米国のトランプ政権発足以降、約5か月が過ぎた。この間、従来の世界秩序のあり方の見直しに関する議論が頻繁に行われるようになっている。
5月下旬から6月前半にかけて米国と欧州を訪問し、現地で専門家や有識者と意見交換を行ったところ、米国と欧州で議論の中身に違いがあることに気づかされた。
米国では国家間の力関係の変化を前提としながらも、引き続き米国を中心とする大国間外交をベースとした議論が多い。
この議論は米国が覇権を掌握しており、それが多かれ少なかれ将来も維持されることが前提になっているように感じられた。
もちろん米国の一極覇権体制は過去のものとなったという前提で議論する専門家もいるが、今のところ少数派である。
しかし、経済力の面に注目すれば、すでに米国のGDP(国内総生産)が世界全体に占める比率は26%(名目ベース、IMF世界経済見通し2025年4月、IMFは国際通貨基金)と第2次大戦直後(当時の米国の比率は約50%)の約半分にまで低下している。
長期的な展望として、中国に加えて、インド、東南アジア、アフリカ等グローバルサウスの国々の経済発展を考慮すれば、今後も米国の比率の低下傾向が続く見通しである。
しかもトランプ政権が推進する米国の製造業再強化のための政策と中国に対するデカップリング政策が米国経済に対する下押し圧力となることは多くの有識者が指摘している。
この政策方針を継続すれば、世界全体のGDP合計に占める米国の比率はさらに加速的に低下する可能性が高い。
こうした長期的な観点に立てば、将来の世界秩序形成は米国による一極覇権体制からすでに変質しつつあり、今後さらにその傾向が強まっていくと考えられる。
こうした見方を共有している米国のある専門家はトランプ政権によって世界秩序の多極化が加速されることになると語っていた。
一方、欧州では多極化(multi-polarization)をベースとした多国間外交(multilateralism=多国間主義)への移行を前提に世界秩序について議論をすることが多い。
この見方の背景には欧州自身が第2次トランプ政権発足後、米国から自立した自主防衛力の強化に向けて大きく舵を切った事実が影響している。
欧州諸国の現状は、防衛予算がGDP比2%前後の国が多い中、これをGDP比5%に引き上げることを欧州各国がほぼ賛成している。
国別に温度差はあるものの、各国とも予算確保に向けて具体的な政策方針を検討している。
日本の防衛予算は2%に引き上げるのですら苦労している状況に比べると、ロシア-ウクライナ戦争の影響は東アジアにおける台湾有事のリスクの比ではないように感じられる。
しかし、今後多極化する世界情勢を前提として、どうすれば安定的な世界秩序形成を実現できるのかについては明確な答えが見つかっていない。
このように米国欧州の専門家、有識者はトランプ政権発足後、世界秩序形成の変質を肌で感じ、将来のあるべき世界秩序形成の姿について緊張感をもって議論しているが、それが行きつく先の姿が見えていない状況にあると実感した。
どうして世界秩序形成の将来像が見えないのだろうか。
それは、国家だけが世界秩序形成の役割を担うことを前提としているためである。
戦後80年の間に民主主義の基礎は強化され続けてきた。
表面的には権威主義的政治制度の中国ですら、1980年代と現在を比較すれば、ネット上で展開される世論の影響力が強まっているなど、政治の民主化は確実に進展している。
ましてや西側諸国については言うまでもない。
それに加えて、国内の様々な政治経済社会問題に対して、グローバルな共通問題が及ぼす影響が格段に強まっている。
地球環境、新型コロナウイルス感染、貿易・投資体制、不法移民等の問題は国内の政策だけでは解決不可能であるのみならず、それぞれの課題に対する各国の立場が異なるため、国際的な合意形成が困難である。
そうした前提に立てば、従来のように国家間の合意に基づいてすべての世界秩序形成の枠組みを決定することができなくなっているのは当然の結果である。
国家間の交渉を通じて一つの方向を決定したとしても、民間企業や個人をそれに従わせて、グローバル課題と国内問題を同時並行的に解決することがますます難しくなっている。
そうした新たな時代の到来を前提とすれば、世界秩序形成を考える際にも新たな発想が必要である。
