中国経済は2023年初に新型コロナのパンデミックが沈静化した後、実質GDP(国内総生産)成長率は2023年5.4%、24年5.0%、本年前半も5.3%と5%台で安定的に推移している。
ただし、その中身を見ると、表面上の数字ほど安定しているわけではない。
昨年半ば以降は不動産市場の停滞を背景とする地方財政の財政収入不足が深刻化していることから、中央政府が国債を発行して財源を確保し、補助金によって地方政府の財源を補填することを通じて、何とか5%台を保持しているのが実情である。
本年前半の成長率に対する寄与度の半分以上を占めている消費は、中央政府主導の買い換え奨励による消費促進策によって支えられて5%前後の伸び率を保っているが、自発的な消費意欲が高まっているようには見えない。
奨励策の補助対象となっている製品が多く含まれる商品販売額の本年1~7月累計前年比は+4.9%であるのに対して、補助対象ではない飲食の販売額は同+3.8%と低い伸びにとどまっている。
1980年代から約40年間続いた高度成長時代が2022年頃に終わり、企業収益、個人所得の将来見通しが大幅に下方修正を余儀なくされた。
これにより経済の先行きに対する自信が持てなくなり、企業の投資姿勢、消費者の消費姿勢ともに慎重化している。
今年より来年の方が企業業績、給与収入等が良くなると信じていた時代が40年以上も続いたため、現在現役で働いている中国国民は誰も本格的な不況を経験したことがない。
新型コロナウイルス感染症が蔓延していた期間中も中国だけは厳格な隔離政策が成功していたため、2021年までは概ね自信を保っていた。
将来の経済に対する自信が崩れたのは陽性患者の隔離を徹底するゼロコロナ政策が効かなくなった2022年以降である。
コロナ感染が沈静化した2023年初以降すでに2年半以上が経過したが、経済の先行きに対する企業経営者、消費者の自信回復にはまだ時間がかかる見通しである。
中国経済全体としては高い成長力が弱まったのは明らかである。
しかし、中国国内に足を運べば、今後の経済を支える新たな活力を感じさせる産業分野も少なくないことに気づかされる。
中国国内で開発された生成AIの「ディープシーク(DeepSeek)」の大規模言語モデルが2024年末に発表され、米国のOpenAIが開発した最先端の「ChatGPT」に匹敵するほどの水準に達していることが世界の注目を集めた。
また、中国国内の自動車市場で急速に市場シェアを拡大している新エネルギー車(電気自動車=EV、プラグインハイブリッド車=PHV等)は移動手段としての自動車のコンセプトを根本的に転換させ、自動車を生活空間として位置づけることを前提とした新たなニーズを生み出している。
このため、自分で車を運転する負担を軽減するための自動運転技術の開発は、新たなコンセプトによって生み出される自動車には不可欠の技術革新となる。
昨年11月に中国短期滞在のビザ取得に関する規制が緩和されたことから、日本企業のビジネス関係者の中国出張が急速に増加している。
そうした出張者の中にも中国現地で自動運転の車に乗車する体験をした人が増えている。
筆者も7月に武漢で初めて公道を走る無人タクシーに乗って、自動運転を体験した。
まだ実験段階であるため、無人運転のタクシーを利用できる範囲が限られているほか、安全重視であるため、走行速度も法定速度を遵守し、一般のタクシーや乗用車に比べてゆっくり走る。
それでも、多くの乗用車やトラックが普通に走行する公道において、誰もいない運転席のハンドルや方向指示器が自動的に動いて信号で停止し、交差点を曲がり、車線変更もする無人運転を実際に体験したことは深く印象に残った。
eコマースに関しても中国市場の発展は日本のかなり先を行っている。
スーパーでの買い物や飲食の宅配は30分から1時間程度で自宅に配送されるのが都市部の標準になっている。
その決済はすべてスマホ一つで済むほか、レストランでの外食、飛行機から地下鉄までのあらゆる交通手段、個人間の資金決済もすべてスマホ経由であるため、日常生活で現金を目にすることがない。
ただし、外国からの出張者は中国国内の銀行口座をもっていないため、それとの連携が必要なスマホ決済の範囲が限られる。
そのため、レストランの代金を仕方なく現金で支払うと、中国現地在住の日本人から、現金を見たのは前回筆者に会った時以来だと言われることがしばしばである。
中国国民や現地在住の外国人にとっては便利でも、出張で中国を訪問する外国人にとってはクレジットカードでの支払いができなくて困ることが多い。
また、自動運転の無人タクシーも地域の事情をよく理解した人と一緒でないと利用が難しいなど、技術的な改善の余地があることはしばしば感じる。
しかし、日本国内ではそうした急速に進化する技術を体験することさえないことと比べると、中国現地において技術革新のスピードの速さを肌で感じることが多い。
以上のように、政府の政策による下支えがなければ一定の成長率を確保できない状況が存在する一方、自発的な技術革新の活力があふれる産業分野も存在するなど、中国経済はまだら模様である。
地域構造を見ても、北京、上海等沿海部主要都市では不動産価格の下落が資産価値を押し下げ、それが購買意欲の低下をもたらしている。
