メディア掲載 エネルギー・環境 2025.01.23
マインドセット、人材、教育の視点から
ENERGY for the FUTURE 第49巻(2025年1月5日発行)に掲載
小宮山 お二人には7年前、本企画の初回座談会に学生の立場でご登場いただきましたが、あれから社会人になられ、見える世界も大きく変わったことと思います。お仕事を含めた近況を伺いながら、いま原子力に対してどのような問題意識を持っておられるのか、幅広くご意見を聞かせていただけたらと思います。
渡辺 諸事情により博士課程を中退後、しばらくはAPEC(アジア太平洋経済協力)のエネルギー機関であるAPERC(アジア太平洋エネルギー研究センター)で、日本人研究員として主にAPECの長期エネルギー需給見通しの作成に携わっていました。当時日本ではそこまで脱炭素に熱心ではなかったと思いますが、APERCではとても関心が高く、如何に脱炭素電源である再エネを普及拡大させるか、もっぱらそれが議論の中心であり、原子力が話題になることはほとんどありませんでした。APECの加盟国には米国も中国もロシアもいるので、APEC全体でみると、同じく脱炭素電源である原子力は重要ではあるはずですが、そうした国際機関でのフォーカスの違いをすごく感じました。
結婚、出産して一時、仕事から離れていましたが、いまはキヤノングローバル戦略研究所でエネルギー政策を研究しています。APERCでの経験も踏まえて、主にウクライナ侵攻後のEUのエネルギー政策の分析を通じて、欧州グリーンディールとは何なのか、何を目指しているのか、を研究しています。
欧州グリーンディールは気候変動政策であるだけではなく、EUの様ざまな社会課題に同時に向き合おうとしている、そこがいちばん注目すべき点だと思っています。日本でも注目されるデジタライゼーションや産業競争力の強化だけではなく、たとえば持続可能な土地や自然、資源利用のあり方、域内の経済格差の解消、働き方の問題、健康やウェルビーイング、ジェンダーとダイバーシティなど、広範な政策課題と欧州グリーンディールとのつながりが議論され、実際に予算などでも相互に連携しています。
そうした全社会的な取り組み方をしなければ、脱炭素目標を実現できない、という必要に駆られている側面もありますが、それだけではなく、手段として全社会的なアプローチが必要というよりはむしろ、様ざまな社会課題に対して弱者を取り残さない、より良いEU社会を目指そうとする取り組みが至上目的であって、その重要な柱、手段の一つとして、気候変動対策が位置付けられている、私はそのように理解しました。
米国も、背景にある社会的、政治的事情は異なりますが、決して脱炭素目標が他の政策課題と切り離されて存在しているわけではない、という点では同じだと思います。
その点、日本では総理大臣の号令のもと、降って沸いた新たな課題、日本の経済発展に対するたな制約、と捉える向きが強いのではないでしょうか。ビジネスチャンスに変えよう、という企業も増えていると思いますが、そうした前向きな捉え方ができる大企業以外の大多数の人々にとって、2050カーボンニュートラルという目標が歓迎され支持されているとは思えません。
そうした状況を変えるには、日本社会の望ましい姿、あるべき姿を考え、その実現への障壁として気候変動問題を位置づけ直すことが有効ではないかと思っています。日本の社会にとって、気候変動とはどういう問題なのか、何故取り組む必要があるのか等を改めて整理するということです。そして、そのように日本社会の文脈に位置付け直された気候変動、あるいは持続可能性に関する問題に対して、改めて原子力の長所短所、果たしうる役割を考えたいと思っています。
原子力利用の是非を考えていく上で、こうした広い視点で考えなければならない、という問題意識は学生時代から漠然とありましたが、今、そのための具体的な研究方法を思いついて、研究会・ワークショップという形でやってみようとしているところです。
ウンダルマー 修士課程を経た後、1970年代から原子力施設の建設に向けた環境影響評価を行うなど、原子力の安全規制や技術コンサルティングにおいて豊富な知見をもつ企業に幸い就職することができました。
仕事では放射線影響や放射線防護に関する調査分析、大型軽水炉だけではなくて新型炉に関わる業務、特に高温ガス炉について導入に向けた課題や国際競争力を向上させるための方策の検討などに携わる機会がありました。省庁からの委託業務を通して、諸外国における新型炉の政策や市場動向、規制整備、サプライチェーンの状況などについても勉強させていただきました。
さらには、脱炭素化の流れの中で水素や再エネに関する検討ニーズが増えてくることに関連して、顧客企業の再エネや水素ビジネスのあり方の検討をサポートしたり、系統運用や電力市場のあり方についてどうあるべきかを提案するため、欧米の電力市場を調査したりしていました。
