タンチョウの生息域がある北海道の釧路湿原の周辺で、大規模な事業用太陽光発電所(メガソーラー)の開発が進められている。ブルドーザーによって湿原が失われてゆく光景が報じられ、アルピニストの野口健さんが環境破壊だと声を上げるなど話題になっている。地元でも反対運動が起きており、すでに釧路市はノーモア・メガソーラー宣言を発表している。
洋上風力発電の計画は撤回が相次いでいる。三菱商事は8月27日、秋田(能代市・三種町・男鹿市沖、由利本荘市沖)と千葉(銚子市沖)の計3海域での開発取りやめを発表した。資材価格の高騰や金利の上昇で建設費が入札時の倍以上に膨らみ、採算のめどが立たなくなったとしている。政府は入札をやり直すのであろうが、価格の高騰は避けられない。そのツケは国民に回ってくる。
太陽光発電と風力発電を切り札として推進してきた日本の脱炭素政策に、いま疑問が投げかけられている。ここ数年、再エネを柱とする脱炭素政策は、その是非が検証されることもなく、国会はほぼオール与党体制で推進してきた。疑義を呈してきたのは、新興の参政党と日本保守党だけだった。
再エネの経済負担は大きい。これまでも年間2.7兆円に上る再エネ賦課金などの形で光熱費を高騰させてきた。ちぐはぐなことにその一方で政府は光熱費への補助金を続けてきた。電気・ガス代とガソリン代の補助は累計で13兆円超に達し、まだ継続している。
物価対策としては、消費税減税や給付金なども選挙のたびに争点になっている。だがいずれも、政府が誰からお金を集め誰に配るか、という分配の話であった。脱炭素政策に伴う巨額の費用は等閑視されてきた。
政府は「2050年CO2排出ゼロ」を達成するためとして、今後10年間で官民合わせて150兆円もの脱炭素投資を実現するとしている。投資というと聞こえは良いが、原資を負担するのは国民であり、対象は洋上風力など元来、採算の合わない事業ばかりである。ますます光熱費が高騰し、家計が圧迫され、産業は競争力を失い、経済が停滞するのは必定だ。
米国ではバイデン政権時代に成立したインフレ抑制法に基づく再エネなどへの政府補助に大鉈が振るわれた。削減額は向こう10年で累積86兆円と推計されている。また米エネルギー省気候作業部会が報告を発表し、気候危機説には科学的根拠がなく、バイデン政権が目指してきた極端な脱炭素政策は有害無益とした。これに基づきCO2に関する危険性認定と、電気自動車の導入義務の撤廃が提案された。今後もあらゆるCO2規制を撤廃する史上最大の規制緩和を実施するとし、経済効果は累積1兆ドルに上ると発表されている。
ペンシルベニア州ではエネルギー・イノベーション・サミットが開催され、トランプ政権の主要閣僚と企業トップが一堂に会し、天然ガス資源の開発とデータセンターの建設を同時に進める14兆円の投資計画が打ち出された。豊富な天然ガスを活用し電力多消費であるAI産業を支える国家戦略だ。
英国・ドイツ・フランスなど欧州諸国でも再エネなどによる光熱費高騰に対し、有力な政党が公然と批判をするようになっており、不法移民問題に次いで国政選挙の重要争点になっている。もはや脱炭素は世界の潮流などではない。
日本も脱炭素の是非を国会で議論すべき時である。まずは科学的知見の再検証である。拙著『データが語る気候変動問題のホントとウソ(電気書院)』の内容は、実は米国の気候作業部会の報告とかなり重複する。いずれも過去数十年にわたり弾圧されてきた科学的な気候危機説批判の蓄積をまとめたものだからだ。
台風や大雨などの頻発化・激甚化は、統計を検分すれば否定される。国連IPCCは、過去100年にわたる累積2兆トンのCO2排出による気温上昇は1度とまとめている。この比例関係で計算すれば日本の年間排出量である10億トンを2050年までにゼロにしても、気温は0.006度しか下がらない。これが理論値通りの降水量減少をもたらすとしても1000ミリの大雨が0.4ミリ減るだけだ。費用対効果の観点から、極端な脱炭素は全く正当化できない。
日本が誇る優れた火力発電技術やハイブリッド自動車といった、経済的に見ても合理的な技術の普及は結構なことである。しかし政府は本来は採算の合わない再エネを規制で、あるいは莫大な補助金を与え、強引に導入している。排出量取引制度や化石燃料賦課金制度など、新たな制度も追加され、後戻りができなくなってゆく。
公益財団法人地球環境産業技術研究機構の試算では、脱炭素による国民所得の損失は2030年時点で年間30兆円を超える。これは日本の消費税総額21兆円を凌駕する。電気代が高ければAI産業は立地せず製造業も衰退する。再エネ推進は破滅的な国家戦略である。