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座談会:「破局」と向き合い,「安全」を語る 安全を再定義し,原子力が社会を先導する
寿楽 浩太, 佐治 悦郎, 澤田 哲生, 佐田 務, 渡辺 凜 日本原子力学会誌ATOMOΣ, 2025, 67 巻, 3号, p. 152-162 2025年3月10日 公開
Online ISSN: 2433-7285
Print ISSN: 1882-2606
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日本原子力学会の学会誌アトモスでは、2025年3月に原子力事故のリスクの「破局性」をめぐる座談会を行った。
ここでいう破局性とは、大まかにいえば、社会に多大な悪影響を及ぼすポテンシャルのことである。そのような性質を内在させる技術システムについて、「どのような破局性があり、それを社会として許容し利用するのか」を意識的に議論し、意思決定をしていく必要がある、という問題提起から、この座談会は始まった。
原子力リスクが主題だが、ここで論じられている問題は、原子力以外の技術を考える上でも参考になるはずだ。
たとえば、脱炭素技術として注目されているCCS(二酸化炭素回収・貯留)にも、大きな社会的意義と同時に、影響の範囲の広さや未知性、不可逆性がある。多くのジオエンジニアリング技術にも同様の性質が認められるだろう。
あるいは、プラスチック類や、PFAS(有機フッ素化合物)等の合成化学物質の利用も、それを前提とした生活や経済インフラを一つのシステムと見れば、ある種の破局的ポテンシャルを有する技術システムといえる。
いわゆるテクノロジーやマテリアルのみならず、SNSなどのデジタル技術や、土地利用や防災対策としての治水・土地改良などの土木や農業技術も、現代社会を支えながら、ときに人命や財産、そして社会基盤そのものを損なう可能性をもっている。
課題先進国と言われる日本の、課題先進分野である原子力において、科学技術が高度に発達し、多大な有用性と、その裏返しとして多大な有害性も備えるようになった現代だからこそ生じる問題と、どう向き合うのか。この問題にどれだけ正面から取り組めるかが、今後の日本・世界の方向性の一つを示唆していると言っても、過言ではないのではないか。
<本稿で取り上げた考え方> ※2025年9月より一般公開
- 原子力発電を含む一部の巨大複雑システムは、多重性や冗長性を備え、高度に連携しているというシステムの特性上、長期的にみれば不可避的に事故が生じる(→1984年に社会学者ペローが提唱した「定常事故―Normal Accidents」)
- 安全対策によってリスクを下げられるとしても、すべての安全対策が機能しないようなWorst Case Scenarioにおいて何が起こり得るかを考えておくことは、工学的に有用であり、かつ、利用をめぐる社会的意思決定のために必要である
- 技術によって、リスクがもたらす社会的影響の広さに違いがある。たとえば、一度にどれだけの人が巻き込まれるか、特定の人や財産だけでなくコミュニティや社会機能にまで影響を及ぼすか、技術を「やめる」と決めればいつでもやめられるか、といった点で、交通事故と、飛行機の墜落事故と、原子力発電所から放射性物質が放出される事故とでは、大きな違いがある(→リスクの「破局性―Catastrophic potential」)
- 「破局的リスク」のある技術であっても、代替手段の有無や、どれだけ悪影響の発生確率を下げられるか、そして「ミスや故障の発生確率を減らす」だけではない多面的かつ柔軟な安全対策を行えるかどうか、といった条件によって、その技術を使うという選択はありうる
- 原子力安全に関して社会とコミュニケーションをとる際に、どれだけ危険の発生確率を下げているか、だけではなく、最悪の場合に生じうる帰結の大きさについても伝えなければ、専門家として真摯な態度とは言えない
- 「安全」とはどのような状態か、何を守るべきか、という根本的な問いについて、透明性や公正性をもって、社会に開かれた議論を行うことが求められている(専門家や規制機関が一方的に基準を定めるべきではない)
- 原子力事故の「破局性」や「最悪の事態の想定」を社会に広く共有し、議論することの難しさ
- 学会などのアカデミアの役割:原子力業界が高度化された既存のシステムに安住することのないよう、「まだ分かっていないこと」を意識させ、原子力システムに内在する破局的ポテンシャルに対する想像力を刺激すること