その後、2年前にデロイトトーマツグループに転職しました。前職は技術及び規制に関する知見で優れた会社であり、専門性の高い調査検討ができていたのですが、解像度の高いビジネスケースを構築して、実際にプラントを建設し運用するまでの伴走支援という形でお客さんをサポートするためには、技術面だけでなく経営面での知見も必要であると思うようになりました。そこで戦略系コンサルを経験してビジネス視点のセンスも身に着けたいと思い、現職にいたりました。現在は「新規事業推進」という部署にいまして、その中でも私が所属しているのは、エネルギー資源関連での事業戦略および新規事業の立ち上げを支援するチームです。やりたいことによく合致したところになっています。
ただ今年5月に子供が生まれまして、今は育休中です。来年4月からの仕事復帰を楽しみにしている状況です。
自分の中で原子力に関する問題意識の変化として大きくは二つあって、一つ目はリスクコミュニケーションのアプローチです。学生の時には、論理的に説明してきちんとしたエビデンスがあれば、社会が納得するのは当然と思うところが強くありました。ですから、どうして科学的に正しいことなのに世間は納得してくれないのかと、ちょっと子供っぽいところもあったと思いますが、今はいろんな人と一緒に仕事をして、いくら話している内容が正しくても、相手と信頼関係を築き、「この人は話す価値がある相手」として思ってもらえないと、そもそも話すら聞いてもらえないと思うようなりました。
とは言いつつも、具体的にどう話せばいいのかと聞かれたら、自分の中でも正解はありませんが、少なくとも今後は情報の正確さだけではなく、人それぞれの経験や心境が違うという前提を理解した上で、コミュニケーションをとるにはどうしたらよいのかを考えることが重要ではないかと思っています。もう一つは系統が違う話ですが、私が子供の頃から技術大国日本に憧れていたことが、日本に留学した大きな理由の一つです。ただ近年では、原子力分野に関しては、強いて言えば、もはや日本は先進国とは言えなくなりつつあるのではないかと思っています。もちろん他にどこにもない優れたコア技術や、高い信頼性や安全性を誇れる技術はたくさんあるのですが、ビジネス化してプラントを建てていこうと言った時、中国やロシア、米国に負けてしまっています。これから原子力を導入しようとするいわゆる新興国が求めているのはそこではなくて、如何に安く早く導入できるのかというのが大きな関心事です。そういったところで他の原子力大国に後れを取ってしまっているように思います。それが非常に残念だと思います。
もちろん政府としても業界としても、様々な検討や取り組みをやってきていますが、今まで以上に大胆な施策を打たないと、米国やロシア、中国にこれからの新興市場を、日本が自分の立場を確立する前に取られてしまい、どうあがいても進出できない状況が生れてしまうのではないかという、問題意識を持っているところです。
小宮山 ありがとうございます。いずれも政策や技術に対して、学生時代とはくらべものにならない知識や造詣を深めた貴重なお話を聞かせていただき、なるほどと感心する点が多々あった次第です。
脱炭素電源法の成立やCOP28での有志国による原子力3倍化宣言など、福島事故以降からの原子力に吹く風向きが変わってきたところがあるように思います。実際に今、日本では革新炉の検討が本格的に始まり、新増設・リプレースは原子力政策の中でもポイントになっています。これらを実現するためには何が必要なのか、もしくは関連する内容で感じていることについて、ご紹介いただけますか。
渡辺 もしも政府が描くような拡大展開を実現しようとするならば、先ほど彼女がおっしゃったように社会実装の問題、ほんとうにつくるつもりがあるのか、買う人がいるのかという足元をしっかり見て、そこを何とかしないといけない。周りを見て浮かれている場合じゃないと、私は感じています。
脱炭素の機運が高まっていることや、ロシアや中東を取り巻く情勢によって化石資源の価格の不安定性、エネルギー安全保障の重要性が再認識されていることなど、原子力エネルギーのポテンシャルに期待させる社会状況が再来していることは、そのとおりだと思います。
一方で、たとえば福島第一原子力発電所事故から今まで、原子力推進側として十分やってきた、安全性も高まって、長年指摘されてきた諸課題についても、解決こそしていないものの道筋をはっきりと描けてきた、と胸を張って言えるでしょうか。あるいは、そう主張する場を設けたとして、どれくらいの人に納得してもらえるでしょうか。
