世界共通でなければ不便なモノと国や地域特有の魅力的なモノ。グローバル時代にはこの得も言われぬ組み合わせを楽しむ事ができる。だがグローバル化の深化と共に組み合わせも激変する。この組み合わせを取り持つ“架け橋”の役割を果たすのが“世界標準”だ。
国を出ると時間や通貨に加え言葉や習慣、さらには電圧やコンセントの形態が異なる事に気付く。と同時に各地の人々のやさしさに触れ「人間は皆同じ」と喜び、郷土料理を楽しむ事ができる。我々はグローバルとローカルの長所を多様な組み合わせで楽しむ事ができるようになったのだ。
◇ ◆ ◇
10月14日は、世界標準の日。大戦直後の1946年に専門家が集まり、世界標準のための組織の設立を決定した時を記念日にした。
最近この世界標準の役割に関し専門家達と議論を行っている。去る10月8日、東京で経済産業省主催の「産業標準化事業表彰特別シンポジウム」に参加した。議論を通じて産業技術分野における世界の標準化が各国の国際競争力と深くかかわっている事を再認識した。
近年の事例では三菱飛行機が挙げられる。せっかく飛ばす事ができたが、米国連邦航空局(FAA)の型式証明を得られなかったために、“日の丸旅客機”ははかない夢に終わった。昔の話だが優れた日本の携帯電話は海外の規格と異なるがゆえに、“ガラパゴス携帯”、いわゆる“ガラケー”として姿を消した。カナダの優れた携帯端末ブラックベリーは世界市場を席巻し一時期“業界標準”となったが、アップルのアイフォン登場で流星のごとく消えた。世界標準の変化は産業に限らない。柔道やスキージャンプのルール変更で日本の主張が非力であった事も記憶に新しい。
国や特定市場の“標準(スタンダード)”が一国の産業や一企業、時には一個人に与える影響は非常に大きい。筆者の友人の一人は「日本は“特定の技術”や“匠の名人芸”で勝つが、組織的・制度的な“マネジメント”で負ける」と自嘲気味に語る。
◇ ◆ ◇
産業に関し“標準”は大別して3種類。第一が国や国際的な基準設定組織が決めるデジュリ標準。日本産業規格(JIS)や国際的な国際標準化機構(ISO)の規格など。第二が特定の製品に関し圧倒的なマーケット・シェアを持つ企業の製品やサービスが標準となるデファクト標準。コンピューターの“ウィンドウズ”やソーシャル・ネットワーキング・サービスの“フェイスブック”など。そして第三が特定の技術や製品などに関係する企業・専門家の合意で制定されるフォーラムあるいはオープン標準。市場規模が未発達の場合や技術進歩が速く急拡大中の市場で緩やかな共通ルールとしての性格を有する標準だ。
近年、ロボットが工場や倉庫だけでなく様々な場所で活躍する時代になった。この人とロボットの協働作業に関するフォーラム・スタンダード形成は大変興味深い。人がロボットと共に働き、学び、そして遊ぶための世界標準はいかなるものか。人間が安全・健康・ウェルビーイングのレベルを向上させるヒューマン・フレンドリーなロボットとはいかなる能力をもつべきなのか。これに関し11月18日、東京に内外の専門家を招き、国際的会合を計画している。多くの人が参加される事を願っている。