産業基盤の弱い3級、4級の地方都市も、不動産市場の停滞を背景とする深刻な財政難から産業基盤となるインフラ建設を拡充する余裕がなくなり、地域経済は衰退を余儀なくされている。
一方、内陸部の武漢、成都、合肥等では優良大学を中心にハイテク産業の産業集積が拡大し、優良企業の生産・開発拠点の進出や沿海部からの人材流入が加わり、地域経済が活性化している。
(詳細については、7月掲載の「中国経済5.2%成長の実態と、優秀な人材が沿海部を離れる背景」を参照)
その結果、沿海部主要都市や産業基盤の弱い3級、4級都市の消費が伸び悩む一方、内陸部主要都市では消費も比較的高い伸びを維持しているなど、地域的な発展もまだら模様である。
どの地域で何を見るかによって経済状況の見え方が大きく異なるのが今の中国経済の特徴である。
そうした状況下、中国政府は5%成長の目標を掲げ、その実現のために消費促進策等によって景気下支えに注力している。
今のところ、資産バブルのような副作用は生じていないように見える。しかし、もし5%成長目標をずっと維持しようとすれば、先行きはリスクも懸念される。
2011年までの胡錦涛政権時代は常に高い成長目標を掲げて景気刺激策を実施したため、インフレや不動産価格の上昇を招いた。
2012年以降、習近平政権の下では、成長率目標を実力に合わせて徐々に引き下げてきたため、インフレや激しい資産バブル形成を招くことなく、比較的安定した経済運営を実現した。
2010年までの30年間の実質GDPの平均成長率は10%だったが、2019年には6%台にまで成長率目標を低下させた。それからすでに5年半以上が経過しているが、成長率目標は依然5%を維持している。
その高めの目標設定の背景は、2020年秋に示された第14次5か年計画の遠景として2035年の国民所得を2020年対比倍増させる目標が示されたことがあると指摘されている。
この目標を達成するには平均4.7%成長を15年間持続しなければならない。
中国経済の先行きを展望すれば、少子高齢化の加速、大型インフラ建設投資の減少、都市化の減速といった構造要因によって成長率の低下を余儀なくされることが予測されている。
その先行きの減速を考慮して、2025年までは5%成長を保持しておきたいと考えているのではないかとみられている。
2035年までの長期目標を設定した2020年時点では、2022年頃に高度成長期が終焉を迎えることが想定されていなかった。そのため、長期目標の達成は現在ほど難しいと考えられていなかったはずである。
しかし、その後、中国経済を取り巻く情勢は大きく変化した。
不動産市場の停滞深刻化、地方財政難、高度成長時代の終焉、先行きの経済に対する自信喪失、トランプ・ショックなど、経済の下押し要因が目白押しだ。
習近平政権が発足した2012年以降の10年間に中国経済が安定を保持できた基本的な要因は身の丈に合わせた成長率目標を設定してきたことにある。
今後も経済の長期的安定を重視するのであれば、その基本方針を継続することが望ましい。
発展途上国においては国家の経済発展レベルが経済社会インフラの充足に直結するため、先進国並みの所得水準に達するまで経済成長を重視することは国民の幸福度向上にも資すると考えられる。
しかし、国民の所得水準が先進国レベルに到達し、国民全体が一定の文化的生活水準を享受できる段階に達すれば、そこから先は、国民の幸福度と名目所得水準は必ずしも比例しなくなっていく。
平均所得水準が高まっても、国民の間で所得格差が拡大すれば、中間層以下の国民の不満は増大する。米国と英国がその典型だ。
所得格差の拡大を認識していたにもかかわらず、問題改善のための的確な政策を実施しなかった政治、経済、学界等のエリート層に対して、両国の中間層は強い不満を抱いている。
それがトランプ政権の誕生と英国のEU離脱を生み出した。
中間層以下の人々がエスタブリッシュメントと呼ばれるエリート層に対して強い不信感を抱き、エリート層が嫌がることを選択した結果であると受け止められている。
このような社会の分断が深刻化している国の国民が幸福であるとは思えない。
昨年、米国の1人当たりGDPは日本の2.6倍、英国も日本を6割以上上回っている。
しかし、日本は英米両国のように社会が分断されていないため、一般的には日本の国民の方が安心して生活できているように感じられる。
中国の所得水準はまだ日本の4割程度であるが、生活水準は多くの都市においてすでに先進国の水準に近付いていると感じる。
ただし、日本に比べて地域間格差が大きく、貧しい地域が残っているのも事実である。
中国の経済社会の安定を考えると、所得倍増目標にこだわらず、貧困層や貧困地域の所得水準引き上げに力点を置く政策が必要であるように思われる。
そのためには、失業保険、老齢年金、医療保険等経済的弱者に対するセイフティーネットを拡充しつつ、民間企業の活力を生かして前向きの経済発展を促すことが重要だ。
中国企業の過当競争のベースにある「内巻」と呼ばれる過度な競争心を落ち着かせるため、学校教育の在り方を改善し、多様な価値観をもつことを重視する社会に向かわせる努力も大切である。
そうした中間層以下の国民の心に寄り添う国民本位の政策運営に力点を置き、中間層の国民目線で質の高い社会の構築に向かうことが望まれる。
そうした努力を積み重ねていけば、2035年時点で所得倍増が実現しなくても、国民の政府に対する信頼はより高いものになると思われる。