筆者は2019年以降、日米欧中韓の学者、有識者、学生らとともに、多極化する世界を前提とした将来の世界秩序形成のあり方について議論を重ねてきた。
議論を開始した時点では、新型コロナ感染、ロシア-ウクライナ戦争、第2次トランプ政権の様々な政策などの問題に直面することは全く予想していなかった。
しかし、その後のそうしたいくつもの世界秩序を不安定化させる事象が生じるたびに、関係者全員がこの議論を始めた意義の大きさを強く感じている。
その議論を踏まえて、我々は世界秩序形成の将来像に関する提案をしている。
その基本的な考え方をごく簡潔に紹介すれば、以下のとおりである。
今後の世界の多極化を前提とすれば、国家がルールベースで安定的な秩序形成を行うことはますます難しくなり、このままでは世界は混乱し、第3次世界大戦に突入する可能性が高まる。
そのリスクを回避できる可能性がある新たな世界秩序形成のモデルは、国家と「民」(non-state actors)の両者の協調によるハイブリッド型の秩序形成である。
世界各国は国際的なルールに関する合意によって世界秩序を形成してきた。その機能は今後も重要である。
しかし、最近はイデオロギー対立の深刻化等により国際的な合意形成が困難となっているため、グローバル課題の解決のために有効な施策を実施することができなくなっている。
近年の環境問題、新型コロナへの対応、自由貿易体制等に関する国際的な合意形成の不備が重要課題の解決を困難にしていることは誰の目にも明らかである。
そこで我々は、国家を補完する機能として、モラルに基づく「民」の役割の重要性を強調する。
「民」は国家のように強制執行力を持たないため、短期的に有効な政策を実行することはできない。
しかし、企業、大学、専門家、有識者等の「民」であれば、国家を代表する存在ではないため、所属する国家の立場に制約されることなく、グローバル課題のために有効な政策を自由に提案し、話し合うことができる。
その際に重要な条件は、「民」のメンバー全員が私利私欲にとらわれず、利他主義に基づいてグローバル課題の解決に貢献することである。
一国あるいは複数の国々の国家利益の追求がグローバル課題の解決を妨げる場合、それは一種の私利私欲であると我々は考える。
「民」の貢献の仕組みとしては、利他主義に徹するスタンスを共有する「民」の専門家メンバーが個別分野別に共同で政策提案を行う。
その成果を各国が採用することで、国家間の合意を前提としなくても、各国は有効な政策を実施することができる。
現在は政策立案も政策執行も国家に委ねられているため、政策立案の段階で合意形成が難しく、合意できる内容は妥協の産物であるため有効性が制限されることが多い。
しかし、「民」にはその制約がないため、グローバル課題への有効な政策提案が可能となる。
しかも、その提案は1つに限る必要はなく、問題解決に向けた基本的政策方針を共有することを前提に、各国の実情に合わせた政策を提案できるメリットもある。
ただし、「民」には強制執行力がないため、その政策提案を選択し実施するのは各国に委ねられる。
このような形で、国家と「民」が協力し合うハイブリッド型の秩序形成システムを様々な分野で構築することができれば、多極化の時代の多国間外交を前提としても、現在の国家のルール形成のみに基づくシステムに比べて、秩序形成を安定化する効果が得られると考えられる。
(基本的な考え方の詳細については、キヤノングローバル戦略研究所HPの筆者コラム掲載の「世界秩序形成のための新たな枠組みに関する基本構想」(2022.11.09)を参照してください)
国家が国民を代表していなければ果たせない国家固有の機能は、外交、軍事、通貨の3つであると言われている。
それ以外の分野は、何らかの形で「民」が関与、貢献することができる。たとえば、食料安全、会計基準、スポーツのルールなどは今も「民」が主体となって国際基準を決めている。
そうした状況下、現在はWTO(世界貿易機関)をベースに国家が主導する形で国際ルールを決めている自由貿易体制の仕組みが機能不全に陥っている。
米国では自由貿易による輸入の増加が米国人の雇用機会を奪ったと信じている人々が多く住む州が二大政党制のキャスティングボートを握っているため、彼らが政局を左右しており、政治家はその要求を無視できない。
