監訳 キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 杉山大志 訳 木村史子 本稿はマーク・P・ミルズ https://www.city-journal.org/article/the-longshoremens-strike-and-the-great-inversion City Journal 2024.10.8 を許可を得て邦訳したものである。 |
国際港湾労組のストライキがすぐに和解に至ったことは、私たちは大逆転への一歩を目撃していることを示すものだ。熟練工や準熟練工が、ほとんどの大卒者よりも高い平均賃金を得る、という未来が訪れつつある。そして大卒者は――理系(STEM)分野における学位取得者はわずか10%しかいないが――大卒者になることで、かえって将来の所得が減るという問題を抱えることになる。(もちろん、そもそも大学教育は、単に収入を最大化するためだけのものではないはずだが)。
港湾労働組合との和解により、港湾労働者の初任給が約80,000ドルに引き上げられ、中途採用者の給与が150,000ドルを超えることは、誰も気がついていなかったようだ。どちらの基準も、9割の大卒者よりも高いのだ。港湾労働者の勝利は、労働人口のわずか10%を占める労働組合員だけでなく、すべての熟練労働者にとっても、市場の規範となる可能性が高い。その理由は、テクノロジーと人口動態(デモグラフィー)が交わるところにある。
港湾労働組合が自動化に反対する一方で、この賃金大逆転を加速させる原動力が自動化であることは、皮肉としか言いようがない。自動化が賃金を押し上げる要因は、人口動態にあるという避けがたい論理から生じているのである。
最も重大な人口動態の変化は、単に米国の労働人口が高齢化しているというだけでなく、歴史上初めての事態に近づいていることだ。つまり若年層が高齢者より少ないという社会は、どこの国でも過去に例がない。熟練工の場合、この前例のない逆転現象が意味することは明らかだ。それは次のようなシンプルな論理の連鎖に要約することができる:
「人口増加の鈍化にかかわらず、富の増加は物理的なモノの消費を増大させ、採掘、製造、エネルギー生産、商品や材料の移動、メンテナンスの増加を伴う。活況を呈するサービス業でさえ、物理的な機械や製品を必要とする。例えばiPhoneアプリもZoom会議もハードウェアに依存している。」
「労働人口は急速に減少している。というのも、職業に従事する従業員の平均年齢は既に高齢化社会に突入していてよりも高くなっており、職業に就く学生の割合はここ数十年減少傾向にあるからだ。」
「情報ツールを使って情報業務を自動化するのは、肉体労働と比べてはるかに簡単だ。したがって、ソフトウェアや人工知能(AI)は、「知識労働者」、つまり、暗記作業を担当する労働者だけでなく、創造性とみなされるものの多くを生み出す労働者の業務、例えば、広告のコピーライティング、定型的なテレビの台本作成、基本的な法律業務、文書作成の無数の側面は言うに及ばずだが、それらを簡単かつ確実に置き換えていくことができる。」
「AIは、多くの 『知識 』職の需要減退を加速させ、その賃金を押し下げようとしている。
それは知識中心の仕事を『バックオフィス』から移行し、大学レベルのスキルを持たない労働者を、AIツールを簡単に使える現場の人間へとシフトさせていくからだ。」
経済学者に言わせれば、上述したようなことが、自然と、肉体労働への労働力の移動やそのための職業訓練を促すことになる。実際、このシフトは現在進行中である。最近のデータでは大学の入学者数は減少し、専門学校の入学者数は増加している。通常であれば、これは技能市場の供給過剰が迫っていることを示唆しており、その結果、賃金に下落圧力がかかることになる。さらに、一般的に言って、賃金が上昇すれば、雇用主はオートメーション化を加速させることになるだろう。
でも今回は明らかに違う。なぜか?
まず、人口動態の壁がある。高齢者が増えると、労働力は、人口全体に比べて急速に減少する。それに加えて、出生数の不足が将来の労働力プールを減少させている。この2つのデータに加えて、米国製造業のリショアリングについての新たな政治的熱意と結びついて、熟練労働者の需要を増幅させている。そこで、自動化、特にロボットが新たな役割を果たす。
熟練工の仕事の大半は、依然として自動化されていない。なぜなら、ほとんどの手作業は、重いものを運ぶような単純なものでさえ、自律型の機械にとっては悪魔的に難しいからだ。実際、これまで産業用ロボットの約90%は、製造業のわずか10%の企業でしか使われていなかった。当然のことながら、最大手企業が最も多くのロボットを導入しているのは、自動化が容易な大量生産ラインでの作業であり、安全のためにロボットを人間から物理的に分離できる環境に置けるからだ。この10年で、イノベーターたちはようやく、複雑な状況において、人の行動に特に制約を付けなくても、一緒に安全に作業できる種類のロボットを開発してきている。強力なAIとセンサーの実装、素材とモーターの進歩、リチウム電池の組み合わせが、そのようなロボットの実現を可能にした。
今や何百もの企業が、かつてはSFの専売特許だった自立型ロボット(オートマトン)の商品化を目指している。少なくとも1ダースほどの企業が実用化の目処が立ったマシンを所有しており、そのうちのいくつかはすでに市場に投入している。アマゾンは労働支援のため、倉庫に数種類の自律走行型オートマトンや歩行型オートマトンを配備している。また、イーロン・マスクの開発している人型テスラ・ロボット・プログラムは、やがて自動車ラインよりも価値のあるものになるかもしれない。今のところ、最先端を行く企業のほとんどはアメリカとヨーロッパにあるが、中国のいくつかの優秀な新興企業もまったく同じ理由でロボットの聖杯を追い求めている。(実際、中国の労働問題は我々よりはるかに深刻だろう)。
