コラム  国際交流  2025.07.10

『東京=ケンブリッジ・ガゼット: グローバル戦略編』 第195号 (2025年7月)

小誌は大量の資料を網羅的かつ詳細に報告するものではない—筆者が接した情報や文献を①マクロ経済、②資源・エネルギー、環境、③外交・安全保障の分野に関し整理したものである。紙面や時間の制約に加えて筆者の限られた能力という問題は有るが、小誌が少しでも役立つことを心から願っている。

米州 中国 科学技術・イノベーション AI・ビッグデータ

米国の技術的優位を脅かす勢いの中国。嘗ての技術大国ドイツは重い病だが、その再生策は?

米国は自国の技術的優位を傷つける政策を採っているとしか思えない。小誌前号でも述べたが、世界中のthe best and brightestが集う事を願う高等教育・研究機関から活動の自由度を奪おうとしているからだ。米国最古の大学(Harvard)と医療研究機関(NIH)に対する圧力は、凄まじい(例えば、PDF版2に示したNew York Times紙6月22日付記事(“Here Is All the Science at Risk in Trump’s Clash with Harvard”)を参照)。

翻って中国政府は欧米を“追い越す(弯道超车)”機会到来とばかりに、積極的科学技術振興策を採っている。米国現政権の首脳陣は、なぜHarvardやNIHといった高等研究機関の活動の自由度を奪おうとするのか。勿論、そうした研究機関には中国からの研究者・学生が所属している。当然の事として、安全保障上の理由から、米国での研究成果が中国に流れる事は厳重に管理すべきだ。だが、彼等の米国での研究における貢献を過小評価してはならない。また現況の下で彼等がもし本国に戻り中国の研究水準を高め、或いは米国以外で活動し、米国以外の研究水準を高めれば、米国の優位が相対的に低下する危険性が高まる。指導者達はその事がどうして分からないのだろうか。

こうした中、Nature誌が6月11日に科学技術論文に関する組織別の知的貢献に関する世界順位を公表した(PDF版の表1~6参照)。これに依ると、論文の貢献度で昨年優れていたのは首位が中国科学院。ベスト10には2位のHarvardと9位のマックス・プランク協会という組織を除き、あとの8つは全て中国の高等教育・研究機関だ。米欧の組織は、上述の2機関以外では11~20位になってやっと姿を現してくる。即ちフランスの国立科学研究センター(CNRS)が13位、ドイツのヘルムホルツ協会が14位、そして16~18位にStanford、MIT、Oxfordが現れる。11~20位のうち、あとの5機関は全て中国。我が日本は東京大学が23位、京都大学が55位、大阪大学が103位である。なお、PDF版の表2~6に分野別(物理、化学、生物学、医療、地球・環境)の順位を表示した。ご関心のある方は参照して頂きたい。

ただ留意すべき点として、論文評価に関心のある方はご存知の通り、単純にNature誌の単年評価を“妄信”する事は危険である。それは①同誌の評価が常に正しい訳ではない事、②研究に没頭している個人が必ずしも昨年論文を掲載している訳ではない事等の理由からだ。また筆者の意見では、研究者或いは個々の講座が研究評価の単位であると考えている。従って③Nature誌が示している組織別の貢献度は、優れた研究者・講座が集積し、効率的に運用されている組織であると理解すべきなのだ。以上3点が評価上の留意点として挙げられる。

そしてPDF版に掲載した表をSingaporeの友人に送付し、具体例として日本初のノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹先生の話をした。湯川先生はイタリアの雑誌(La ricerca scientifica)が掲載したフェルミの論文に啓発され、また米国雑誌(Physical Review Letters)が掲載した若き物理学者アンダーソンの論文を読み、自身の中間子理論を完成させたのだ。この時、Nature誌は2つのミスを犯している。①フェルミは、最初、権威ある英国のNature誌に論文を送ったが、Nature誌が論文掲載を断った。そこで、彼は母国イタリアでの論文発表を行ったのだ。また②湯川先生はアンダーソン論文が自説と関係している事を、書面でNature誌に知らせたが、同誌は「関係無し」との判断を下した。筆者は友人に対して、「誰もが全知全能ではない。特に画期的な創作活動は、科学にしろ、芸術にしろ、簡単には認めらない」と伝えた次第だ。更には、湯川先生の中間子理論は、京都大学時代の思索に基づいているが、論文執筆は大阪大学理学部在籍時だ(また、ノーベル賞受賞発表時は米国のColumbia大学教授であった)。こう考えると組織別の知的貢献度を“妄信”すべきものでない事が分かるであろう。