こうした現在の米国の特殊な国内政治事情を前提とすれば、米国がWTOを通じて自由貿易体制の拡充に協力することは当面不可能である。
しかし、今のまま自由貿易体制が急速に弱体化すれば、経済のブロック化が進み、世界は再び世界大戦に向かう可能性が高まる。
これを防ぐには、WTOに代わる新たな枠組みの下で自由貿易体制を拡充、発展させることが必要である。
その一つの現実的なアイデアはTPP(環太平洋パートナーシップ協定)をベースとする自由貿易体制の整備である。
当面は、米国を除く自由貿易を望むすべての国が関与する形で、WTOに代わる新たな枠組みを構築することができれば、自由貿易体制の拡充は可能となる。
当面は、と前置きしたのは、米国も将来いつかはここに加わる可能性があると考えられるからである。
本来であれば、上記の課題の検討はWTOが中心となって展開されるのが筋である。
しかし、WTOは全会一致が合意の前提であるため、米国が強く反対している現状において、WTOの機能拡充は不可能であるのみならず、将来のWTOに代わる自由貿易体制のあるべき姿を議論することすらできない。
そこで筆者は、政府の代表ではなく、国際的に信頼されている学者や有識者が「民」の立場に立って、インフォーマルな場において将来の自由貿易体制のあり方を議論することによって、本来国家が果たすべき機能を代替することを提案したい。
米国がWTOの拡充に強く反対していることを考慮し、その状況も踏まえた現実的な枠組みを構築する方法について国家の関係者と「民」の専門家がともに協力して建設的な具体策のために知恵を絞る必要がある。
その検討のための重要なベースとなるのがTPPであることは多くの専門家が認めている。
TPPから米国が離脱したのち、これを維持発展させる重要な役割を担っているのは日本政府である。
それを考慮すれば、日本政府が主体となって、「民」の専門家がインフォーマルに議論する場を設定し、そこに国家や国際機関の関係者がインフォーマルなオブザーバーとして参加する仕組みを構築することが期待される。
以上のような自由貿易体制の将来像を検討する新たな枠組みの構築を具体的に実現していくためには、「民」の力だけでは難しい。
「民」の力を活用する仕組みを国家と「民」がともに協力して実現することが必要である。
もう一度議論を整理すれば、それを検討するためには各国の信頼できる専門家が国家の利害やイデオロギーに縛られずに自由な立場から議論する場が必要である。
その専門家はモラルを共有し、私利私欲のためではなく、世界中の人々がともに幸せを享受できる利他主義の姿勢を共有する必要がある。
そのうえで、必要に応じて国家や国際機関の関係者がインフォーマルなオブザーバーとして議論に参加し、より現実的な解を探ることも重要である。
ここでも国家と「民」の協調によるハイブリッド・システムが機能する必要がある。
そうした場をセットするのは純粋に「民」の力だけでは難しい。長期にわたって議論を重ねる必要を考慮すれば、必要な予算はかなりの額になり、民間組織だけで負担することは不可能である。
この会議を国家が主催する場合、多くの場合、その国の利害が強く反映される可能性が懸念されるため、たとえば、米国、中国といった大国が主催することには抵抗を感じる国が多いことが予想される。
そこで筆者としては、日本政府がその任を引き受けることが一つのアイデアであると考える。
その目的は日本が議論の方向をリードすることではなく、世界各国の専門家、有識者が自由に議論する場の中立的な世話役として事務局機能を担うことである。
もちろん、日本政府も純粋に中立の立場ではない。ただ、TPPについては米国離脱後、日本政府が維持拡充の中心的役割を担ってきている。
また、その歴史を振り返れば、同盟国の米国やG7メンバー国を中心とする西側諸国はもちろんであるが、中国、ロシア、イランといったイデオロギーを異にする国々とも緊密に交流した経験が多い。
そうした過去の経験を踏まえ、日本政府が世界に向けて可能な限り中立の立場を貫くことを前提に、国家と「民」の専門家が自由に議論する場を形成する任を引き受けるのが望ましいと筆者は考える。
筆者と議論を重ねている欧米の専門家、有識者も日本政府の誠実さを信頼し、筆者の提案に賛同する人が多い。
以上のアイデアについて日本政府が検討することを期待したい。