米国では大統領選挙、日本では衆議院選挙が進行中である。
衆議院選挙公示日前夜には各党の党首が揃ってニュース番組に出演し、政治姿勢や政策方針などについて意見を述べるという番組が放送された。
党首間で論争をする形ではないが、米国の大統領候補のカマラ・ハリス副大統領とドナルド・トランプ前大統領の間で交わされる感情的な非難の応酬に比べて冷静に意見を述べる姿勢が印象に残った。
米国の2大政党の対立の場合、各党の支持者の大多数は支持政党の立場を擁護するため、双方の間で建設的な議論を行うことが非常に難しい。
現在日本では自民党の「裏金問題」が選挙の争点となっており、多くの自民党支持者からも批判されている。
仮に米国の共和党内で似たような問題が生じたとしてもトランプ前大統領が見解または対策を示せば、それを大多数の支持者が支持し、支持者からの批判はごく一部に限られると考えられる。
民主党から批判されてもそれに耳を傾ける人はほとんどいないはずだ。このように党派間の対立が先鋭化し、社会が分断されている。
しかし、日本では自民党支持者の中にも野党からの批判に耳を傾ける人々がかなりいると考えられる。
それは日本の投票者が支持政党の主張に左右されず、一般的に報じられている情報に基づいて自ら是非を判断し、支持政党に対する批判的な意見でもある程度受け入れる姿勢がベースとなっているためである。
これが日本社会の分断を防いでいると考えられる。
米国で2大政党の支持者同士が激しく対立して社会が分断されている原因の一つはネット情報によって引き起こされている事実認識の相違にあると指摘されている。
一般的に民主党支持者は「フェイスブック(FB)」を主な情報源としているのに対し、共和党支持者は「エックス(X:旧ツイッター)」を主な情報源としている。
それぞれのニュースソースはそれぞれの政党支持者の嗜好に合うような情報を提供するため、自分の支持政党に合致する情報源から情報を得ていれば気分よく様々な事象を理解できる。
逆に、反対の政党の支持者から支持される情報源にアクセスすると不愉快な情報ばかり目にするため、そちらにはアクセスしないようになる。
FBもXもそれぞれの情報を好む支持者を喜ばせる情報を流し続けることで営利企業として利潤を高めることができるため、事実を客観的に伝えるより読者を喜ばせる方に力点が置かれる傾向があると言われている。
党派色が強まると読者の好みにも合致するため歓迎される。
このようなメカニズムで米国社会の情報は分断され、支持政党によって事実認識までが異なる状況になっている。
人々が特定の嗜好に合わせた情報ばかりに依存して他の客観的な事実認識を受け入れにくくなる現象は「フィルターバブル」と呼ばれている。
また、偏った情報を共有して排他的な集団を形成する現象は「サイバーカスケード」と呼ばれる。
そして、自分と似た意見の人たちばかりと意見交換を続けているうちに、自分の意見が一般的に正しいと思いこむようになる現象を「エコチェンバー現象」と呼ぶ。
これらの表現によって示される状況に陥れば、自分と異なる意見の人々はすべて間違った事実認識に基づいていると考えるようになるため、政策等に関する建設的な議論が成立しなくなる。
反対政党の意見はそもそも事実認識が間違っているので、耳を傾ける意味がないと考えるようになる。
エコチェンバー現象が見られるのは民主党と共和党を分断する国内の対立軸だけに限られることではない。
ワシントンD.C.における中国理解もエコチェンバー現象によって歪められている。
例えば、中国は2027年までに台湾を武力統一するという見方が昨年までワシントンD.C.での常識として共有されていた。
米国の著名な中国専門家の大半はその可能性は低いと考えている。
そもそも台湾の一般庶民の8割以上が当面は中国からの独立を求めず、現状維持を希望している。
台湾が独立を宣言しないにもかかわらず、武力統一を強行すれば世界の中で中国が孤立することは中国側も十分理解している。
武力統一を強行すれば、日米欧の主要企業が中国市場から撤退するか投資姿勢を抜本的に見直すことになる。
そうなれば、外資依存度の高い中国経済は長期にわたり厳しい停滞を余儀なくされる。
2021年末頃に高度成長期の終焉を迎えて経済の不安定局面に陥り、経済政策運営に苦慮している現状において、外資企業が投資を大幅に縮小すれば中国経済にとっては致命傷になる。
それは共産党に対する国民からの信頼そのものに影響する。
そうした状況を総合的に判断すれば、台湾が独立を宣言しない限り、中国が武力統一に動く可能性は極めて低いと考えられている。
しかし、ワシントンD.C.ではそうした客観的な見方に耳を傾ける人は極めて少数に限られており、公の場でそうした意見を述べても無視されるか、発言の機会を与えられなくなるという状態だった。
その結果、昨年はエコチェンバー効果によりワシントンD.C.で対中強硬論が過熱し、米中武力衝突のリスクが高まったため、そのリスクを抑制する必要に迫られた。
昨年11月の米中首脳会談を機に、バイデン政権はハイレベルの米中対話を通じたコミュニケーションの回復を図っている。
その政策方針に沿う形で、中国を挑発するような言動をある程度抑制するようになり、2027年台湾武力統一を前提とした議論が下火になっている。