激しさを増す科学技術分野における米中大国間競争の狭間で、日本を含む関係各国は如何なる戦略を立てるべきか。英独仏等の欧州、そしてアジアの友人達と議論を続けている。日本と同様、新たな財・サービス、そして新たなbusiness modelsを模索するドイツに関し、独think tankの一つ、ベルテルスマン財団は5月19日に2つの報告書を発表し、新産業政策を提言した。これに関し、今、欧米の友人達と意見交換を行っている(その報告書とは「経済的繁栄・安全保障・自然環境を念頭にした持続可能な産業政策に関する論文(„Zukunftsfähige Industriepolitik: Wohlstand, Sicherheit und Klimaschutz vereinen“)」及び、「新政権のための持続可能な産業政策ガイドライン(„Zukunftsfähige Industriepolitik: Leitlinien für die nächste Bundesregierung“)」である。PDF版の2参照)。

AIの将来に関する楽観論と悲観論。また米中間の技術開発競争の将来は?

AIの専門家達と関連情報を議論する様々な機会に恵まれた(例えば、Incongni社のGen AI and LLM Data Privacy Ranking)。またgoogle ai studioを使い、自分自身で様々な試行錯誤を楽しんだ。そして今もAIの将来における可能性と危険性に関した点を、友人達と議論している。

AIに関し現在楽観的・悲観的相反する情報が併存している。例えば楽観的情報として①欧州連銀(ECB)は、経済の現況を把握するため、ChatGPTを活用しGDP推計値の精度を高める事を試みた論文を6月26日に発表した。また逆に悲観的情報として②MITの研究者達は、6月10日、ChatGPTに過度に依存しつつ知的活動を続ければ、“魂の抜けた(soulless)”ような知的作品が生まれる危険性を提示した論文を発表した。そして③6月18日、OpenAIも悲観的情報を公表した。大規模言語モデル(LLM)は過去の文章をdataとして依存しているが、そのdataの一部に支離滅裂な人格の人(misaligned persona)が書いた文章が含まれている可能性がある。これために、LLMが全体的な影響を受け“支離滅裂・不整合さがあらゆる場合に出現する(misalignment generalization)”という問題が発生する事をOpenAIは警告し、その防止策を提案した(①“Enhancing GDP Nowcasts with ChatGPT: A Novel Application of PMI News Releases”、②“Your Brain on ChatGPT: Accumulation of Cognitive Debt When Using an AI Assistant for Essay Writing Task”、③“Toward Understanding and Preventing Misalignment Generalization”、PDF版2を参照)。

日本の問題はAIを常時使用している人が少ない事と筆者は友人達に伝えた。AIを妄信する事は問題だが、多くの日本人が無関心な事、或いは実作業の際、正否を検証しつつAIを活用しない事が問題だと考えている。だが、この筆者の判断が誤っている事を願っている。

米国の技術的優位を中国が脅かしているという事を小誌前号で触れた。だが、中国情報自体の不透明さ故に、正確なところは分からず、その多くが単なる“guess work”かも知れない。こうした中、中国华为(Huawei)の創設者の任正非氏は「米国は華為の成果を過大評価している。華為は未だそう強くはない(美国是夸大了华为的成绩,华为还没有这么厉害)」と6月10日付«人民日报»を通じ語った。その一方で6月26日、中国メディア(«央视网»や«观察网»)は、中国の新型CPUの開発を祝し、「我が国が自主研究開発、自主管理可能に!(我国自主研发、自主可控!)」と報じた。残念だが素人の筆者には新型CPU(龙芯3C6000)の真価は分からない。多くの専門家の意見を聞く必要がある事を感じている。

米国は不信感を世界に拡散長年の友好国には憂慮を、中国には米側友好国間の離間策のチャンスを

米国保守系think tank(AEI)の外交・防衛専門家、コリ・シェイク氏は、5月13日付Bloomberg誌を通じて、米大統領の外交スタイルを伝統的で慎重に進める外交交渉ではなく、“テレビ映りの良い対処法(telegenic deals)”と称した。共和党の現在の指導者層の大多数は専門書や伝統的な高級紙を読む人ではなく、Fox News等のテレビを通じて政治を判断する。“見栄え”を常に気にかける大統領の言動は、映像的に小気味良く、自信に満ち断定的で、(真偽は別として)人々の心に理解した“かのような”安心感を植え付ける。

民主党系のエリート達に対する不満を抱く人々にとっては“真実”も“理論”も心に響かない。“Make America Great Again (MAGA)”のimageこそが“心の清涼剤”となっている。従って外交的成果に関係なく“見栄え”こそが大切なのだ。筆者は友人達に「経済学でヴェブレン先生の“見せびらかしの(顕示的)消費(conspicuous consumption)を学んだが、トランプ大統領のお陰でconspicuous politicsの重要性を理解した」と伝えた。