この10数年で新しい規制の仕組みを作り、事業者をはじめ、多大なコストを払ってプラントを新基準に適合させ、実際に西日本を中心に原子力が再び供給しています。一定の評価はできるでしょう。
しかし、2030年、2050年のエネルギーミックスの原子力比率に対する再稼働やリプレースの見込み、革新炉の導入見込み、あるいは避難計画の実効性、核燃料サイクルにおいても、もんじゅは突如廃止したが再処理工場は続け、全量再処理政策も維持する、その中でのプルトニウムバランスの問題、これと高速炉開発のタイムフレームの問題、さらには福島の除染土を2045年までに県外で最終処分するなど、計画の健全さ、実現性を疑われてしまうような話がたくさんあります。そうした問題について、全ての事情を赤裸々に語ることはできなくても、きちんとガバナンスがなされ、社会から見て受け入れられる仕方で意思決定がなされている、ということを示す責任はあります。そうした取り組みが十分行われてきたとは思えません。
付け加えれば、福島事故後、最もがんばってきたはずの、「福島事故のような事故は二度と起こさない」という課題を達成できているのかさえ、私は疑問があります。確かに、福島と同じように津波などの外部事象によって、外部電源を失い冷却機能を喪失することで発生する事故に対しては万全かもしれません。でも福島事故の最も重要な教訓はそこでしょうか。
むしろ「想定外」ということ、 言い換えれば不確実性への向き合い方、ということが、工学的に導かれる重要な学びだったのではないか、という見方に共感します。ところが、事故後のSPEEDIをめぐる論争を見ても、計算結果を信用できる、できない、といった論争の末、結局使い方の改良ではなく、そもそも公式には使用しない、という極端な結論が出されました。本来は、不確実性のあるツールを、どういう場合にどう使えるかということこそ議論すべきではないかと思います。しかしどうしても不確実なものを「安全」「安全ではない」のどちらかに分類して対処しようとする、そういう傾向の最たる例が安全神話だったのではないでしょうか。その傾向に、いまだ囚われているのではないかという気がしています。
小宮山 大変貴重なご意見をいただいたように思います。私の正式な所属はレジリエンス工学研究センターですが、レジリエンスを強靭性と日本語に訳される場合があるように思います。しかし強靭性という言葉には、機動的に状況に対応するイメージが個人的にはやや弱い印象があるので、訳語として好みなのは、どちらかというと、柔靭性といいますか、想定外のことが起きたとしても柔軟に対応できるか、如何に早くリカバリーできるか、そこを考えることが社会全体にとって大事なポイントだと思います。規制の中でもそういう方向での取り組みが大切ではないかと思っています。
ウンダルマー 肝心なところは渡辺さんがおっしゃってくれたのですが、脱炭素化や経済性の観点、あるいはデジタル化が進んで電力需要が増加することが、原子力にとって追い風になるのは必然的だと思っていますが、だからと言って浮かれている場合ではないというのは同感です。今こそ、これまで以上に業界も行政も気を引き締めて、この好機を逃さぬように真摯に考えて行動すべきだと思っています。
加えて、個人的に重要な課題と思うのが、人材です。原子力を進めていくためには、まだ複雑な課題が多々あるのに対して、人手が足りていないように思います。先ほどの渡辺さんの話で出てきた諸課題について、行政・業界ともに整合が取れた形で足並みを揃えて対処していく必要があるということは、関係者のみなさんもある程度意識していると思います。ただ、イニシアチブをとって遂行するのは誰なのか。みんなそれぞれの立場で最善を尽くして、政府もいろいろと取りまとめをしようとしているとは思いますが、現状の体制では限界があるようにみえます。
エネ庁の職員さんは土日返上で働いておられるけれど、やはりいまやらなくてはならないことで手が負えないのだなと感じています。
実際、私と同じ原子力国際専攻の卒業生で、新卒で原子力や電力関連企業に入ったが、その後ベンチャーやコンサル業界に移った人も何人かいて、原子力業界から若手がまた一人減ったのだという事案をたくさん見てきました。再稼働がなかなか進まず、新設の計画もないという状況にみきりをつけ、待遇や仕事の面白さで魅力のあるところに人材が流出しているのではないかと思います。
業界自体が魅力を失っていることを非常に残念に思うのは、私たちの同期は高校ぐらいのときに福島第一の事故を体験したにも関わらず、原子力をやりたいと入ってきた人たちだからです。強い気持ちと使命感を持って原子力を専攻した人たちが、結局ばらばらになってしまい、悲しい気持ちです。
この問題について行政の取り組みも大事ですが、人材を引き留めるためには、待遇なのか、あるいは若手が夢をもてる職場作りなのか、業界としても何かをする必要があるように思います。