米国社会の分断と米中対立の深刻化に共通する要因はイデオロギー対立の強調である。
国内の政策課題や外交・通商問題等に関して客観的な事実の認識に基づいて関係者が建設的な議論を積み重ねれば、一定の妥協案の下にコンセンサスが形成される可能性が高い。
しかし、イデオロギー対立を強調すれば、相手の主張はすべて相手側のイデオロギーを補強するためのものであると考えるようになる。
相手のイデオロギーを否定するためには、相手の主張を徹底的に否定するしかない。
そうしたイデオロギー対立が前提になっていれば建設的な議論は非常に難しくなる。
これが最近の民主党と共和党の対立図式であり、米国の対中強硬論やデカップリング政策主張の背景にもなっている。
米国の多くの専門家や有識者はこのような不毛な党派対立や非建設的な外交・通商政策を批判している。
しかし、エコチェンバー現象に陥っている人々を説得することは非常に難しく、ワシントンD.C.の状況に改善は見られていない。
その特徴はインテグリティ(integrity)
戦後の米国の政治においてこうした分断を起こさず、広く国民全体から信頼された政治家の代表はロナルド・レーガン大統領である。
米国政府内の中央情報局(CIA)、国務省、国防総省等10以上の部門はそれぞれが独自の情報収集組織を持っており、それぞれの組織は自分たちの持つ機密情報を政府内の他の組織と共有しないのが常である。
それがレーガン政権時代のみ相互に情報を共有したと聞く。
それは全部門がレーガン大統領の政策を支えるために一致団結しようとしたからだった。
このように米国政府内でもレーガン大統領の指導力は群を抜いていた。
国民からの支持率を見ても退任時ですら60%を上回っていたほか、2000年以降の世論調査を見ても戦後の大統領の中で最も偉大な大統領であると位置づけられている。
そのレーガン政権に参加し、レーガン大統領の人物をよく知る国際政治学者にレーガン大統領の特徴を尋ねた。
その答えは人格の「integrity(正直、誠実)」であり、それを支えていたのはキリスト教信仰ということだった。
ギャラップ社の調査によれば、米国社会では、人口に占めるプロテスタントの割合が1955年の71%から、2014~17年には47%に低下した。
この間、カトリックの割合は24%から22%にわずかに低下しただけである。ただし、カトリックの教会出席率(1週間に1度教会に行く人の割合)は1955年の75%から2014~17年には39%にまで低下した(プロテスタントは40%代前半でほぼ横ばい)。
前出の国際政治学者はこれが米国の精神基盤に大きく影響していると解説してくれた。
宗教の共通点は絶対的存在を意識することである。
心の中で絶対的存在を意識すれば、謙虚な姿勢になる。それが各自の内省のベースとなり、自分に対して正直、誠実になる。
その姿勢がベースとなって自分の私心を理性でコントロールできるようになり、利他の理念を自分自身の行動指針とするよう促す効果が生じる。
そうした人物がリーダーとなれば、周囲の人々はその人の為に何か役に立ちたいと思うようになる。その典型例がレーガン大統領だったと考えられる。
レーガン大統領を信頼する人々の範囲は米国内にとどまらない。
ソ連のミハイル・ゴルバチョフ共産党書記長や日本の中曽根康弘首相もレーガン大統領を信頼した。
いま世界の主要国の政治家を見回しても、レーガン大統領のように広く国内外から人望を集める人物は見当たらない。
それが国内社会や世界の分断を食い止めることができない状況を招いている。その要因はリーダーのintegrityの不足にあるのではないかと前出の国際政治学者は指摘する。
日本の国民は初詣で、法事、観光などで寺社に参拝し、手を合わせることが多い。
神仏に祈りを捧げる時には誰もが心の中に絶対的存在を思い浮かべている。
また、日本人の多くが「お天道様が見ている」という言葉で自分の行動を内省し、規律することの大切さを理解している。その際の心の中は謙虚である。
謙虚な姿勢に基づく内省を通じて、正直、誠実であることを重んじる精神基盤が国民に浸透している。
正直になることで自分に対して嘘をつくことに敏感になり、自分の心をごまかせば良心の呵責を覚える。これが日本人の精神基盤となっている。
この精神基盤が広く共有されていると、エコチェンバー現象の一定の歯止めになる。もちろん今の日本でも反中感情の蔓延はエコチェンバー現象と言える。
しかし、それが米国ほど極端な対中強硬論やデカップリング政策にはつながっていない。
政党間の対立はあるが、それが極端なイデオロギー対立になって感情的な非難の応酬にまではなっていない。
これは日本人の精神基盤として「正直」「誠実」を重んじる文化が定着していることが一定程度影響していると考えられる。
21世紀に入り、世界は大きな転換点に差し掛かり、米国の一極覇権体制から多極化に向かっている。
経済のグローバル化が進み、各国間の相互協力はますます重要になっている。
そうした中でイデオロギー対立の生み出す不毛な分断を抑制するには、integrityの際立つリーダーが必要である。
そうしたリーダーが登場し、グローバル社会の安定化に貢献することを期待したい。