こうした中、欧州やアジアで、超大国米国への対応に戸惑いが出ているのは周知の通りだ。シンガポール国立大学(SNU)の鄺雲峰教授と南洋理工大学(NTU)の廖振揚教授が米中の狭間で戸惑いを感じるアジア諸国に関し、米高級誌Foreign Affairsの最新号に優れた論文を公表している(“Southeast Asia Is Starting to Choose: Why the Region Is Leaning Toward China”、Foreign Affairs, July/August, PDF版の2参照)。

米国現政権が生み出した“離間”現象は、長年の友好国に止まらない。米国国内でも“離間”現象が拡散しているのだ。当然の事として、米国には“真実”と“理論”を重視する人も大勢いる。このため、現在の米国は国是のE Pluribus Unum(Out of Many, One; 多数から一つへ)から大きく乖離し、Ex Uno Pluma (一つから複数へ)の状態になっているのだ。

世界各地での戦争終結に望みは? 平和への道は果てしなく厳しいのか?

日本の優秀なジャーナリストで戦前活躍した清沢洌の記録(『暗黒日記』)は筆者の愛読書の一つだ。日記の1944年3月17日の記録に、彼の友人である蠟山政道先生の言葉が記されている—「こんな国に生まれたのが不幸だった!」。今、「こんな所に生まれたのが不幸だった」と最も悲しんでいるのは、パレスチナ、ウクライナ、ロシアの人々ではないだろうか。いずれにしろ「生まれた国と生まれた時」を選択する権利は誰にも与えられていない。我々に与えられているのは、戦争終結のため他の人々と共に働きかけるという意思と行動力だけなのだ。

既に世界中に報道された事だが、サンクトペテルブルク国際経済フォーラムでプーチン大統領が発した言葉に対し、筆者は驚いている。22日にはクレムリンのwebsiteに大統領の言葉が掲載され、再び驚いている。現在の戦争に関し、「戦争を開始したのは我々ではないのだ(Это же не мы развернули боевые действия)」と自らの現在の認識を述べた上で「これまで何度も言ったが、ロシア人とウクライナ人は、事実上同じ民族なのだ。その意味では、ウクライナは我々のものなのである(Я уже много раз говорил, что считаю русский и украинский народ одним народом на самом деле. В этом смысле вся Украина наша)」と語った。更には、「ロシア兵が足を踏み入れた場所は全てロシアの領土(Там, где ступает нога русского солдата, то наше)」と述べた。この言葉を聞いた時、筆者はロシア皇帝ニコライ一世(Николай I)の言葉、即ち「一度ロシアの国旗が掲げられた土地においては決してそれが降ろされてはならない(Где раз поднят русский флаг, там он спускаться не должен)」を思い出した。露大統領のこの発言を見た時、彼が露大統領である限り、よほどの心境・環境の変化が無ければ、悲劇的な戦争は続くと感じた次第だ。

しかも、6月18日、フィンランドが対人地雷禁止条約脱退を決定し、ゼレンスキー大統領も6月29日に脱退に関する大統領令に署名している。この条約(オスロ条約)成立に努力した英国の故ダイアナ妃は天国で悲しんでいるに違いない。

紀元前1世紀における共和制ローマの政務官であるサッルスティウスは、「戦争とは始める事は容易だが、終結させる事が極めて難しい(omne bellum sumi facile, ceterum aegerrime desinere)」と語ったが、まさしく「むべなるかな」ではないか。“巧遅”にも“拙速”にも陥らずに“巧速”に戦争を終わらせて世界を驚かせた事例の一つが、日露戦争時の日本だと考えている。当時の帝国軍人は“合理的”精神を具えていたのだ。1905年3月には奉天を占領したものの、ロシアは日本に比べ遥かに余力を持っていたのだ。こうした中、児玉源太郎満洲軍総参謀長が、戦争終結の草案をまとめ、意見書として大山巌総司令官から山縣有朋大本営参謀総長宛てに送られた。山縣は寺内正毅陸相と相談して、桂太郎首相・曾禰荒助蔵相・小村壽太郎外相に対し「政戦両略概論」を提出したのだ。勿論、5月の帝国海軍による日本海海戦での勝利や8月の小村外相のポーツマスでの交渉があってこそ、“巧速”なる戦争終結が実現した事は認めなくてはならない。だが、昭和の陸海軍とは異なり、極端な精神主義に染まらず、明治の陸海軍は、冷静に彼我の国力を判断出来る能力を持っていたのだ。逆に、冷静なる知性を発揮しなかったのは皮肉にも戸水寛人等の大学教授、そして日比谷焼き討ち事件を引き起こした一部の一般国民だったのだ。

そして今、ウクライナであれ、中東であれ、彼我の戦力比や現在の被害状況を冷静に把握する指導者達が、“巧速”なる終戦へと導いてくれる事を願っている。

半導体開発競争の行方は? 日の丸半導体の復活は可能か?