渡辺 小宮山先生から「革新炉が日本で進展するために何が重要と思うか」という問いかけがありました。政府の支援や事業環境整備がなければ開発がむずかしい、あるいは原子力が供給するエネルギーの環境適合性、安定性を正しく価値化するマーケットメカニズムが必要、といった理屈もわかりますが、基本姿勢の問題として「原子力は正しい選択肢だから導入されるべきだ」という開発側のマインドセットを抜け出し、「どうしたら選ばれるのか、何故現在選ばれていないのか」ということを、買う側、使う側の立場に立って客観的に考えられることが何より重要だと思います。
また政策に関していろいろ申し上げましたが、第一歩として政府の審議会をもう少し活用できないものか、という有識者の声もあります。現在の審議会は、上で決められた政策に対してガス抜き的にものを言う場のようになってしまっている面があると思います。有識者のみなさんは真面目に議論されていると思いますが、一体誰のための活動になっているのか。審議会で議論したから、より良い政策になっている、あるいは、民主的な透明性が高まっている、と誰も思っていないのではないか、というのが私の感覚です。
むしろ、政府の政策に対して、「審議会で直接審議、判断した」という形で手続き的に透明性を担保するのではなく、直接的に判断に関わらない、アドバイザリーな機関として、決められた政策内容の蓋然性や、他にありうるシナリオや手法に関する見識を蓄えておく。いわば、シンクタンクの親玉として、内容面での政策の蓋然性を担保する機関になる方が有用ではないかと思うわけです。これなら、そこまでコストをかけずにできる第一歩ではないかと思います。
ウンダルマー 企業側が若手人材を引き留めるように、夢のある取り組みを打ち出すなどがんばるべきだと言いましたが、まずは企業にそれをやるモチベーションがないと、何も動かない。企業としてそれをやる意義、やったことで会社に利益をもたらすのか、ただのコスト増加要因になるのではないかとかが決定要因になってくる。企業側にモチベーションを与えるという意味でも、行政側が、新設やリプレースの実現性や道筋をもっと具体的に示してあげることが必要と思います。また、国内市場だけでは開発コストのリターンが見込めないということもメーカーの懸念事項としてあり得るので、革新炉の開発を促進するためには海外展開の戦略と支援も重要と思います。
渡辺 鶏が先か、卵が先かみたいな話です。
ウンダルマー そのすくみ合いからどうやって脱却するのか、そこは大きな課題ですね。
小宮山 折角、原子力分野ですばらしいシミュレーションとか実験をされた優秀な方々が、原子力や関連業界に就職されても転職されているというのは、私もショックを受けました。
他方で既にお話がありましたが、ロシアや中国は積極的に新増設を進めて、ロシアに関しては東欧を中心に、中東や北アフリカ、インドとも原子力分野で国際関係を深めるような国際展開を積極的に進めているように思います。
ウンダルマー 原子力の国際展開では、最初に導入した国を押しのけて他の国が入ることは相当困難です。
小宮山 日本にも国際展開を積極的にはかっていた時代がありました。原子力は輸出国と輸入国の間に強いつながりを生み、外交にも良い影響を与えうる重要なツールと思いますが、3・11以降はシュリンクしてしまい、大変残念なところがあると思っています。
さて今後、人材育成を強化する上でも、教育についてご意見を伺いたいと思います。現在は大学に進学しても、特定の分野に進まないとエネルギーを学ぶ機会が限られているのではないかと、私も大学にいて思うところではあります。最近、東京大学ではエネルギー総合学連携研究機構という、エネルギー全体を俯瞰的に見ることができる共通講義など教育や研究の場をつくろうという動きもあります。一方でエネルギーとか放射線に関して高校までは勉強する機会があまりないように思います。お二人から、エネルギー・環境教育に関して、ここを改めるべきではないかとか、教育の観点で何かお考えがあればお聞かせください。
渡辺 大学教育は比較的それぞれの大学に自主性がありますし、新たに共通講義をつくることもできるので、どんどんやっていくべきだと思います。その前の義務教育となると、特に原子力のOB・OG世代だと、もっと小学校の頃から原子力について勉強させるべきだとおっしゃる方が多いのですが、それはどうしてもより不信感を高めることになる気がします。小さい頃から吹き込んでおけば、安全だと思うに違いないという取り組みは、実際に戦時中もそうした政府主導の国民意識の誘導が行われてきたわけで、仮に善意からやったとしても、すごく社会を逆なでする側面があると思います。