自動化には、ちょっとした困った問題がある。それは特に自律型ロボットが関係する場合なのだが、複雑で重要な肉体労働環境では、通常より高度な技能を持ち、より高賃金の労働者を必要とするということである。したがって、港湾労働者や同様の労働に従事する人々にとっては、自動化に反対する立場から自動化を受け入れる立場にシフトすることはプラスになるだろうが、ただしかし、自動化の導入については、それをどのようなものにしたらよいか、より大きな発言権が必要であり、それは経営陣も当然受け入れるべきである。
自動化、特に肉体労働ロボットの効果的な導入の最大の阻害要因のひとつは、設計エンジニアが、新しいクラスの機械を最前線に統合する際、その運用上、実用上において、人間中心の課題を理解していないことがあまりにも多いことだ。最終的には、ロボットの価格(ひいてはロボットの時給)だけでなく、ロボットの導入のしやすさ、特に熟練工と一緒に働くことのしやすさによって、導入の早さが決まるだろう。生産性を向上させる自動化をより迅速に導入することは、賃上げを可能にするような利益を生み出し、ひいてはビジネスを維持し、一般消費者にとってのコストを下げるために必要なことだ。
自動化と労働の好循環は、熟練労働者の需要が拡大する、という事実の上に成り立っている。このことは、よく使われる農場と工場の比較に惑わされ、見落とされがちである。これは、あまり上品な言い方ではないが、自動化のおかげでアメリカでは食料が増え、農家の数が大幅に減っているのだから、「もういい加減にしろ」と工場労働者に忠告しているようなものである。しかしこれは食品とモノの違いを理解していない、間違った考え方である。
それはどういうことか?潜在的な消費に関して言えば、モノと食品には天と地ほどの差があるからである。モノの需要は食品の需要よりはるかに速く伸びるだけでなく、モノの需要には限界がなく、食品の需要には明確な限界がある。食糧需要が満たされないような飢餓レベルの経済はさておき、成熟した経済では、食糧の消費や生産は、人口増加に伴ってのみ増加する。しかし、あたらしく製造されるモノに対する需要は、富が増えれば増えるほど、また開発者が人々が買いたいと思うような新しい種類の製品を発明することができればできるほど、急速に増加する。イノベーターは実際に、商品に対する新たな需要を生み出すことが出来る。だが、農家は、食料に対する新たな需要を生み出すことはできない(このことは、熟練労働者を必要とするもう一つの分野であるエネルギー部門にとっても重要な示唆がある)。
食料生産と製造物のカテゴリー間の大きな違いは、データを見れば明らかである。過去半世紀の間、米国の農業消費は人口増加にほぼ追随し、どちらも約80%増加した。一方、工業製品の消費は約300%増加している。
したがって、歴史的にみても、生産性の向上は、農業生産への需要よりも、農業生産のための労働力を、より早く減少させてきた。しかし、製造業の場合はそうではない。もちろん、労働力が海外にシフトする場合は別であるが。20世紀後半、製造業の生産性が上昇(つまり、生産高あたりの労働時間が減少)しても、米国の製造業労働者数は驚くほど横ばいであった。そして製造品の輸入比率が高まったとき、つまり、生産と労働力が海外に移動したときになって初めて、本当に製造業労働者数が減少し始めたことをデータは示している。
ところで、グローバリゼーションと安価な海外労働力がオフショアリングのトレンドを牽引してきたという仮説は、部分的にしか正しくない。アメリカにおける過去数十年の大きな要因は、アメリカ国内での製造業の意欲を削ぐような、拡大し続ける政府規制なのかもしれない。
全米製造業協会の分析によると、平均的な大手製造業は従業員1人当たり年間2万5,000ドルの規制コンプライアンス・コストを費やしているが、中小企業の場合は従業員1人当たり年間5万ドルを費やしている。また同協会の調査によると、米国の規制コンプライアンス・コストのうち最も大きな割合を占めているのは、複雑な「経済的規制」と「環境」コンプライアンスのワンツーパンチであることは注目に値する。中国企業に関する同様の調査はないが、中国政府は規制負担を課するよりも、むしろ補助金を企業に交付している可能性が高い。
従って、リショアリングの成功は次の3つの要素にかかっている。
「連邦議会と次期政権は、米国が広く産業拡大をしやすくする方法を模索する必要がある。」産業のリショアリングには、対象を絞った条件付きの政府補助金や誘導策だけでは不十分だというわけである。
「政策立案者は、壊れていないものを直そうとすることも避けるべきである。」
米国には、世界で最も安価で信頼できるエネルギー・インフラがある。工業生産は本質的にエネルギー多消費である。しかし現状では、あまりにも多くの州や連邦政府のエネルギー政策が、コストを増大させ信頼性を低下させている。ヨーロッパはすでにその実験台にされている。高コストのエネルギーが大きな原因となって、私たちの目の前で産業が衰退しているのだ。
「政策立案者、労働組合、製造業者は自動化とロボットを受け入れる必要がある。」熟練労働者不足を有意義な時間枠で解決するには、これ以外に方法はない。
老化を遅らせることはできないし(労働年数を延ばすことはできるかもしれないが)、出生率がすぐに加速することもないだろう。漫画のような終末論に浸るよりも、AIが生み出す機会を探るべきなのだ。一般的にいって、もし労働節約的な技術が雇用の破壊者であるならば、失業率はすべての近代史において上昇し続けているはずだが、そんなことは起きていない。
港湾労働者の勝利に「ブラボー」と叫ぶ人がいるのは間違いない。同じような職業に就いている人たちだけでなく、商品供給網の混乱を危惧する消費者も同じだろう。その一方で、賃金上昇が引き起こすインフレスパイラルを嘆く人々にとっては、より自動化された未来を受け入れるという、良い選択肢が存在するのである。