小誌前号で、半導体の技術開発に関する長内厚早稲田大学教授の本を巡り、筆者が日本語版で、アジア(台湾・シンガポール)の友人達が臺灣版で議論した事を記した(『半導体逆転戦略: 日本復活に必要な経営を問う』; «半導體逆轉戰略: 從日本隕落與復興,解析矽時代的關鍵商業模式與經營核心»)。嬉しい事に台湾の友人から「ジュンのため臺灣版を購入。次の来日時に手渡す予定」という連絡を受けた。早速、「お礼は辛口の白ワインで」と返事をした次第だ。そして臺灣版を巡り、ワイングラス片手に議論する事を楽しみにしている。

筆者は半導体の専門家ではないが、約30年前から多くの専門家と接する機会に恵まれてきた。特に印象深いのは故菊池誠氏だ。ソニー中央研究所長を務めた後、東海大学で教授をされていた菊池氏とは、MITのスザンヌ・バーガー教授の紹介を通じて知り会う事が出来た。彼からトランジスタを発明してノーベル物理学賞を受賞したショックレーとの交流や、技術開発における日本の問題点等を教えて頂いた。

そして現在、日米に加え台湾やシンガポールの専門家達との意見交換を楽しんでいる。対中戦略や米国半導体振興策を採るに当たり、必要とされる知識を具えているスタッフが米国現政権内に果たしているのか、と我々は疑問を抱いている(例えば、Tufts大学Fletcher Schoolのクリス・ミラー教授が綴った半導体の歴史に関する本)。日本でも話題となった同書の結論部分の直前には台湾問題が語られている(Chip War: The Fight for the World’s Most Critical Technology, 2022; 『半導体戦争: 世界最重要テクノロジーをめぐる国家間の攻防』; 大陸版: «财之道丛书·芯片战争: 世界最关键技术的争夺战»; 臺灣版: «晶片戰爭: 矽時代的新賽局,解析地緣政治下全球最關鍵科技的創新、商業模式與台灣的未來»。訳本は全て2023年)。

教授は「世界経済や、アジアや台湾海峡を縦横無尽に交差するサプライ・チェーンは、この不安定な平和を大前提として成り立っている」点を強調しているのだ。そして教授は結論として最先端の半導体を製造するという事は非常に複雑で、Silicon Valleyが単なる科学技術の物語ではない事、また半導体市場の成長に合わせて、販売、市場開拓、サプライ・チェーン管理、費用削減という複雑なprocessを築き上げた起業家がSilicon Valleyに存在した事を歴史として語った。米国政府は極端な政策でこの複雑なprocessに変化を強制的に求めているのだ。

ところで友人達は日の丸半導体の凋落は半導体市場の成長に“合わせる”事が出来なかった点、そして東芝の舛岡富士雄氏をはじめ優秀な技術者は存在したが、上記の複雑なprocessを築き上げる企業人が存在しなかった点を指摘した。これに対して筆者は次の様に語った。

「ミラー教授は‘The biggest error that Japan’s chip firms made . . . was to miss the rise of PCs’と語ったが、日立元専務の牧本次生氏に依れば、PC向けの半導体はIntelの知的財産権で厳重に守られており、市場参入は極めて困難だった(牧本: 『日本半導体物語: パイオニアの証言』 2024)。また東芝元専務の川西剛氏に依ると、東芝の半導体は優れていた。だが、同社は重電を中心に様々な事業部門を抱えており、重電は安定した市場を抱えて予算の策定が比較的容易だった。翻って巨額の投資を必要すると同時に市況が乱高下する半導体の投資は予算の策定が難しく、経理担当者から容易には信用を得られず、時機を失する形になった(川西: 『わが半導体哲学』 1997)。しかし、日本の技術者は日の丸半導体の凋落を何も考えずに座視していた訳ではない。例えば、牧本氏は2006年に著書『一国の盛衰は半導体にあり』を上梓し、国難として半導体の凋落に対し警鐘を鳴らした。だが、残念ながら‘当時の国の首脳部へ届くことはなかった’と語っている」。これが筆者の話の主旨だ。

ミラー教授は、著書の中で故石原慎太郎氏の『「NO」と言える日本』に触れて、厳しい評価を下した—「半導体が軍事バランスを形成し、技術の未来を特徴づけるという石原氏の1980年代の意見は正しかった。だが、半導体が引き続き“made in Japan”という彼の考えは誤りだった」。 半導体産業の将来を考える時、国際政治感覚と同時に、我々は経営的・技術的感覚を研ぎ澄ます必要があるのだ。

全文を読む

『東京=ケンブリッジ・ガゼット: グローバル戦略編』 第195号 (2025年7月)