実体験を通して思っているのは、義務教育課程では歴史と地理の勉強をもう少しやるべきではないかということです。日本の近現代の国土・経済開発のあり方を、功罪含めて勉強する、その中でエネルギーという問題も必然的に出てくると思います。近現代史の勉強ですね。そうすることによって、もう少しエネルギーやインフラの問題について、基礎的な関心が醸成されるのではないかと思います。
もう一つ、突飛に聞こえるかもしれませんが、自分がいま子育てをしていて息子がもうすぐ5歳になるのですが、日本の子育てについて、親の言うことを聞きなさい、ルールを守りなさい、そればかりだと感じます。公園に行くと遊具よりも大きな看板に、やってはいけないことが、全部箇条書きに書いてあるのです。そういうことばかりしていると、自分の頭で自分の行動の意味を考え、判断し、責任をもつ、あるいは自分の言葉で発言する大人にはならないだろうと思います。少子化時代で貴重な未来の人材を、何も考えないで、何も責任を取らず、リスクについても考えたくない人材になるように一生懸命にみんなで育てているように思います。もちろん母親への育児負担の集中とか、そういうことも背景にはあって、本当はもう少し社会全体が子どもと関わることで、子供は育っていくものだと思うのですが、今の社会にそういうまなざしがなくて、お先真っ暗だなと感じます。
ルールの遵守は大事だが、自主性の育成にも目を配りたい
小宮山 今のお話は規制についても相通ずるところがあるのかなと思います。規制を決めて、それをYesかNoかで対応することにより、果して本当に緊急事態が起きた時に対応しうる体制をつくれるのかどうか。子育てのお話ではありますが、規制の考え方についても示唆に富む話ではないかと思いました。
ウンダルマー 義務教育はモンゴルで受けましたが、エネルギーについては高校までは教えない、大学で専攻に選んだ人しか勉強する機会が無いという点は共通しています。先ほど渡辺さんが指摘した、原子力についての理解を深めるという意味では、それだけについて話をすると、むしろ怪しまれるという点はその通りだと思います。
私は原子力専攻に行く前は、物理が好きで応用物理専攻でした。物理学においては全てのものがエネルギーであるということがあって、それは人間社会においても結局同じではないかと思っています。経済が活性化するためにはエネルギーが必要ですし、物価上昇で生活が苦しいというのも、エネルギー源の多くを輸入に依存していることから、世界の市場が動くと日本の国民生活にすぐさま影響が出てしまうからである。このように、エネルギー、経済、人々の生活の利便性、それらすべてがつながっているのだということを、どの科目にするかはわかりませんが、何処かで子供たちにきちんと教えてあげるべきだと思っています。 その上でエネルギー技術として原子力がある、再エネがある、火力がある、核融合という夢のエネルギーもあって、それぞれにどういう長所と短所があるのか、すべて網羅的に教えて、そこで子どもたちはこういう状況で、こういう技術があった時、何が良さそうなのかを考えられるツールを持つことができるのではないかと思います。
さらに、ちょうどいま衆議院選挙の最中ですが、候補者たちの公約を聞いていると、税金を下げます、物価高を抑えます、社会保障を強化します、企業を支援します、など様々なことが言われている中、有権者がそれらの公約がきちんと整合しているのか、実現性があるのか、ということを見極めるクリティカルな視点をもつことの重要性をますます感じています。子供の教育を通して、政治家に対して適格な説明を求めたり、より効果的な政策を要求できる国民を育成すべきと思っています。その意味でも子供たちの俯瞰的な教育は大事だと思っています。
小宮山 政治家のみなさんは、率先して社会課題の解決に取り組む、最も大事な立場にあるというように認識していますが、実際にお二人のお話を伺って思ったのは、先ほどお話したように、東京大学ではエネルギー全体を俯瞰的にみられるようなシステムづくりが始まったばかりですが、確かに大学には社会課題を解決しようという、いわば社会課題解決学みたいな分野はないなと思いました。
産業と暮らしに伴う社会課題とエネルギーの関係について考えてみたい
たとえば私たちの生活で最も大事なのは、安定的な経済性のあるエネルギーです。いま電気料金が以前よりも高くなり、社会的にも問題になっていますが、電気を安く安定的に供給することを社会全体として、どのように解決していくべきなのか。
冒頭にお話しがあったEUでは社会課題全体で取り組むという、そういう姿勢が原子力にも必要であると思います。原子力も、必然的に原子力が選ばれる下地をつくっていくことが、教育でも政策でも大事であると再認識した、私としては示唆に富むお話だったと思います。ありがとうございました。