Evidence-based Policy(証拠に基づいた政策)とか、Science-based Policy(科学に基づいた政策)ということはよく言われるけれども、そんな綺麗ごとよりも、実際に頻発しているのはNarrative-based Evidence-making(物語に基づいた証拠づくり)である、という指摘を読んだ。
https://wattsupwiththat.com/2025/05/04/narrative-based-evidence-making/
これらの記事は「気候危機説」という物語に沿うような形で自然災害や環境影響評価についての研究成果が量産されることを指して批判していたのだが、実は排出シナリオ研究も同じことなのだ。
このことを、世界規模の温室効果ガス排出量シナリオの中核的役割を担っていたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告書の変遷をたどることで示そう。
IPCCも、かつてはまじめにエネルギーシステム分析をしていた。だから、2007年の第四次評価報告書(AR4)の時には、2℃目標を達成できるというシナリオなどわずか6本しかなかった。当時の研究者たちは、この6本のシナリオに対して、極めて冷ややかだった。そんなものは実現不可能であり、まじめにエネルギー経済のシステムモデル分析をすれば、答えは「実施不可能(インフィージル)」というのが業界での当然の常識だったからだ。
ところがこの2℃シナリオ、この後の第5次、第6次(AR5、 AR6)で急増することになる(表1)
IPCC世代 | 公表年 | 総シナリオ数 | ≤ 2°Cシナリオ数 | 割合 | 判定根拠の温度/濃度クラス |
AR4 |
2007 |
177 |
6 |
3% |
同上カテゴリ I(445–490 ppm) |
AR5 |
2014 |
963 |
365 |
38% |
Table 6.2 430–480 ppm+480–530 ppm(カテゴリ 1+2) |
AR6 |
2022 |
1 202 |
700 |
58% |
Table 3.1 C1–C4(<2°Cを保つ4クラス) |
表1「産業革命前(1850–1900平均)比+2℃を超えない経路」が各世代のIPCC WG III シナリオ全体に占める割合
(“≤2℃シナリオ”=各報告書が採用した温度/濃度分類で2℃を上回らないと判定された経路。母数はいずれも当該報告書で数量化できた世界シナリオの総数)
それどころか、1.5℃目標さえ達成できるというシナリオまで増殖した(表2)。これは07年にはゼロだったのに、最新の22年の報告書では139本ものシナリオが1.5℃目標を達成できるとしている。
なお1.5℃特別報告書(SR1.5、18年)は提出された414本のすべてが1.5℃または2℃未満をターゲットとしており、比率は 100%だが、定期評価報告ではないため表中には含めていない。
報告書 | 公表年 | シナリオ総数* | 1.5°C ≦ ΔT ≤ 1.5°C に収まるシナリオ数 | 割合 | 補足(判定基準) |
AR4 |
2007 |
177 |
0 |
0% |
445-490 ppm(カテゴリ I)は中央値 ≈ 1.7-1.8°Cで1.5°C未達 |
AR5 |
2014 |
963 |
≲ 5 |
≈0.5% |
当時 “1.5°C研究は極めて少数” と SR1.5第2章が指摘(IPCC) |
AR6 |
2022 |
3 131 |
139† |
4.4% |
C1(1.5°C 無〜小幅OS)97本+C2のうち 2100年 1.5°C収束 42本(IPCC, IPCC, IPCC) |
表2 IPCC WG III シナリオ比較における「産業革命前(1850-1900 平均)からの気温上昇を1.5℃以内に抑える経路」の比率の変遷
なぜインフィージブル、つまり「解が無い」はずのシナリオが、時間とともに増殖していったのか? それは、気候危機説ナラティブに沿って2℃、1.5℃といった目標を達成するシナリオを量産するように、政治の側から動機づけられたからだ。以下に、その歴史を見てみよう。
<地球温暖化「2℃」・「1.5℃」目標の主な政治的マイルストーン>
それで、インフィージブルだった、即ち無限大だったはずのコストは、いったいどうなったのか(表3)。最新の22年の報告であるAR6のAR6政策決定者向け要約(SPM)を見ると、コストは「50年でGDPを数パーセント低下させる」とこともなげに書いている。1.5℃シナリオ(C1シナリオと分類されている)においてすら、わずか2.6~4.2%しかGDPは減らない。GDP成長率にすると0.09~0.14%の低下にしかならない。しかも、自然災害などの環境影響を回避することで得られる便益の方が大きい、と主張している。
パラグラフ | 抜粋原文(太字は GDP 影響の定量部分) |
C.12 (ヘッドライン) |
Mitigation options costing USD100 tCO2-eq–1 or less could reduce global GHG emissions by at least half the 2019 level by 2030 (high confidence). Global GDP continues to grow in modelled pathways64 but, without accounting for the economic benefits of mitigation action from avoided damages from climate change nor from reduced adaptation costs, it is a few percent lower in 2050 compared to pathways without mitigation beyond current policies. |
C.12.2 |
“The aggregate effects of climate-change mitigation on global GDP are small compared to global projected GDP growth … For example, compared to pathways that assume the continuation of policies implemented by the end of 2020, assessed global GDP reached in 2050 is reduced by 1.3 – 2.7 % in modelled pathways assuming coordinated global action … to limit warming to 2 °C (>67%). The corresponding average reduction in annual global GDP growth over 2020 – 2050 is 0.04 – 0.09 percentage points. … For modelled global pathways in other temperature categories, the reductions in global GDP in 2050 … are 2.6 – 4.2 % (C1, ≈1.5 °C), 1.6 – 2.8 % (C2), 0.8 – 2.1 % (C4), 0.5 – 1.2 % (C5). The corresponding reductions in average annual global GDP growth are 0.09 – 0.14, 0.05 – 0.09, 0.03 – 0.07, 0.02 – 0.04 percentage points, respectively. … In all assessed modelled pathways, global GDP is projected to at least double over 2020 – 2050, regardless of mitigation level.” |
C.12.3 |
“Models that incorporate the economic damages from climate change find that the global cost of limiting warming to 2 °C over the 21st century is lower than the global economic benefits of reducing warming, unless (i) climate damages are towards the low end of the range; or (ii) future damages are discounted at high rates.” |
表3 AR6政策決定者向け要約(SPM)における排出量削減(mitigation)がGDPに与える影響の記述
このように、07年には2℃目標ですら実現不可能であったはずなのに、22年には1.5℃目標が低コストで容易に達成できる、という結論に180度変わってしまった。この「研究成果」のおかげで、各国政府はネットゼロ政策にまい進することができるようになった。
気候危機ナラティブに沿う研究をすることを、政治はエネルギーシステム分析業界に要請し、業界はまさにその意に従ったわけだ。
ここには科学を貫くと言う態度など微塵もない。
ちなみに日本のエネルギーシステム分析業界の先生方も、10年前であれば「50年CO2ゼロ」などとインフィージブルなことをいうとバカ扱いしていたはず。それがいまは「実現不可能です」「途方もなくコストがかかります」とはっきり公言する人はほとんどいない。学会では50年CO2ゼロというシナリオの発表であふれかえっている。
だが10年のうちに言うことが180度変わるのはどう考えても科学者のやるべきことではない。出世したいのか予算が欲しいのか、それとも非難や嫌がらせが心配なのか、あるいは単に目立たないようにしたいのか。動機はそれぞれだと思うけれど、この無節操振りにはあきれ返る。残念なことに、学者ほど信用できない人種はいない、という思いを禁じ得ない。