは非常に難しい。だが、日本社会が直面する問題はもっと手強い。人の属性や立場に囚われず、幅広く寄せられた議論の中身を吟味して、進む方向を考えていきたい。